探偵稼業

大隅 スミヲ

38口径

38口径 第1話

 その男がやって来たのは、雨の降る金曜日のことだった。


 朝から何もやることのなかった私は事務所で椅子の背もたれに身体を預け、窓ガラスを濡らす水滴の様子を眺めていた。


 ビルの廊下に設置してある人感センサーが働き、甲高い電子音で来客を知らせた。私は緩めていたネクタイを締め直すと椅子に座り直して、訪問者が事務所の扉の前に立つのを待った。


「こちらは探偵事務所でよろしいでしょうか」

 開けっ放しにしてある扉のところから声を掛けてきたのは、仕立ての良いスーツを着た白髪の男だった。

 歳は五十代後半といったところだろうか。銀縁の眼鏡を掛け、口ひげを生やしていたが、綺麗に整えられているため清潔感があった。

 傘は持っていないようだったが、男の背広や靴はほとんど濡れてはいなかった。もしかしたら、送迎の車がいるのかもしれない。

 私は男のことを観察しながら、金の匂いを嗅ぎ取っていた。


「どうぞ」

 男に来客用のソファーを勧めると、私も応接セットの方へと移動した。

 応接セットはローテーブルと革張りのソファーだった。事務所を開く際にリサイクルショップをやっている友人から格安の値段で譲ってもらったものを何年も使っていた。


「それで、どういった御用件でしょうか」

「こちらは人捜しが得意な探偵事務所だと聞きましてね」

「どちらで、その話を」

「共通の友人から。そう言えばわかるかと」

 男は頬を緩めるようにして言った。


 。それは特定の依頼人にだけ伝えられる合言葉である。金にはなるが、面倒ごとであるという証拠。それがであった。


「それじゃあ、断れないな。それで、どんな案件だ」

 共通の友人という言葉を聞き、私は口調を変えた。

 共通の友人からの紹介であれば上客であることは確かだが、丁寧な口調を使う必要はなかった。

 相手もそのことは心得ているようで口調を崩して話して来た。


「捜してほしいのは、この男だ」

 白髪の男はそういうと、一枚の写真をテーブルの上に置いた。


 写真には、黒ぶち眼鏡をかけた細面で気真面目そうな中年男がいた。男は証明写真の様にこっちをまっすぐ見据えている。


「名前はニトリヨウヘイという」

「ニトリ……。どういう字を書くんだ」

「似鳥陽平。元帝国大学の助教授だよ」

 白髪の男は革製のビジネス鞄から取り出した新聞記事の切り抜きをテーブルの上に置いた。

 記事には仮想通貨だとか暗号資産といった言葉が並んでいたが、それはどちらも私には縁のない言葉だった。


「実施期間は一か月。それ以上掛かるようであれば、全ては忘れてもらう」

「連絡はどこへすればいい」

「共通の友人にしてくれ」

「わかった」

「それとこれは手付金だ」

 白髪の男はそういうと、銀行の名前が入った封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。分厚さからしても100万は入っていそうだった。

 この中には口止め料も含まれているのだろう。そう思いながら、私は封筒を受け取った。


「では」

 軽く頭を下げて、白髪の男は席を立ち上がった。

 ソファーに座ったまま私は事務所から出て行く男の後ろ姿を見送ると、封筒の中身を確認した。入っていたのは銀行の帯が着いたままの札束だった。全部で100万。

 今回の調査でどのくらい経費が掛かるかはわからないが、足が出ないことを祈るしかなかった。


 100万のうち半分を手提げ金庫に収めると、残りの半分を封筒のまま上着のポケットへと収めた。

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