雨の音が心地良い。水のいきを持っているから、なおさら感じているのだろう。

 レンスイは額を抑えながら、ガマランタの住居を出る。やはり雨が降っている。遠くに霞む逆さの山はリーヴスをいつでも観測し続け、天罰の準備を怠らない。先生は前に言っていた。「星を汚した罰なのだ」と。ルーツが築いた文明は、この星を不快にさせたらしい。

 森羅万象は怒り狂って、進化戦争を仕掛けてきた。ルーツはこれに抗ったが、無惨に敗れて野生化する。人間の称号を剥奪され、額に種珠しゅずを埋めこまれる。肉体にも変化が現れ、外殻で武装をさせられる。こうして戦う獣となる。

 腹が減る。魚を求めて川へ行く。水を扱うリーヴスであれば漁猟だって容易いもの。

 指を交差し、印を結ぶ。術を使うための儀式は精神を統一させること。種珠に力が湧いてくる。水の域。森羅万象とリンクをさせて、一気に力を開放する。深呼吸をするように。

 川の表面が膨らんだ。大きな水球が飛び出した。三匹のフナが閉じ込められて、何食わぬ顔で泳いでいる。これから調理されることに、気づいているのかいないのか。泡のようにゆらゆら揺れて、僕の手元に吸いこまれる。丸い水槽は雨に打たれて酸素を中に送りこむ。もっとも僕の術であれば、水質管理も御手の物。

「いただきます」

 絵本の中の子どもたちは食事前に唱えている。先生に意味を聞いてみたら、生きることへの感謝の気持ちを『カミサマ』に捧げているそうだ。『カミサマ』ってなんだろう、森羅万象のことなのかな? 先生によれば、「似たようで違う」という回答。「少なくとも私や君は、あれに感謝はしないだろう」――そのとおりだ。

 レンスイは疑問に思いつつも、その呪文を口にした。一本足の逆さの山はどこまで自分を許容するのか、挑発したくもなってきた。あるいは過去のルーツたちが敬っていた存在を、少しでもこの身に感じていたいと思っていたからかもしれない。

 水球へと手を入れる。フナを掴もうとしたときだ。

「おーい、レン。ここにいたか」

 赤い鎧の大男が手を振りながら近づいた。ザクロムだ。黒いボロ傘を差している。ルーツが作った道具たちは今もどこかで眠り続けて、たまにこうして拾われる。背中のリュックもそうだった。嫌悪せずによく使う。本人によれば雨が苦手で傘は便利と言っている。それがきっかけだったのか、拾う男になっていた。

「ザック。ちょうどよかった」

 レンスイは友をこう呼んだ。なぜか彼とは気が合った。戦いが好きな性格で、挑まれたことは何度かあったが、水の術でかき消せた。相手は炎使いだった。域の相性が悪かったら、とっくに殺されていただろう。それに天候も味方した。決闘の場所も川沿いばかりを選んでいたのも吉だった。

「なぜ勝てねえ」「とどめを刺せ」――ザクロムはそう訴えるけど、レンスイは無視をし続ける。この男を殺したところで日常は何も変わらない。森羅万象の監視下で殺戮がただ続くのみ。誰ともつながることがなく。孤高を是とする獣たちに、僕は反発したいのだ。

 ザクロムは挑み続けてきた。「また君かい」と発するたびに、二人の距離が近くなる。「今から魚を食べるんだから、決闘は後にしてくれない?」「俺も腹ぺこなんだよな。よし焼くか」と、ニジマスを掴んで、炎の拳であぶり焼く。

 それからだ。つるむようになったのは。

 岩陰へと移動して、焼き魚を二人で食う。この場所であれば、雨の水滴も当たらない。

「早く雨、やまねーかな」

 そうぼやいて寝転んだ。大きな体が丸くなる。ザクロムはいつしか決闘を忘れて、レンスイと親しくなっていた。さして疑問も思わない。誇りなども最初からない。ただ素直なだけだった。だからこそ、気に入った。

「ザック。その顔、どうしたの。強敵とでも戦った?」

 右の頬を指し示す。腫れていた。殴り合いが得意な彼にここまでの拳を浴びせるとは。相当な手練れなのだろう。

「ああ。そいつは手強いよ。なかなかに骨が折れそうだ」

 決着はついていないのか。だけどどこか楽しそう。彼をここまで奮い立たせる強敵とは何者か。

 ザクロムは、かなり強い。親狩りもすでに済ませている。ただし種珠は喰らわずに、土に埋めているそうだ。本人によれば「不味い」らしい。とても愉快な感想だ。

 レンスイはイチゴにかじりつく。ザクロムが採った果物だ。甘酸っぱさが広がった。

「僕も見に行っていい? また決闘をするんだろう?」

 俄然、興味が湧いてきた。どんな相手なのだろう。もしザクロムが倒されれば、次は僕の番になる。下調べは必要だ。

 ところが彼は心外そうに、

「ほえ?」

 と、問い返してきた。腫れたほっぺを指でかく。

「決闘なんてとんでもねえ。あんな眩い女をよ、傷つけてたまるかってんだ」

 ザクロムはガバッと起き上がる。膝を揃えて向き直る。

 あれ。今。何の話。

「果物採ってるときによお、メロンかと思って掴んでみたら、顔にバチンと殴られてな。いやあ、あんなにうまそうな女は生まれてはじめて目にしたぜ。気も強ぇし俺好みだ。あいつの種珠に口づけてえ。すっげえきれいな緑色をしてるんだ」

 嬉々として語るザクロムに、レンスイの頭は混乱する。

 強敵では、なかったのか。殴られた頬は、女にやられたものなのか。

「つまり、恋をしたってこと?」

「そのとおり! 俺はあいつと気持ちいい仲になりてえんだ。そのためには、種珠に口づけしないとな」

 リーヴスはその儀式を通して、夫婦の仲になれるのだ。ただし子孫をはらませたとき、女は大樹の中で寝る。鏡写しのあの山だ。夫婦の仲はそこで終えて、男は再びひとりとなる。女も赤子を産んだあとは、大樹から出てひとりとなる。子は一年を大樹で過ごし、加護を持って外へ出る。それも、ひとりきりだけだ。

 夫婦の絆も刹那のもの。さらには子どもが成長すると、親を狩りに探すのだ。互いの強さを確かめ合い、強いほうへと託される。それがリーヴスの生き方だ。

 ザクロムの恋もおそらくは、儚い宿命をたどるだろう。

「俺はあいつを手に入れてえ。レン、手伝ってくれねえか」

 燃えるような情熱の色を、ザクロムは種珠に宿している。彼の青春は閃光のように一瞬で弾けて消えるもの。だからこそ種珠は美しい。天から祝福されている。強い者を残すために、操作された感情だ。

「お前は俺より賢くって、いろいろ知っているんだろう? 自分で言うのもなんだけど、俺ってかなりイケてるじゃん? かっこよくて強ければ、振り向いてくれるはずなのによ、それが失敗しちまった。なんでかなあ」

「そう言われても僕にだって恋愛経験ないんだから」

 リーヴスには、つなぎ留める力がない。恋愛なんて無駄だろうと、レンスイはあきらめかけている。冷ややかな口調もそのためだ。

 ところがザクロムはくじけない。降っていた雨がもうやんだ。

「知らねえなら、やるしかねえ。またアタックしてくるぜ」

 舌なめずりして、ぬかるんだ土へと飛び出した。よほど女がいいらしい。どうなっても知らないぞと、心の中で悪態をつくけど、きっと子どもを作ってしまえば習性に馴染むものだろう。情熱さえも色褪せて、恋を忘れてしまうのだ。女が大樹で眠る間も、男は交配を続けるために縁を切って旅に出る。そして別の女を見つけて、次なる恋へと落ちるのだ。ガマランタもそうやって、子孫を作って殺してきた。「我が子」と言っていた。

「僕は絶対に恋をしない」

 虹が、大樹に架かっている。登ってこいと誘うように。肝心なところで落とすだろうと、レンスイは邪推する。

 僕らはリーヴスなのだから。

 葉は離れて、落ちるもの。

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