女帝 第5話

 しばらくすると、新井が転がるようにしてマンションのエントランスから飛び出してきた。タンクトップに七分丈のパンツといった姿だった。

 どうやら、天は新井に味方をしたようだ。


 私は新井にパッシングをして、こちらの場所を知らせると、そのまま新井の脇に車を進めた。


「おい、乗れ」


 新井は驚いていたが、すぐに助手席に乗り込んでくる。

 エントランスホールには、新井が逃げたことに気づいた女帝の兵隊たちが殺到してきていた。


 私は一気にアクセルを踏み込み、加速をした。

 背後から撃ってくる気配はなかった。さすがにアクション映画のような真似はしないようだ。


「あんた、誰なんだ」


 しばらく走り、女帝の部下が追いかけてこないことを確認した新井がようやく口を開いた。昨晩はたっぷりと飲んだようで、まだ新井の身体からは酒の臭いがぷんぷんする。


「新井さんだろ。元神明会の」


「誰だ、てめえはって聞いてんだよ」


 私の言葉に、新井は声を荒らげた。


「でかい声を出さないでくれ。電話でも言ったが、俺はあんたの味方だ」


「味方だと?」


 疑いの目で新井は私の方を見る。


「ああ、正確に言えば、がいるっていえばいいかな」


「それが女帝ってわけか」


「そうだ。敵の敵は味方ってやつだ」


「ふん、信用できないな」


 新井はそういうと、七分丈ズボンのポケットからぶつれてしまっているパッケージを出し、中から折れ曲がっていない煙草を一本取り出して口にくわえた。

 その様子をちらりと私が見ると、新井は車についているシガーライターで火をつけ、うまそうに煙を吐き出した。


「まさか、車内禁煙だなんて言わないだろうな」


「これはあんたの車だ。自由にすればいい。ただ、こんな状況でも落ち着いていると思ってな」


「馬鹿いうな。落ち着いているわけないだろう。こっちはとんでもない虎の尾を踏んづけちまったって思ってんだよ」


 どこか開き直ったような口調だった。

 新井はこの後の策を何か持っているのだろうか。もし、なにか考えがあるようならば、こちらの提案に乗ってこないかもしれない。私はそう考え、慎重になりながら話を続けた。


「虎の尾か……。その虎を罠にかけるっていうのはどうだ、新井さん」


「俺を助けてくれたことには礼をいうが、俺はあんたのことを知らないんだ。どうやって信用すればいいんだ」


「信用しろとは言わない。ただ、私は全部知っている。新井さんが女帝から武器を奪ったこと、そしてニトリという男を捜しているってことも」


「おい、車を停めろ」


 急に新井が言った。


「なんだ、どうしたっていうんだ」


 そう言いながら、私はハザードランプを焚いて車を道路脇に停車させる。


「お前、何者だ」


 新井の手にはオートマチック式の拳銃が握られていた。拳銃の種類は詳しくないのでわからなかったが、おそらく女帝から奪った拳銃のひとつなのだろう。


「私か。私は探偵だよ。何なら名刺を渡そうか」


「探偵だと。探偵がなんで女帝なんかと敵対しているんだ」


「ちょっとした仕事上のトラブルでね。それで女帝のことを調べていたら、新井さんの情報が出てきた。それと、ニトリについては狙っているのは、新井さんだけじゃないってことだけ教えておこう」


 手の内のカードを隠しておく必要はなかった。多くの情報を与えることで、本当の情報の中に嘘を隠すことができる。

 ゆっくりとした動作でポケットから名刺入れを取り出した私は、新井に一枚差し出した。


「探偵ねえ……。言っておくが、俺はお前を信用したわけじゃないぞ。ただ、助けてくれたことに関しては礼を言う」


 そう言った新井は拳銃をしまった。


「そういえば、ショウはどうしたんだ。まさか、殺しちまったとか言わないよな」


「あの小僧か。あいつなら、後部座席に転がっているだろ」


 私の言葉に新井は身を乗り出すようにして、後部座席のシートの下に転がっているショウの姿を見た。

 最初はシートの上に寝かしておいたのだが、一気にアクセルを踏み込んだ時に下に落ちてしまったらしい。


「あんたの舎弟なのか」


「まあ、そんなところだ。もうヤクザ者じゃねえから、舎弟でも何でもないけどな。でもよ、こんなになっちまった俺についてきてくれる、奴なんだよ」


 新井は自嘲気味に笑う。


「それで、これからどこへ向かえばいいんだ」


「そうだな……。俺の隠れ家に行こう」


「隠れ家?」


「ああ。誰にも知られていない場所がある」


 新井はそういって、カーナビの操作をはじめた。カーナビの目的地は江戸川区葛西かさいだった。

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