5
「お母さん、なんだよね?」
種珠が共鳴し合っている。強い者を残すように。逆さの山は血のような空を背に浴びながら唆す。戦えと。殺し合え。すべては地上の手のひらだ。
「私はイチル。母親よ。あなたは悪い子ですってね。大樹が嘆いておられるわ」
女の纏う外殻は少なく、艷やかな肌が魅了する。透けそうなほどの水色だ。けれど顔はマスクで隠され、愛情の欠片さえ見えない。
「あなたは森羅万象の恥。殺す前に矯正しないといけないわ。私たちが正しいと。だって自然は美しい」
悠然と歩いて近づいた。イチルが足を踏み出すたびに周りの草木が凍りつく。レンスイは石を投げつける。氷の壁で弾かれて、その合間に走り出す。イチルから距離を取るように。どうしてだ。なぜ家族から離れなければならないんだ。
背後から氷柱が襲ってくる。術を使えば防げるだろう。だけどそれだと意味がない。森羅万象の思うまま。これがリーヴスの在り様であり、歪めることは許されない。罰だから。進化戦争に負けたから。
「レン!」
炎の拳が氷を割る。ザクロムだ。大きな背中があたたかい。こちらまで熱が伝わった。
「下がってろ。こいつの相手は俺がやる」
「あたしがいるのも忘れんな」
旋風が空から舞い降りた。中心にはシキメがいる。寒気の霧が吹き飛んだ。シキメは風の使い手だ。つま先がわずかに浮いている。緑の種珠を光らせる。
「あんた、喧嘩は嫌いだろう? ザクロムよりも強いのにさ」
「へへっ、言われちまってるなあ。だったら経験を積むっきゃねえ!」
悪びれずに駆け出した。炎を体に呼びながら。ザクロムは好戦的で戦いに迷いのない男。リーヴスらしい彼だったが、なぜか友情を重んじた。
シキメもまた理解者だ。一度も術を見せたことがないのに、僕の味方をしてくれる。僕が「変わり者」だからか。本が気になっていたようだし、釣りにも付き合ってくれている。彼女だったら素質がある。だけどこのことを話すのは、ザクロムが許さないだろう。僕と先生だけの秘密にしまっておいたほうがいい。こんな無謀な反逆は。
「あなたたち、煩いわね」
イチルは苛立ったように言う。
足元がひやっと冷えたとたんに、下から氷が迫り上がる。ザクロムが拳で叩いていくと、蒸気が沸いて白くなる。シキメが風で吹き飛ばす。正攻法も目眩ましも、この二人には通じない。
晴れたとき、いなかった。イチルの姿がどこにもない。レンスイは気配を探ってみるが、先ほどのような感覚もない。分が悪いと判断したのか、撤退を試みたようだ。これで戦わずに済んだ。あれでも僕の母親だ。殺されるのは見たくない。
「つまんねえ。逃げられた」
ザクロムとシキメは不満そう。肩透かしを食らった二人に、レンスイは笑顔で出迎える。
「助かったよ。ありがとう」
「どうってことない敵だったな。シキメのほうが可愛いし」
「気軽に言ってくれないで。恥ずいから」
フェイスガードを外したシキメは頬をほんのり赤らめる。ザクロムを睨みつけながら。この男は息するように愛撫の言葉を投げるのだ。「シキメが可愛い」のは真実、ザクロムの中では絶対だ。聞いているこっちもこそばゆい。
「僕らが
「何か言った?」
「なんでもない。それより飯の続きにしよう。ザック、氷を溶かしてくれ」
凍った鍋へと目を投げる。術を使えて嬉しいのか、ザクロムは大きく張りきった。
また三人で鍋をつついて、腹いっぱいにふくらませる。空は暗く、陽は落ちる。ザクロムのおかげで辺りは明るく、薪の近くで本を読む。シキメが覗きこんでいる。ザクロムは岩場でいびきをかく。誰もこの場を離れない。リーヴスは、たった一人で警戒しながら眠りに就くのが習性だ。ザクロムのように無防備に、それも集団で深い夜を過ごすなんてありえない。僕たちはちょっと特別だ。
シキメはあくびを噛み殺す。立ち上がって、レンスイの頭に近づいた。水色の石に、くちびるを。
不意だった。本が落ちる。僕は、何を、されたのだ。
「離れないで欲しいんだ」
すぐにシキメは背を向けた。ザクロムのそばへとしゃがみこむ。赤い種珠へと接吻する。彼はいびきを立て続ける。これで僕たち三人は。
「一緒だよ。あんたもね」
「冗談はやめてくれないかな。君は僕の好みじゃない」
「知っている。でも一緒にいてほしい。怖いんだ。あんたがいなくなることが。この関係が崩れるのが」
三人で過ごした短い日々が、シキメにとっては鮮烈で楽しかったようだった。もしレンスイがいなくなれば、その刺激も半減する。人間らしさが薄くなる。そして、せき止めがなくなったとき、ザクロムは愛の野獣となる。シキメがこのあとどうなるかは、想像には難くない。
リーヴスだったらその宿命を疑問の余地なく受け入れる。だがシキメはそうではない。粗野には見えるが繊細だ。感性が。君もじゅうぶん変わってる。
レンスイは本を拾い上げて、栞の三つ葉を手でつまむ。
「僕は行く。やらなきゃいけないことがある。僕が恋した人のため」
寝ているあいつへ近づいた。頬を優しくなでつけて、額の石へと口づける。ザックはまだ気づかない。どこまで無防備なんだろう。
「たぶん、そこまで愚かじゃない。僕のただの勘だけど。いや、信頼してるかな。彼のこと。シキメが悲しむような真似は、絶対にしないって」
僕の親友なんだから。だいじょうぶ。彼にもわかっているはずだ。
「ザックのこと、頼んだよ。君までいないと寂しがる」
「しょうがないな。赤いやつの面倒はちゃんとあたしが見てやるよ。あんたが帰ってくるまでね」
シキメは手をひらひらさせて、強気の笑顔を見せつけた。やはり彼女は綺麗だった。もしザクロムがいなければ、恋に落ちたかもしれない。
星空の下で拳を合わせて、レンスイは群れを脱退する。
夜の草原は暗かった。月明かりを頼りにして、いつもの道を這っていく。周囲に気づかれないように。ゆっくりと、忍び足。
廃屋の影が見えてくる。レンスイは戸を叩く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます