第三章【現実の体温】

 珍しく晴れ渡った空を見せたある日、祖父が家に訪れた。持って来た菓子折りを母に渡した後、祖父は僕の部屋に入った途端に一点を見据えて足を止めた。


「……その鳥は?」


 祖父の視線は僕の机の上に注がれていた。机の上には籠に入った鳥が二羽。祖父がそのどちらを指して尋ねたのかは、僕は聞かずとも分かっていた。けれども、どう説明すればいいのか分からず、返事に詰まったまま僕は立ち尽くしていた。覚えの無いメールが届いて、そしてその鳥が窓から入って来たなどと正直に言っていいものだろうか。


 悩み沈黙したままの僕の心情を知ってか知らずか、


「触れてもいいかい」


 と、祖父は言った。


 僕が肯定すると祖父は静かに片方の籠の入り口を開けた。静かな室内に、キイ、という乾いた小さな音が響いた。


「これは……」


 橙色の鳥に触れた祖父は驚きが凝縮された声を発した。生きている鳥だと分かったに違い無かった。僕は、何をどう話したらいいものか先程よりも更に悩んだ。


「この鳥が生きていると、知っているのか」


 祖父は僕を振り返り、やはり驚愕の詰まった声で今、触れている事実をかみしめるかのようにゆっくりと言った。その声は心なしか震えているような気がした。その声に押されるようにして、僕はためらいがちに短く肯定の返事をした。


「そうか。知っているか」


 祖父は橙色の鳥へと向き直り、どこか満足そうに二、三度頷いた。そして再び訪れたわずかな静寂の後、祖父は静かに言った。


「この鳥と触れ合える機会が持てたことを大切に思うことだ。必ず、お前に何かを伝えてくれるはずだから」


 愛おしむように鳥を撫でた後、祖父はそっと籠から手を引き、入り口を閉めた。先程同様、キイ、という乾いた音がした。


 未だ立ち尽くしたままだった僕のそばに寄り、祖父は僕の頭の上に手を置いて優しく笑った。


 生きている鳥が僕の部屋にいる、それについて祖父は追及しなかった。僕は安堵しつつ、祖父の手の温かさを感じていた。そして、祖父の言った言葉を頭の中で繰り返していた。


 ――そういえば以前、一度だけ母に聞かれたことがあった。


 橙色の鳥を指差し、


「それ、どうしたの?」


 と、それほど不思議そうでは無い口調で。


 咄嗟に「友だちから貰った」と言ってしまった僕は、すぐにその軽率さを後悔した。


 しかし母は疑うことも無く、


「そう」


 と言い、


「良く出来ているのね」


 と付け加え、階下へと下りて行った。


 あの時、この鳥が生きている鳥だとは少しも思っていないようだった。鳥に限らず他の動物も、母の頭の中では「いないもの」になっているのだろうか。もしも、祖父にも「友だちから貰った」と答えていたらどうだっただろう。祖父は橙色の鳥の体温に、触れること無く気が付いただろうか。


 浮かんだ疑問のうち、ひとつはすぐに消えた。あの時、祖父は鳥に触れる前から生きている鳥だということに気が付いていたような気がする。ショッピングセンターで売られている機械仕掛けのそれでは無く、赤い血の流れている鳥だということに。


 祖父は、本当の命を宿した動物を多く見てきた世代のうちの一人だ。祖父にとっては、今の現実の方が信じ難いものなのかもしれない。自分の目で、目の前で生物を見ることが叶わない現代の方が。


 窓の外に広がる街の中を、犬や猫が歩いている。緩やかに流れる川の中を、魚が泳いでいる。そして円く鮮やかな青空を、たくさんの鳥が飛んでいる。僕はそんな夢のような街を想像しながら、その夜は眠りについた。すぐそばで、鳥のさえずりを聞いたような気がした。

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