38口径 第2話
私の仕事は金が支払われた時点からはじまっていた。
さっそくパソコンを起動させ、インターネットを使って
検索サイトで似鳥陽平の名前を打ち込んだだけで、似鳥陽平の情報はすぐに見つけることができた。
似鳥陽平は依頼人である白髪の男が話していた通り、帝国大学で助教授を務めていた。
専門はコンピューター工学ということで論文がいくつか出てきたが、内容はさっぱりわからないものだった。
似鳥陽平が帝国大学で助教授を務めていたのは1年前までであり、1年前の4月に退職したと帝国大学のサイトに書かれている。退職理由については特に書かれておらず、似鳥陽平についての情報もそれ以上は見つけることができなかった。
このくらいのことあれば、素人でも知ることができる情報だった。こんな情報に金を支払うような人間はいない。
私はもっと詳しい情報を集めるべく、私は何本か電話を掛けた。
情報と人脈。それが私の持っている探偵としての能力だった。
4本目の電話で、似鳥陽平について詳しい情報を持っている人物に繋がった。
警視庁秋葉原署でサイバー犯罪対策課とかいう部署に所属している
神保町へ来るのは久しぶりのことだった。
以前はよく古書店などを冷やかしで周ったりしていたが、最近はめっきり足が遠のいていた。
店の外まで本が積み上げられている古書店のわき道を入っていったところにある、古い洋館を思わせるようなたたずまいの喫茶店が横川の指定した場所だった。
店内に入ると三組ほどの客がいたが、まだ横川の姿はなかった。
待ち合わせである旨を店主に伝え、店内が見渡せる位置にあるテーブル席に腰を下ろすとホットコーヒーを注文した。
大汗をかきながら横川が現れたのは、ホットコーヒーをひと口飲んだ時だった。
「すまん、遅くなった」
そこまで気温は高くないはずなのに、この男は額に汗をかき、小脇にジャケットを抱えていた。
横川は店主にアイスコーヒーを注文すると、その巨体を椅子に着地させた。
「仕事中だったのか」
「勤務中だったが、仕事中ではなかったよ」
「そうか。それならいい」
「まさか、あんたから似鳥陽平の名前を聞くことがあるなんて、信じられなかったな」
額にかいた汗をハンカチで拭いながら横川がいう。
「これも仕事だ」
「それで、似鳥陽平について、どこまで調べたんだ」
「まだ何も調べちゃいないさ。インターネットで名前を検索しただけだ。似鳥陽平が帝国大学の助教授をやっていたというところまではわかった」
「そうか。じゃあ、マナブ・ニシムラについてはどうだ」
横川は知らない人物の名前を挙げた。
「誰だ、そいつは」
「なるほどね。じゃあ、マジック・コインはどうだ」
「それなら名前ぐらいは知っている。仮想通貨とかいうやつだろ」
マジック・コインといえば、少し前に話題になった仮想通貨のことだった。
最初の頃は数千円で取引されていたマジック・コインがいまでは市場価値が高まり数百万で取引されているとかいった話題だった気がする。
「正確には仮想通貨というよりも暗号資産というやつだな。まあ、そこの細かいところはどうでもいい。マナブ・ニシムラはそのマジック・コインを生み出した人物だとされている」
「あれは日本人が作ったものだったのか」
「どうだろうな。マナブ・ニシムラは正体不明だ。日本人であるのか、男であるのか、個人の名称であるのか、それとも組織の名前であるのか、全てが謎だ。マナブ・ニシムラの正体についてはネット上で色々な憶測が飛び交っている。中には人工知能なのではないかという説もあるぐらいだ」
横川は得意な話になると少し早口になり、一気にまくし立てて話す癖があった。
私はその横川の発言に対して、相づちを打ちながらもわからないところは質問するようにした。
「よくわからない話だな。それと似鳥陽平がどう繋がるんだ」
「まあ、焦るな。順を追って話していくから。一年前ぐらいかな。ネットの匿名掲示板でマナブ・ニシムラの正体が似鳥陽平だって話が流れたんだ。何でも似鳥陽平の論文に出てきた文章とマナブ・ニシムラがネットで発表した文章がそっくりだとかでな。その話を嗅ぎつけた週刊誌が直接取材で似鳥陽平に問い掛けているんだよ。『マナブ・ニシムラと同一人物だって話がある』って、な。これに対して、似鳥陽平は否定も肯定もしなかった」
「もし、似鳥陽平がマナブ・ニシムラだったらどうなんだ」
「似鳥陽平が世界の流れを変える力を持っているといってもいいかもしれないな。マジック・コインってやつは金銭に関する世界をひっくり返したっていってもいいような仕組みなんだ。全世界共通の通貨であり、マジック・コインを使えば世界中の誰とでもオンライン上で取り引きをすることが可能なんだ。わざわざ銀行を通す必要がない金がそこには存在するってわけだ」
「そうなのか」
口ではわかったようなことを言ってみたが、実際に横川が何を言っているのかほとんど理解できていなかった。
「いまのマジック・コインのレートを知っているか。1マジックコインを日本円に換算すると500万だ。噂ではマナブ・ニシムラは1万マジック・コインを保有しているって話だから……。もしマナブ・ニシムラの正体が似鳥陽平なのであれば、とんでもない金持ちになっているだろうな」
気の遠くなるような話だったので、計算はしなかったが、マナブ・ニシムラがかなりの資産を持っているということだけはわかった。
「似鳥陽平がマナブ・ニシムラかもしれないという話はわかった。それで、似鳥陽平はいま何処にいるのか知っているか」
「わからん」
横川は断言すると、アイスコーヒーをストローで一気に吸い上げた。
「わからんって、横川……」
「それを探すのが、お前の仕事なんだろ」
「まあ、そうだな」
「他に知りたいことはあるか」
「いまのところは無い。恩に着る」
用意しておいた封筒を横川の方へと差し出した。ほんの謝礼だ。
「悪いな。また、何かあったら連絡をくれ」
横川はそれだけ言うと、封筒の中身を確認することなくズボンのポケットへと捻じ込み、席を立ち上がった。
喫茶店から出ていく横川の姿を見送ると、手帳を取り出して、いま得た情報を書き込んだ。マナブ・ニシムラ。いまのところ、まったく先の見えない状態だった。似鳥陽平とマナブ・ニシムラ。この二人が同一人物であったところで、この仕事は前には進まない。
まったく面倒な仕事を引き受けてしまったものだ。共通の友人。その合言葉は私を地獄へと引きずり込もうとする。いつだって面倒事に首を突っ込む羽目になるのだ。
ため息を吐きながら手帳をしまうと、まだカップの中に残っていたコーヒーを飲み干して、席を立ち上がった。
店を出た後、事務所に戻って仕事の続きをしようかとも考えたが、どうにもやる気が出なかった。
せっかく神保町まで足を延ばしたのだ。どこかで一杯飲んで帰るか。そんなことを考えながら、私は路地裏へと足を向けた。
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