女帝 第4話
新井の舎弟であるショウと呼ばれていた金髪の若者がマンションから出てきたのは、午前九時になろうかという時間だった。ショウは昨晩の酒が残っているのか、青白い顔をして、どこか不機嫌な表情を浮かべている。
右手には黒いプラスチック状のものを持っており、それを空中に投げてはキャッチするというひとり遊びを続けながら、ショウは歩きはじめた。
昨日聞いた話から推測すれば、ショウはこれから車を取りに行くはずである。
車から降りた私は、少し距離を取りながらショウの後を追った。
ショウの向かった場所は、マンションから少し離れた場所にある月極駐車場だった。
雨ざらしの駐車場に置かれた黒塗りのメルセデス・ベンツ。毎日手入れをしているのか、そのメルセデスはピカピカに輝いていた。
履いたスニーカーの踵を踏みつぶして、足を引きずるようにダラダラと歩くショウは、その黒塗りのメルセデスに近づくと、スマートキーを使ってドアのロックを解除した。
ロックが解除されたメルセデスは、電子音を短く鳴らし、ハザードランプを点滅させる。
チャンスは一度だけだ。
足早にショウの背後に迫った私は、手の届く距離まで来るとショウに声を掛けた。
「おい」
突然背後から声を掛けられたことに驚いたショウは身体をびくりとさせて、こちらを振り返る。
その瞬間、私は折りたたんだ肘をショウの顎を目掛けて繰り出していた。
骨と骨がぶつかる感触があった。
ショウの体は糸の切れた操り人形のように、膝からゆっくりと崩れていこうとする。
私はそのショウの体を抱き止めると、後部座席のドアを開けて、ショウの体を押し込んだ。
手と足は、持ってきた結束バンドを使って自由を奪い、頭には布製の黒い袋を被せる。
スマートキーのお陰で、ショウからキーを取りあげる必要はなく、エンジンを掛けることができた。わざわざポケットを漁る必要はないというのは便利だ。ただ、危険物を持っていないか確認をするため、念のためショウのズボンのポケットは探っておいた。折り畳みナイフが一本あり、それは預かっておくことにした。
メルセデスをマンションの出入り口が見える場所まで移動させた。ここであれば、マンションに出入りする人間も見える。
ショウが帰ってこないという異変に、新井たちはどのくらいで気づくだろうか。
昨夜はだいぶ遅い時間まで飲んでいたようだ。もしかしたら、まだ夢の中にいて、先に起きたショウだけが車の準備をするために出てきたのかもしれないと、私は考えていた。
エンジンを停止させると、携帯電話を使って瀧川の番号を呼び出した。
「――――もしもし」
相手はワンコールで出た。電話に出たのは少し違和感のあるイントネーションで日本語を話す男だった。もしかしたら、宮田の事務所にいた中東系の顔立ちをした男かもしれない。
私はそんなことを思いながら、口を開いた。
「瀧川さんをお願いしたい」
「ちょとマテ」
やはりどこか違和感のある日本語の話し方だった。
しばらくの間、沈黙が続いた。
「どうした、探偵」
「元気か、瀧川さん」
「つまらないことを言っている時間は、わたしにはない。さっさと用件だけ話せ」
電話に出た瀧川は、どこか機嫌が悪いようだった。
「わかったよ。用件だけを言う。新井を見つけた。これから住所を伝える」
「そうか」
多少機嫌を直したような声になった瀧川に、私は新井のマンションの住所を伝えた。
あとは瀧川が新井たちをマンションの部屋から炙り出してくれるのを待つだけだ。
電話を切ってから三〇分もしないうちに、数台のごつい海外製SUVが現れた。
降りてきたのは全員黒いビジネススーツ姿の男たちであり、どの男も外国人であった。
そして、最後に車を降りた女。それが瀧川だった。瀧川も他の男たちと同じように黒のパンツスーツで身を固めている。
男たちは肩掛けカバンを背負うかのように、サブマシンガンのストラップを肩から吊るしており、スーツの下には防弾チョッキを着こんでいるのがわかった。
本当にここは日本なのだろうか。私はそんなことを思いながら、マンションの中へと入っていく彼らの様子をメルセデスの運転席から見守っていた。
エントランスホールに集結したのは、瀧川を含めた7人だった。
6人の男は瀧川の短い指示に頷くと、全員が持っていた目出し帽をかぶり顔を隠すとエレベーターに乗り込んでいく。
それを見届けた私は、ショウから取り上げたスマートフォンで新井に電話を掛けた。
「おう、どうした」
寝ぼけた声。新井の声は深酒のせいかガラガラの状態だった。
「新井さんだな」
「誰だ、てめえ」
「あんたを助けてやる人間だよ」
「なに言ってやがるんだ。これはショウのスマホだろ。お前、ショウをどうした」
「そんな話をしている時間はないんだ、新井さん。いま、あんたの部屋に女帝が兵隊を引き連れて向かっているぞ」
「はあ? なにを言ってんだ、お前」
「すぐに部屋を出ろ。エレベーターは使うなよ。やつらが乗っている」
「おい、ちょっと待て、お前、何を」
「もう一度いう、時間がない」
それだけを言うと、私は電話を切った。
あとは新井がどれだけ運を持っているかということだ。
もし、新井が女帝から逃げることが出来れば、マンションを出てきた新井を拾ってやる。ダメであれば、それはそれで新井の運命ということだ。
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