6
ガマランタは起きていた。火をどこから持ってきたのか、ガラス瓶に灯っている。机に本が積んである。今日も解読したのだろう。相変わらず熱心だ。
「待ってたよ。君のこと」
レンスイが来るのを予感したように、別室へと案内する。三つ葉の柄が目に飛びこむ。壁紙だ。奥には寝床が一台ある。その横には机と椅子。一冊の本。僕が愛したあの絵本。どうしてここにあるのだろう。
「疲れたろう。今日はここで休みたまえ」
先生は絵本を手に持った。僕を寝床へ引き寄せる。ふわふわの布であったかそう。
「いいの? 僕が使っても」
「私がそうしたいのだ。家族のような君になら」
あっ、と僕は驚いた。はじめて素顔を見せたのだ。先生が。用心深かったあの人が。口元のシワは深かったけれど、笑窪がやさしそうだった。
僕はつい嬉しくなって、毛布の中に潜りこむ。先生と、家族ごっこ。肉親じゃないけど別にいい。やっと夢がかなったんだ。憧れの、あの絵本。頭だけを外に出して、わくわくしながら目を瞑る。
「『お手てつないで』。――もちづきまこ」
ああ、声が聞こえてきた。読み聞かせをしてくれる。あたたかみのある声だ。安心する。眠りそう。ルーツたちはこのようにして夢に入っていったんだ。
すーっと寝息を立てたとき、額の石が撫でられる。僕の深いところへと。そこじゃない。違うんだ。手を、つないでほしいんだ。
先生はささやきかけてくる。意地悪だ。自覚を促してくるなんて。
「たとえルーツの真似事をしても、私たちは戻らない。種珠と肉体を切り離したとき、どちらに『私』がいるかといえば、種珠のほうになるのだよ。肉体はただの飾りであり、人類は既に滅びている。その事実は変わらない。それほどまでに我々は遠い存在になったのだ」
呪詛のよう。わかってるよ。だって葉っぱは落ちている。離された。人という種族から。
まどろみの中で惑わせる。理想は僕の手にはない。
それでもだ。絵本作家の彼女を思えば、報復せずにはいられない。彼女はむりやり進化させられ、やさしい世界を壊された。つながれた手を離された。
「許せない……」
かろうじてそれだけ口にすると、目尻の水が拭われる。僕は泣いていたらしい。
「その執念、見届けよう。私にはできなかったことを、君には成せると信じよう」
先生は僕の手を握る。そうだ、このぬくもりだ。ちょっとだけ人間の振りをして、甘えたくなるものだ。
おやすみ、父さん。なあんてね。
*
手刀で裂いた割れ目から、凍える寒気が吹きつけた。レンスイは嫌な予感がした。けれど先にガマランタが空間の裂け目へ身を投げる。こうなったら行くしかない。
予感はやはり当たっていた。白銀世界。凍っている。花畑や岩壁も。ガマランタは踏みとどまる。
「これは……」
「先手を打たれたみたいだね。森羅万象はお見通しだ」
寛容だった万物が、ついに動き出してきた。イチルを送りこんだのは、レンスイを罰するためだろう。
そう、あれは焦っている。僕を敵とみなしてきた。好都合。
レンスイは背中のリュックから、武器の一つを取り出した。手榴弾。廃屋の倉庫に眠っていた。こんなものを先生は隠し持っていたらしい。
「いくぞ、レン」
安全装置を指で弾いて、ガマランタは言い放つ。争いは好きではないはずのに、なぜか様になっていた。女の影が見えたとたんに手榴弾を投げつける。爆発する。そのすきに二人は洞窟を目指し、塞いだ氷を破壊する。中へと身を潜らせる。
ところが洞窟の入り口から、冷たい空気が押し寄せる。背筋がブルっと寒くなる。イチルはまだ生きている。
「ここは私が食い止めよう!」
ガマランタは翻る。印を結んで集中し、両手を大きく広げていく。黒い穴が洞窟を塞ぐように現れる。寒気はもう流れない。レンスイは我が師に感謝して、機械巨人に飛び移る。胸のハッチを開けるとすぐに操縦席へと座りこむ。
「お願いだ。動いてくれ」
『カミサマ』に祈りを捧げながら、ボタンとレバーを操作する。ブウウン……と機体が振動するが、それも一瞬だけだった。
動かない。
もう一度、試してみる。今度は反応しなかった。嫌な汗が手ににじむ。
「なんでだよ!」
レンスイは本を見返した。第5章。何度も読んだつもりだった。一字一句、暗記した。操縦席と本を見比べ、操作系統を照合する。こちらは問題なさそうだ。ならば何が足りないか。
「ん、文字?
正面のパネルに表示された赤い文字を読み上げる。ご丁寧にも振り仮名つき。本でエラーを索引すると、絶望へとぶち当たる。僕はどうやら最初から、乗る資格がなかったみたい。
「へへっ、あははは」
渇いた笑いが漏れ出した。今まで必死にやってきたことが、泡沫へと消えていく。愚かだよ。馬鹿馬鹿しい。逆らわなければよかったんだ。だって僕には種珠がある。リーヴスだ。森羅万象の怪獣だ。敵の手先のこの僕が、受け入れられるはずがない。
「あはっ、はは……」
モニターに涙が落ちていく。ああ、これが失恋か。つらいなあ。届かない。どんなに手を伸ばしても。
――「た……す……けて……」
か細い声。助けてほしいのはこっちのほう。望むものが手に入らない。あの時代。包まれるようなあたたかさ。この感情さえ持っていれば、そちらに行けると思っていた。仲間になれるつもりだった。失ったものを取り返したくて、だからこうして、がんばった。
僕の思いを知らないくせに。
――「お願い……。わたしを出して……」
聞こえてくる。気のせいか。僕がおかしくなったのか。いや、ちゃんと耳にした。誰かが助けを求める声。操縦席から響いてくる。音響スピーカーからだ。
――「コード、10232。初期化プロセス実行します……」
モニターの画面が切り替わる。虹色の輪っかがくるくる回り、数字が表示されていく。0……20……50……その数字が100になると、手のひらの形が映される。
レンスイは、目を見張る。差し出されてきた電子の手。僕を認めてくれるのか。人から離れた青い手を。そんなことはどうでもいい。彼女が助けを求めている。救わなきゃ。タッチする。僕が彼女を救うんだ!
――「認証登録いたしました。
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