第一章【届けられた不思議】

 十五の誕生日から、一ヵ月が過ぎようとしていた。祖父から貰った鳥は、あれから少しも変わらず僕の机の上で光り輝いている。エメラルドグリーンの羽も体も、丸い虹色の瞳もそのままに、きらきらと綺麗に光っている。流れるように美しくさえずる歌声も変わらなかった。


 その歌声を聴きながらパソコンを起動し、メールボックスをチェックすると一通のメールが届いていた。そのメールは「選ばれたあなたへ」と題されていて、良くあるダイレクトメールのたぐいだと思った僕は、開封せずに削除しようと思った。しかし、そのメールはどうしてか自動的に開封されてしまい、瞬時に内容が画面に映し出された。


「おめでとうございます。あなたは箱を開けるチャンスを手にしました。あなたの御要望に反していた場合、御返品も可能です。明日の朝日が昇る頃にお届け致します」


 二回読んでみても、その意味は分からなかった。覚えも無いので、僕はそのままメールを削除した。「明日届ける」ということが気にはなったけれど、もしも何か変なものが届いたなら受け取りを拒否すればいい。


 そう考えて、ふと鳥を見ると、部屋の窓から差し込む光を受けて更に美しく光り輝いていた。エメラルドの粉をまぶしたような、まばゆく曇りの無い輝きだった。





 あのメールが届いた翌日、僕はいつもより早く起きてしまった。ブラインドの隙間から見た外は、まだうっすらと暗く静かな眠りの街だった。


 差出人にもアドレスにも、もちろん内容にも全く覚えの無い、あの怪しいメール。肝心の内容ですら何が言いたいのか良く分からず、あの時、僕は困惑した。けれども少なからず気になっていることは確かだった。気になっているからこそ、「朝日の昇る頃」に僕は目覚めてしまったのだろう。


 ひっそりとした薄暗い街の様子は、心の中に立ち込める不安を象徴しているようだった。得体の知れないものが送られて来たらどうしようとか、何も送られてなど来ないかもしれないとか、そもそもあのメールは何なのだろうとか、表面ではそんなことを考えつつも、心の奥で、確かに僕は何かを期待していた。


 このいつも通りの景色に、平淡な日常に、信じられないくらい強い光をもたらしてくれる何か。強い好奇心を揺り起こす何か。きっと、ずっと前から僕はそれを望み、探していた。


 ――その時、小さな音がコツコツと窓ガラスを伝って響いた。不思議に思ってブラインドを上げた僕は、小さな鳥がくちばしで窓ガラスをつついている姿を目にした。


 窓を開けると、それは勢い良く僕の耳の横を突っ切り部屋に飛び込んで来た。振り向いた先では机の上に止まった鳥が視界に入り、僕と目が合ったような気がした。どこかの家の鳥が逃げ出したのだろうかと、僕は鳥に近付きながら思った。しかし同時に、逃げ出すなんてことがあるだろうかとも思った。どこかが故障しているのかもしれないと、その鳥に手を伸ばして触れた、その時。


「え……」


 思わず、声に出していた。それほどの驚きだった。羽音の消えた静かな早朝の部屋で、僕の心臓の音だけが鮮やかだった。


 そっと触れた鳥の体は温かった。それは強い衝撃であり、予想もしていなかった事実だった。僕は右手でその鳥に触れながら、まるで時間が止まったかのように見つめていた。どうして、この鳥の体は温かいのか。どうして。何故。疑問詞が何度も頭の中に浮かんだけれど、答えはぼんやりと分かっていた。ただ、それを信じることが出来なかった。


 その不確かな答えが確信に変わったのは、新たに届けられたメールを読んだ時だった。


「お買い上げ頂き誠にありがとうございます。お気付きかもしれませんが、その鳥は生きています。毎日必ず、餌と水を与えて下さい。なお、餌と籠をこちらでお求めの際は、その旨をお書き添えの上、こちらのメールに御返信下さい。無料で差し上げます」


 改めて見てみても、やはり差出人にもアドレスにも覚えは無かった。それ故に不信感は募る一方だった。


 けれども、僕はそのメールに従って餌と籠を購入した。メールを返信してから数時間後にそれは届けられ、その迅速さに驚いてしまった。


 生きている鳥の餌は普通のショップでは売っていないし、売っていたとしても、とても僕には買えないほどの値段だということは安易に想像が付く。だから無料で餌が届いた時は戸惑いながらもホッとした。


 餌と籠が入った小包の差出人欄は空白だった。でも、それよりも僕は生きている鳥の存在の方がずっと気になっていた。


 小さな鳥は、その小さな嘴で餌を食べ、水を飲む。体は温かい。それらが伝える「生きている」という事実は、本当に信じられないくらいに驚くべきことだった。そして、目の前に生きている鳥がいるという鮮やかすぎる現実が、僕の心を完璧に捕らえて離さなかった。


 今まで、写真や映像でしか見ることが出来なかった、現代に本当にいるのかも分からなかった、不確かで不鮮明だった生き物――生きている鳥。すぐそばにいる鳥の命の音が、聞こえているような気がしていた。

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