第二章【不思議な現実】

 一週間に一、二回、僕の元にはあのメールが届けられた。


「お買い上げから、ひと月が経ちます。御返品されなかったことを心から嬉しく思います。ほんの五十年ほど前には、そのように生きている鳥が大空を飛んでいたのです。鳥だけでは無く、犬や猫は街に、草原にはライオンやトラやシマウマ、多くの動物が多くの地を、世界中を闊歩していたのです」


「毎日世話をされていますか? 餌や水を絶やすと鳥は弱ってしまい、病気になる時もあります。機械仕掛けで動く鳥と、心臓や脳を中心として生きる命ある鳥との違いのひとつですね。生きている鳥の中は心臓から送り出される赤い血液が巡り、数え切れないほどの細胞が活動し、呼吸や消化など、生きる為の活動を支える力で満ちています。ネジやデータチップや半導体、電子回路では無く、すべてが生命として動いているのです」


 送られて来るメールの内容は、きっと当たり前といえば当たり前のことだろうと思う。けれど僕にとっては目の覚めるようなことばかりで、新鮮で、魅力的なことばかりだった。生きている鳥は僕を惹き付け、心を動かし続けた。まるで夢のような、夢では無い現実が僕の中には流れて止まなかった。


 日々、その小さな鳥への僕の感動が薄れることは無かった。存在そのものが驚きであり強い興味であり、温かい喜びだった。


 小さな鳥は全体的に濃い橙色をしていた。頭や胸、尾は橙色で、お腹の辺りは白く、少しの淡い水色が混じっていた。翼は赤褐色せきかっしょくくちばしは暗めの茶色、そして丸い小さな黒い瞳。さえずる声は、やや高く、終わりの方は丸まっていくような印象を受けた。小さな体からは想像も付かなかったほど、高く力強さすら感じられる声で鳥は鳴いた。


 手のひらに乗るほどに軽い小さな鳥なのに、その体の隅々にまで血液を走らせ、息をしている。あのメールにあったように、全身で生きる為の活動をして、生きている。だから体が温かい。


 何となくだけれど分かった。あの温かさは生きているものだけが持つ、命の証だ。生あるものが持つ優しい体温だ。僕にも体温はあるのに、それが生きているということだと気が付いたのは、この時が初めてだった。


 誕生日に祖父から貰った機械仕掛けの鳥が、僕の隣でいつものように歌った。その歌声はいつも通りに美しく、その姿もいつも通りに綺麗だった。変わらない歌声、変わらない姿。エメラルドグリーンの輝かしい両翼も、万華鏡のように色彩が変化する虹色の瞳も、それらは作られた美しさだと僕は思った。人が作った芸術アートとしての美しさや精巧さ、緻密さがあっても、そこに命の光は無い。虹色硝子の瞳にも命の光は無い。もちろん体温も。


 機械の鳥と生きている鳥は、別々の美しさだ。こんな風に思ったことも考えたことも無かった僕は、自分で辿り着いたその考えに少なからず驚いていた。


 ――僕は、今まで人間以外の生きている命に触れたことが無い。現代に生きる、ほとんどの人がそうだと思う。数少ない生き物の半分以上が政府の保護下に置かれていて、野生の動物なんて目にしない方が普通であり、それが僕らの日常だ。富豪の人たちの中には犬や猫を飼っている人もいるらしいけれども、それは本当にごく一部の話だ。


 僕は、改めて橙色の小さな鳥に会えたことを嬉しく思った。史料や映像では無い、本物の鳥に出会えたという大きな感動が僕を包んだ。どんなに人づてに話を聞いても、多くの文献を読み、映像資料を見ても、きっとこんなに大きな感動は無いだろう。授業で聞いた時には深く気にしなかった、「生きている」動物。「生きている」生物。


 たとえば鳥について書いてある一冊の本があって、もしもその本が世界中で一番素晴らしいものだとしても、その本を読んだ時の心の動きは今の僕の心にはかなわない。本物の命に触れた心には、きっとかなわない。

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