第8話 新しい約束
下駄箱を開けて落ちてきたそれが、最初は恋文だなんて少しも思わなかった。今どきラブレターなんて古いし、私を恋愛的に好きになる人なんているわけないと思っていたから。
誠実な文章で綺麗な字だったから悪戯には思えなかった。それを彼方と美鈴に相談すると、かなり慌てた様子を見せた。二人にどうするつもりかと聞かれたので、取り敢えず行くつもりだと伝えた。流石に気を遣ったのか返事をどうするかまでは聞いてこなかった。
午後に来る予定だった海香は、仕事が長引いたのか来ることはなかった。これについて連絡を入れた方がいいか迷ったけど、なんとなく辞めた。
そして約束の放課後。屋上の扉を開けると、そこには一人の青年がいた。脳内検索をして彼を思い出す。去年、文化祭の展示の製作を一緒にやった子だ。
「来てくれたんだ」
「まぁ……。恋文なんて古風だね」
返事に困って冗談半分に思っていたことを伝える。すると彼は顔を赤くして、やってしまったと手で顔を覆った。
「と、ともかく。改めて伝えさせて欲しい。島本さんのことが好きだ。俺の恋人になって欲しい」
彼は私の目を真っ直ぐ見て誠実に伝えた。
彼は背が高くて結構イケメンだ。運動部らしく健康的な肌色で、ガッチリしてる。文化祭の時も真面目に仕事をしてくれていたし、気が回るから居てくれて助かったことも多い。
普通なら振るのがもったいない男子なんだろう。
けれど何故か、彼への返事の選択肢にイエスは無かった。
「ごめんなさい」
「……そっか」
酷く淡白な返事だ。誠実な彼に対する返事としては、あまりにも。それなのに、彼は何故か納得したように頷いた。
「無理に答えなくていいんだけどさ、俺がダメな理由は何なのかなって」
彼は慎重に言葉を選んでいた。私とはえらい違いだ。
彼じゃダメな理由を必死に考える。私の中にイエスが無かった以上、何かはあるはずだ。誠実な彼への返答には少なくとも理由は必要なはずだ。
「海香……」
告白のことを知らないし、今学校にすらいない私の幼馴染の名前が何故か出てきた。それが無意識なうちに私の口からこぼれ落ちる。
「やっぱりかぁ……うん。答えてくれてありがとな」
私の中では全く納得できていないのに、彼ばかり納得している。それにはどうにも、喉の奥になにかがつっかえたような気持ち悪さがあった。
「時間取らせてごめんな。それじゃあ、えっと、また?」
立ち去る時、彼はどう言えばいいのか困ったのかハテナを浮かべたまま言葉を紡いだ。納得ばかりだった彼にも分からないことがあるんだと、少し余裕ができる。屋上に吹く風は暖かい。けれど乾いた心にとってはそれが痛かった。
さっき私の口からこぼれた海香の名前。その理由は何かと思考を巡らせる。
海香は私の幼馴染だ。その関係に特別なことなんて……いや、一つだけあった。海香と私の間にある特別。
あの雨の日の約束。
『ずっと私を見てて』
『世界のどこにいたって、私は海香を見てるよ』
この約束が普通でないことくらい分かる。けれど、これくらい強い約束じゃないとあの時の海香は救えないと思ったから。
『この世界から消えたいなら、一緒にこの川に飛び込んであげる』
死を連想させるその言葉。あの時の私は、海香が救えるならそうなっても構わないと本気で思っていた。
……なんで?
今更ながらあの時の自分に違和感を抱く。確かに海香は私の大切な親友だ。でも、死んでもいいなんて、そんな、いくらなんでも重すぎる。幼馴染でも、親友でも、その感情を抱くには至らないと思う。
けれど、私は海香のために死さえ許容した。その事実が私の中の認識を歪める。
私にとっての海香は、ただの幼馴染や親友に留まらない存在なんだ。じゃあ、私は海香をどう思っているの?その瞬間、脳裏に彼女の笑顔が浮かんだ。疲れたとか、癒して欲しいとか言って私に甘えてくる彼女の笑顔。胸がキュッと締め付けられる。
そっか、私はこの笑顔を失いたくなかったんだ。
純粋で、キラキラしてて、見つめると心がふわりと浮くような可愛い笑顔。私に甘える時も、甘いお菓子を食べてる時も、楽しそうに役を演じてる時も、彼女が笑うと私の心はふわりと浮いて温かくなる。
この心の熱に名前をつけるのなら……
「私、海香のことが好きだったんだ」
恋、と名付けるのが相応しいのだろう。
ちっぽけで特別な物なんて持ってない私には不相応なこの恋心。今更気付いたところで成就なんてしない事はわかってる。でも、伝えずになんていられなかった。
私と海香の間に特別がある内に、臆病な私がこの気持ちに蓋をしてしまう前に、この恋心は打ち明けなければならない。
驚かせてしまうだろうか、迷惑だろうか、拒絶されてしまうだろうか、そんな不安が胸の奥から湧いてくる。海香との関係が壊れてしまうかもしれない、周囲から変な目で見られるかもしれない、そんな恐怖が私の足を絡め取ろうとする。
そんな気持ちを、なけなしの勇気を振り絞って蹴散らす。
ようやく気付いた恋心を見て見ぬ振りなんてしたくない。もっと海香と特別を作りたい。
私にとっての海香は、大好きで、大切で、ずっと一緒にいたい人なんだ。
その決意と共に足を踏み出そうとした瞬間だった。
バタン!と勢いよく扉が開き、顔を真っ赤にして泣いている海香が私の胸に飛び込んできた。なんで泣いているのか、どうして屋上に走ってきたのか、いろんな疑問が湧いてきて処理できない内に海香がこう叫んだ。
「卯月が好き、大好きなの。だから私のそばから離れないで!」
最初は信じられなかった。だって、あまりにも私にとって都合が良すぎるから。
でも、私の胸の中で泣いている女の子は確かに私がよく知る大空海香で、大粒の涙を流して顔をぐちゃぐちゃにして泣いている彼女の言葉が嘘だなんて思えなかった。
私を掴む彼女の手に力が入る。それはプルプルと震えていて、触れたら消えてしまいそうなほど儚く見えた。
そっか、海香も同じだったんだ。あぁ、嬉しくて、嬉しすぎてどうにかなってしまいそうだ。感情のままに私も彼女を強く抱きしめる。
海香には有名人としての立場とか責任とかがある。告白するのに私の何百倍も覚悟が必要だったはずだ。今もきっと、怖がりながら返答を待っているに違いない。
早く安心させてあげないと。もう、答えは決まりきっているのだから。
「私も海香が好き。だから海香から離れたりなんかしないよ」
その言葉を聞いて、彼女の震えが止まる。そして私の胸に埋めていた顔を上げて、何かを確認するかのように私の目を見つめる。
「ほ、本当……?」
「海香に嘘なんかつかないよ」
「う、うづ……うわぁぁぁぁん!」
いろんな感情が決壊して海香の瞳からさらに涙が溢れてきた。彼女を落ち着かせるためゆっくりと腰を落として床に座り、優しく彼女の頭を撫でる。
ずっと胸に抱いていた気持ちを、お互いの存在を、成就した恋心を確認するように抱き合う。
そうやって彼女の熱に触れたものだから、彼女みたいに感情が溢れてしまうまでそれほど時間は掛からなかった。
「卯月」
「なぁに?」
「好き」
「私も好き」
「……えへへ」
涙が枯れて落ち着いた頃、二人きりの屋上で甘いひと時を享受していた。海香の指を絡め取って抱き寄せる。彼女はその全てを受け入れて、されるがまま私の胸にポスンと落ちた。
「両想いなんて夢みたい」
「それはこっちのセリフ。卯月、鈍感だもん」
「うん。海香のことがこんなに好きなのに、さっきまで気付かなかったんだし。でも、もう安心して」
海香の柔らかい頬に触れるようにキスをする。するとそこから朱色が広がって、可愛い彼女を染め上げた。
「これからはいっぱい好きって伝えるから」
「……うん」
朱に染まったまま、彼女は幸せそうに頷いた。
「これからはずっと一緒に居てね。約束よ?」
「うん。一生海香のそばにいるよ」
晴れ渡った空の下、温かい春風に吹かれながら私達は新しい約束を交わした。
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