3
翌朝。レンスイは再び廃墟へ行く。ガマランタの住処へと。
「いいところにやってきた。私についてきてほしい」
先生は本を持ちながら、扉を開けて外へ出る。せっかく絵本を読もうとしたのに、いったい何の用事だろう。
「これを預かっていてほしい」
厚みのある本だった。薄茶のカバーが剥げていて、相当使いこまれている。受け取ると、重かった。先生が大事にしている本。抱えこむ。
「さあ、行こう」
ガマランタは印を結んで、種珠に光を溜めこんだ。先生の術ははじめて見る。用心深く、めったに手の内を見せない彼が、僕の前では披露する。嬉しくなる。ガマランタは手刀を構えて、空間へと切り入れる。黒い傷が空中に浮かび、両手で裂け目を大きくする。二人が入れるくらいへと。身をくぐらせて、消えていく。レンスイは戸惑いながらも、先生と同じようにした。黒い裂け目へ飛びこんだ。
出た場所は、薄暗い。縞模様の土の壁。以前の景色とまるで違う。ここはいったいどこだろう。
「花……?」
陽光が細くきらめいた。雑然とした花畑。伸び伸びと自由に咲いている。こういう景色は嫌いじゃない。
「こっちだ」
呼ぶ声がして、振り向いた。先生だ。歩いている。レンスイは慌てて追いかける。日陰のさらなる深淵へ。洞穴だ。黒い巨体が目前に。
「なっ、なんだ?」
立ち止まる。敵かと思って身構えた。違っていた。生物らしい気配がない。それは動いていなかった。
種珠の光に当てられて、金属だけは見えている。
ガマランタは懐かしむように、その表面を撫でている。
「それは、いったい何ですか?」
「ルーツが遺した兵器だよ。
「兵器とは」
耳に慣れない言葉だった。リーヴスに似ているかもしれない。もっともスケールは大きいが。
「殺すための機械だよ。進化戦争の遺物だろう。ルーツは罰を受け入れる前に、この場所へと隠したのだ」
罰とは種珠を埋めこむこと。リーヴスに進化することだ。進化戦争は遥か昔に人類が抵抗した歴史。森羅万象の御使い=大樹はこのときに出現したものだ。
そう教えられている。
「先生はこれを僕に見せて、どうしようというのでしょう」
「動かすのさ。君にはその力がある。水流を血のように通わせ、
「僕が?」
本を落としそうになる。手から離れる直前に、腕でしっかり持ち上げる。
「先生は、僕に反逆してこいと?」
「動かせと言っているだけだ。どう使うかは、君次第」
「なるほどね」
そういうところが我が師らしい。恐れているが、したたかだ。先生が僕を選んだのは、僕の域と性格が条件に見合っているからだ。
「だったら僕も、この玩具で遊ぼうか」
「それがいい」
先生はさも愉快そうに、目尻にシワを寄せている。僕から本を取り戻すと、ページを両手で開かせる。
そこには
「『もちづきまこ』、どうして!」
レンスイが気に入る絵本作家。柔らかいタッチの絵を描くけれど、このようなものも描けるらしい。よく見ると、共通しているかもしれない。色使いや線などは。
「これはあの絵本作家がデザインしたものらしい。戦争という局面においても、ルーツは美を追求した。美しさもまた文明だ。進化戦争の象徴だろう」
「彼女はあの時代にいた? 進化戦争に参加した?」
そうだとしたら戦争に敗れて、リーヴスになっているはずだ。家族を忘れ、絵を忘れ、戦うだけの獣になる。絵本のようなお話は、引き裂かれてバラバラだ。
「許せない」
やっぱり世界は間違った。森羅万象は僕の敵。
先生は、
「ここが君の操縦席。ハッチを開けて入るんだ」
レンスイは高くジャンプした。黒い巨人の胸部へと。取っ手を掴んでこじ開ける。土埃が舞い上がる。顎の外骨格を動かし、フェイスガードを形成する。素顔を隠すリーヴスのマスクは防塵機能も備えている。どんな劣悪な環境にも耐えられるようにするためだ。
操縦席へと潜りこむ。座り心地は悪くない。さて、どうやって動かそう。先生が言うには僕の術で浸透させればいいとのこと。これほどの巨体をそう簡単に動かせてしまえるものなのか。
そして術を使う手段は、正当ではない手順だろう。ルーツは術を使えない。代わりに機械が存在し、複雑に組まれているはずだ。その知恵で。文明を奪われた僕らには、本来の手順など知らない。皮肉にも、種珠の力を借りなければ指一本も動かせない。
ここにも絶望だけしかない。もし術を使ったら、森羅万象の支配下だ。
「いや、そんなことはない。僕らはルーツの末裔だ!」
できるはず。やるしかない。水の術を使わずとも。仇討ち。人類の。絵本作家の彼女を思うと、胸が締めつけられるから。
取り戻そう。尊厳を。僕らは人間だったんだ。獣じゃない。離さない。見えないほどの細い糸を手繰り寄せていくように。操縦席のボタンやレバーを、レンスイはいじり倒していく。動け、動け、動いてくれ!
*
「君の執念に感服だ。術まで封印するとはな」
「そうでもしないと、あれに勝てないと思ったから。僕は解放を望んでいる。家族が欲しい。恋がしたい」
野草の上に転がりながら、シロツメクサを抜いている。花の根本に弦を巻きつけ、紐のように編んでいる。植物いじりはレンスイの手癖のようなものだった。
「君が持っているといい。よく読んで、
その言葉の意味するところを、レンスイは既に知っていた。文字を執念で読むことだ。ガマランタがするように。解読を。
「それがルーツに近づく道。僕が人類に戻る道。わかったよ。やってやる」
紐状に編んだシロツメクサを、最後は輪にして完成だ。よくできた。花冠。絵本に出てきた女の子も、母親に花を贈っていた。もしかしたら大切な人に贈るといいのかもしれない。今度、ザクロムに会うようなら、彼にアドバイスしてあげよう。僕にはまだ、家族になりたい大切な人はいないけど。
強いていうなら、
「君は面白いやつだ。その花は、三つ葉だな」
ガマランタは葉を摘んだ。無造作に。森羅万象の怒りを恐れる彼にしては珍しい。
シロツメクサの葉っぱだった。一つの茎に三つの葉。
「私を思って、約束、復讐」
先生は小さくつぶやいた。僕のほうへと差し向ける。
「本の栞にするといい。君には期待しているよ」
三つ葉を本の上に置く。指を組んで、空間を手刀で切り裂いた。帰る時間。
「また来るよ。もっと勉強してからね」
洞穴に眠る兵器に向けて、誓いの言葉を投げかける。
彼女に思いを馳せながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます