三つ葉の恋は人知れず
皆かしこ
1
「あれは、怪獣などではない」
ガマランタ先生はおっしゃった。レンスイは地べたに座りながら、オオバコを二本絡ませる。
「怪獣とは?」
「リーヴスだ」
驚きもしない答えだった。弦がちぎれて投げ捨てる。負けたのは、右手のほう。
「つまり僕らのことだよね。怪獣かあ。人から離れてしまった者」
「それが進化の成れの果て。強い力を手にした代わりに、我々は知性を失った」
「なるほどねえ」
次のオオバコを探しながら、レンスイは空を仰ぎ見る。
太陽の登る方角とは反対側に見える影。頭でっかちのシルエットが雲にも届く巨大さだ。鏡写しにされた山は、人類を反転させた世界を嘲笑っているようだ。あまりいい気分じゃない。
オオバコを選んで引き抜いた。彼が相撲をさせているのは、まさに今、このような、状況になっているからだ。
ガマランタは針のように目を細めて、その遊びを見咎める。
「植物への反逆か。君が無駄に摘むことは、あれの怒りを買うことだ」
「それほど器量が狭いなら、僕はとっくに消されてる」
レンスイは自分の額に埋まった宝玉へと手を添える。
その一つが、戦いだ。優生思想を植えつけられ、より強い戦士となるため野生の戦いに明け暮れる。鏡写しの逆さの山は、選別の儀式の主催者だ。レンスイもガマランタも強制参加させられる。リーヴスにしては珍しく、二人ともが好戦的な性格ではないことだ。ガマランタにいたっては、平静さを装うものの、どこか怯えた様子がある。たとえマスクで素顔を隠し、
それでも先生は生きている。僕よりもずっと長生きだ。生き延びた秘訣は知恵だろう。進化の過程でリーヴスが切り捨ててきた文明だ。
周囲は瓦礫となっている。遥か昔にルーツたちは居住を構えて住んでいた。今となっては苔が生えて、緑に侵食されている。物寂しい景色だった。
レンスイはオオバコをぶちまけた。戦いよりも、面白いものが他にある。
「先生の住居に行きたいな。本、読みたい」
「もちろんだ。君は文字が読めないのに、読みたいなんて変わってる」
「お互い様だと思うけど。文字が読めるリーヴスなんて、先生くらいじゃないのかな」
過去と未来をつなぐ力は、存在しないはずだった。リーヴスが文字を読めないのも、種珠の誓約によるものだ。おそらく彼らの大半が、元は「人間」と呼称されるルーツであるとは知らないだろう。レンスイは、ガマランタと出会ったことでリーヴスの歴史を知ったのだ。
「私のはただの努力だよ。解読といえど、ほんの氷山の一角だ。過去はまだまだ奥深い」
マスクから覗く金色の瞳は自嘲しているようにも思えて、呪われた苦悩がうかがえる。森羅万象に逆らっているのは先生のほうではないのかと、危惧せずにはいられない。
他にもガマランタ先生はリーヴスらしからぬ生活をしており、廃屋に住居を構えている。野生である僕らにとっては木の上が主な寝床であり、敵襲にいつでも備えている。
レンスイが住居へ遊びに行くのも、これが初めてのことではない。互いに心を許しているのは、共通している性格の癖を感じ取っているからだ。
それは好奇心であり、過去に対する興味だった。
「さあ、行こう」
廃屋へと案内されて、地下の書庫へと潜っていく。行き先は、決まっている。
いつもの本。
「もちづきまこ」
作家の名前を口にする。先生から教えてもらって、これだけは読めるようになる。お気に入りの絵本を見つけて、棚から一冊引き抜いた。柔らかいタッチの表紙だった。腰をおろして見開いた。文字は書いてあったけれど、絵のほうが大きく気にならない。
「君は何歳だったかな」
「十八だよ」
先生はなんて意地悪なんだと、水を差された気分だった。気持ちよく世界に入れたのに。不機嫌さを露骨に出して、絵本をパタリと閉じていく。
「君はもう大人だね」
「わかってるよ。とっくに加護がないことは。リーヴスは十五で成人だ」
「親狩りはしないのかい?」
「興味ない」
「だけど君の親たちは、君を必死に探している。その種珠を喰らうため。いつまでも逃げてはいられんぞ」
「わかってるよ。そのくらい」
薄々、気にしていたことだ。忘れようとしたけれど、運命の時は迫っている。
リーヴスはつなげられないのだ。血縁もまた同じだった。年代階級の誓約が外れ、大人になった今となっては、親も子も敵同士。そもそも幼少時代のときも親から離れて過ごしているため、殺し合いに躊躇はない。
けれど、レンスイは逃げている。絵本のせいもあっただろう。小さな子どもと母親が手をつなぎながら歩いている。そういう絵。母親が病気で倒れてしまうと、子どもはタオルを濡らしてきたり、元気になるようおまじないをかけたり、母を救おうとする話。絵だけでも、内容はだいたい理解できる。最初は昔の人類の暮らしに興味があっただけなのに、読んでみると無意識のうちに目から水がこぼれていた。
この感情はなんなのだと、先生に問うても返事がない。彼にも答えられないんだ。
「先生は、やりましたか?」
親狩り、もしくは子狩りのこと。ガマランタほどの長寿であれば、子どもがいても不思議でない。
第三の瞳が寂しそうに光を放ち、薄暗い書庫を照らしている。
「手にかけたさ。我が子らを。種珠もすべて飲みこんだ」
ガリガリッ、と音がした。歯ぎしりだ。木の実の殻を砕くように、記憶を噛み潰している。レンスイにも種珠を食べた経験がある。リーヴスの命の源だ。美味かった。不快が募る美味さだった。同族同士が殺し合うのは、この美味さのせいなのだと、戦慄せずにはいられない。
「わかってるよ。僕たちは怪獣なんだから」
「我々はもはや人ではない。人から離れた者たちだ」
「リーヴス……」
「
「僕らは落ち葉も同然だ。人類の樹には戻れない」
「その代わりに我々には、万物の一部を授かった」
「それが種珠。こんなもの呪いでしかないよ」
「かつてのルーツは魔法と呼んだ。種珠の力で操る術。君の場合は水だったな」
それでも呪いだと思う。書庫を水浸しにしたら、本が読めなくなるからだ。
リーヴスは戦いに明け暮れて、文明を破壊していった。きっとそうに違いない。書庫が残っているだけでも、この時代では奇跡に近い。
そう、奇跡。僕が欲しているものだ。
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