女帝 第3話

 待望の連絡が来たのは、二日後のことだった。

 この二日間、携帯電話は沈黙を貫いており、書類の整理をするだけの日々が続いていた。


「新井って男の目撃情報があります」

 そう連絡をしてきたのは、以前博徒系暴力団組織にいて、いまは足を洗って運送会社をやっている男だった。


「三日前に知り合いが湯島でやっているバーに姿を現したそうです。若い奴をふたり連れていたみたいですから、注意してください」

 その男は用件だけを掻い摘んで伝えると電話を切った。


 男には大きな貸しがあった。その貸しは何度かにわけて返してもらっているが、その貸しも今回の情報でチャラになったといえるだろう。


 その日の夕方、私は新井が目撃されたという湯島のバーに向かった。雑居ビルの地下に入っているバーであり、薄暗い店内には二組ほどの客がいたが、それはどちらも新井ではなかった。


 カウンター席に腰をおろし、グラスビールを注文した。

 店の人間に新井のことを聞くようなことはしなかった。情報をくれた男にも、店側にも迷惑はかけたくはない。そう考えたからだ。


 ビールを少しずつ飲みながら、新井が店に現れるのを待った。

 本当に新井が店に現れるかどうかはわからなかった。あるのは、何日か前にこの店で姿を見かけたという情報があるだけだ。


 しばらくすると、騒がしい一団が店に入ってきた。

 さりげない様子でその一団に目を向けると、金髪の若い男がふたりと髪の長い女がひとり、そして頭をツルツルに剃りあげた中年男の四人組だった。

 よく見るとスキンヘッドの男は新井だった。写真で見た新井は薄くなった髪をオールバックにしていたが、偽装工作のつもりなのか目の前にいる新井は髪をきれいに剃りあげて、顎ひげを蓄えていた。


 新井たちは奥にあるボックス席を陣取ると、騒ぎながら酒を飲みはじめた。

 先にいた二組の客は新井たちのガラの悪さに、早々に勘定を済ませて出て行ってしまった。金髪のひとりは入店時には着ていた長袖のトレーナーを脱いでタンクトップになり、手首まで入っている刺青を見せている。

 店員は何も言わなかったが、迷惑そうにしていることは間違いなかった。


 そろそろ、潮時だろう。

 私は瀧川に連絡を入れるために席を立ち上がろうとしたが、金髪の発した言葉にその動きを止めた。


「アニキ、あのニトリってやつ、本当に殺るんですか」

「当たり前だろ。そうじゃなきゃ、金はもらえねえんだ」

 確かにこの男たちはニトリと言った。聞き間違いではないはずだ。ただ、ニトリという名字というだけで、その人物が追っている似鳥陽平であるかどうかはわからない。


「一〇〇〇万だぞ、一〇〇〇万」

 下品な笑い方をしながら、新井が女の肩を抱く。


「おい、ショウ。お前は飲みすぎるなよ。明日、運転をしなきゃならねえんだからよ」

「わかってますよ。運転するっていっても、千葉じゃないですか。そんなのすぐですって」

 ショウと呼ばれた金髪入れ墨の若者はふてくされたように言うと、グラスの中にあった焼酎を一気に飲み干した。


「それにしても、そのニトリって野郎は何をしたんですかね。一〇〇〇万の賞金が懸けられちまうなんて」

「さあな。どっかの大学で教授だったって話だが、なんとかコインってやつで詐欺まがいことをやったとか言ってたな」

「よくわかんないですけど、きっと怒らせちゃいけない人を怒らせてしまったんでしょうね」

 もうひとりの短く刈り込んだ金髪が笑いながら言う。


 私はそこで勘定を払って席を立った。

 ニトリという名字で大学教授、なんとかコインに関係しているとなれば、似鳥陽平以外に思い当たる人物はいなかった。こいつらは似鳥陽平の居場所を知っているということになる。


 勘定を済ませて店を出た私は隣のビルの陰に身を潜ませると、そこで新井たちが出てくるのを待った。

 瀧川には悪いが、似鳥陽平の居場所を知ることの方が先決だった。似鳥陽平の居場所を知ってからでも、瀧川に新井たちのことを教えることはできる。そう自分に言い聞かせた。


 新井たちが店から出てきたのは、それから一時間後のことだった。

 新井はだいぶ酔っ払っているのか、両脇を金髪の若者たちに支えられながら歩いている。

 新井がひとりになったところを襲って、似鳥陽平の居場所を聞き出すのが一番だろうと考えていたが、なかなか新井はひとりにはならなかった。

 四人は部屋で飲み直そうなどと話している。このままでは、長期戦にもつれ込みそうだ。


 新井たちはバーから十五分ほど歩いた場所にあるマンションの中へと消えていった。

 外からマンションを見上げていると、しばらくして三階の部屋に明かりがついた。


 マンションの出入り口が一つしか無いことを確認すると、私は自分の部屋に帰ることにした。新井たちは明日の朝までは動かないだろう。それまでにこちらも準備をしておく必要がある。


 部屋に戻ると二時間ほど仮眠を取り、再び新井たちの消えたマンションへと戻った。今度は徒歩ではなく、車だった。

 私は車をマンションの入り口が見える少し離れた場所に止めると、新井たちが行動を起こすのを待つことにした。

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