4
それからレンスイは本を読む。川沿いに竿を置きながら、魚が来るのを待っている。
「あんた、変わっているよねー。そんなに面白いもんなの?」
シキメが頬杖をつきながら、竿を左右に振っている。見た目の美貌に相反して、粗野でがさつな性格だ。確かにザクロムの恋人にはお似合いともいえるだろう。
数日前から新しくシキメが加わった。
きっかけは花の贈り物。かき集めたのはザクロムだ。彼女はバラを気に入ったのか、素顔をさらして匂いをかぐ。レンスイはほうっと目を見張る。緑に赤はよく映える。絵になるような女性だな。もっとも僕には描けないけど。
「まさかあんたがこんなものを? 本当に?」
「へへっ、親友の受け売りだ。あいつの言葉に間違いねえ。おまえに花はよく似合う。それも赤。俺のような真紅のバラ」
「……ちょっと、考えさせていい?」
自己主張が過ぎるのが、この男の欠点だ。レンスイは笑いをこらえながら、二人の間に割って入る。
「なるほどねえ。ザックが惚れるのも無理はない。確かに君は美しい。僕の好みじゃないけれど」
「なに? 喧嘩売ってんの」
「暴力は、嫌いだよ」
「なに言って……」
「レンはそういうやつなんだ」
指を組もうとした女を、ザクロムは鷹揚に呼び止める。女は訝しむようにして、二人の男を交互に見た。バラの花束を持ちながら。
「あんたたち、仲いいの? 殺そうとは思ってない?」
「ああ、何度も挑んださ。けれどレンには勝てなくてなあ」
へへっ、と笑うザクロムに、女のほうは面食らう。それもそのはず、負ければ恥。他者に敗北を語るなど、リーヴスならありえない。強さを誇りに持つ種族だ。
「よくあんた、生きてるね」
女の問いは恥による自害さえも含まれる。ザクロムはまったく気にしない。
「レンが生かしてくれたんだ。種珠をやるっていうのによ」
「そんなもの僕はいらないよ」
「そうか。やっぱり不味いよな。他のやつらが美味そうに喰うのに、俺だけ変かと思ったぜ」
「……へえ。あんたはそうなんだ」
女は興味を示したように、口の中でつぶやいた。
「そんなこと思いもしなかった。あれは不味い。不味いという感覚かあ」
「あれより美味しいものだったら、いくらだって作れるよ。ザックと友達になってからは、調理法も増えたしね」
「焼いたり煮たり蒸したりな」
ぐぎゅるる〜と、音が鳴る。音階の異なる三重奏。
女は思いっきり笑い、名前を教えてくれたのだ。シキメという。
「美味いものを食わせてよ。あたしはさ、味と香りにうるさいんだ」
両手いっぱいの花束に、シキメは頬ずりして言った。
「逃したぁー!」
竿を上げたら、紐だけだ。魚はかかっていなかった。
シキメは竿を振り回す。
「だあー! イライラする!」
「君は釣りには向いてないね」
「うっさいな。あんた顔はいいくせに、それだと女が寄らないよ?」
「お互い様。君のような短気な女性を好きになるのは彼だけだ」
レンスイは本へと目を落とす。ザクロムとシキメは夫婦の儀式をまだ行ってはいなかった。それどころかシキメのほうは、素知らぬふりをする始末。ザクロムの愛を受け流し、距離を取って接している。悪いこととは言わないが。
むしろ今の関係のほうが、長続きはするだろう。近づきすぎれば引き裂かれる。シキメが大樹で眠ったときには、ザクロムの想いは消え失せる。
リーヴスはそういう生き物だ。呪いを受けて、進化した。
「おーい。いっぱい採ってきたぜー」
ザクロムが帰ってきた。背中のリュックは膨れ上がって、さぞかし収穫できただろう。
「ちょうどいい」
レンスイは竿を引き上げた。紐の先には、黒い斑点に銀のボディ。ニジマスだ。術で漁獲をするよりも、こちらのほうが疲れない。読書しながらできるから。「なによそれ」と、シキメは口をとがらせる。バケツの中身はレンスイの圧倒的な勝利だった。
ザクロムは覗きこみながら、華奢な緑の背中を抱く。
「落ちこむなよ。そういうところが可愛いぜ。大好きだ」
「そういうところがむかつくっての!」
振り向きざまに裏拳を繰り出し、ザクロムの顎にヒットにする。ところがフェイスガードをされて、あまり効いてなさそうだ。隙間から覗いた瞳には、獰猛な獣を感じさせる。ザクロムという男を知っても表情が見えないのは怖い。
「大好きだ」
長い指が、シキメの額に這い寄った。種珠へと触れようとしたときに、レンスイが手首を掴み取る。
「ザック。飯の時間にしよう」
「ん。ああ、そうだったな」
マスクを顎へと収縮させて、ザクロムは両目を瞬かせる。
まるで何事もなかったように、鍋に具材を入れこんだ。術で火をつけ、煮こませる。ザクロムの種珠は燃えるような赤い色を発している。
シキメは膝を抱えながら、鍋を薄目で見つめている。火力が強くて吹きこぼれる。愛もきっとこんなもの。大きすぎて受けきれない。シキメとしてはぬるま湯のほうが心地よく感じる
男女の仲は難しい。レンスイは深く息をついて、今後のことを考える。もし
人間がまだここにいるぞ、と証明できればそれでいい。
「よーし。鍋が完成だ」
ザクロムが素手で突こうとすると、シキメが平手でぶっ叩く。
「きたねえな。箸をちゃんと使いなよ」
「めんどくせえ。俺は器用じゃねえんだよ」
グーで二本の枝を掴んで、ニンジンへと突き刺した。大きな口でそのまま食う。炎を操るリーヴスには、熱さなんてなんのその。シキメが呆れ返っている。まんざらでもなさそうな顔だが、儀式にはまだまだ遠そうだ。
レンスイは柏の葉の上に、煮崩れした身を乗せている。鍋はルーツの遺品だったが、食器は揃っていなかった。多少の不便さを感じながらも、友達と食べる飯は美味い。本来なら敵同士なのに、こうして一緒に囲んだことが僕にとっては幸せだ。
「ありがとう。二人とも」
「んあ? 急にどうしたよ?」
熱々の鍋が白くなる。野菜や魚は凍りついて、湯気の代わりに冷気が立つ。
敵が来た、と悟ったとたんに三人はそれぞれ散開する。マスクする。
ザクロムとシキメは印を結んで種珠の光を強くする。術を放てる態勢へ。
レンスイは岩に背中をつけて、相手の気配をうかがった。種珠は暗いままだった。森羅万象とリンクしない。力を借りたら進化を認めたことになる。心が負けてしまうのだ。怪獣にはもうならない。戦うための獣じゃない。
視界は白。深い霧。凍えるような肌寒さ。敵の域は氷だろう。冷気を操るリーヴスだ。僕だけでは勝ち目がない。どうする、二人に任せるか。ひ弱なルーツはどうやって、この敵に対抗しうるのか。
考えろ。知恵こそが最強の武器になれ。
薄い影が歩いてくる。シルエットは女性型。
「見つけたわ。私の坊や」
女の種珠は白銀へときらめいた。この感覚。はじめてなのに懐かしい。ああ、このときがやってきた。嫌だなあ。親狩りは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます