三つ葉の恋は人知れず

皆かしこ

「あれは、怪獣などではない」

 ガマランタ先生はおっしゃった。レンスイは地べたに座りながら、オオバコを二本絡ませる。

「怪獣とは?」

「リーヴスだ」

 驚きもしない答えだった。弦がちぎれて投げ捨てる。負けたのは、右手のほう。

「つまり僕らのことだよね。怪獣かあ。人から離れてしまった者」

「それが進化の成れの果て。強い力を手にした代わりに、我々は知性を失った」

「なるほどねえ」

 次のオオバコを探しながら、レンスイは空を仰ぎ見る。

 太陽の登る方角とは反対側に見える影。頭でっかちのシルエットが雲にも届く巨大さだ。鏡写しにされた山は、人類を反転させた世界を嘲笑っているようだ。あまりいい気分じゃない。

 オオバコを選んで引き抜いた。彼が相撲をさせているのは、まさに今、このような、状況になっているからだ。

 ガマランタは針のように目を細めて、その遊びを見咎める。

「植物への反逆か。君が無駄に摘むことは、あれの怒りを買うことだ」

「それほど器量が狭いなら、僕はとっくに消されてる」

 レンスイは自分の額に埋まった宝玉へと手を添える。種珠しゅずと呼ばれる独特の器官は、力であり命である。これが頭にあるせいで、リーヴスという種は支配されて、あらゆる誓約を受けている。

 その一つが、戦いだ。優生思想を植えつけられ、より強い戦士となるため野生の戦いに明け暮れる。鏡写しの逆さの山は、選別の儀式の主催者だ。レンスイもガマランタも強制参加させられる。リーヴスにしては珍しく、二人ともが好戦的な性格ではないことだ。ガマランタにいたっては、平静さを装うものの、どこか怯えた様子がある。たとえマスクで素顔を隠し、人類ルーツの衣類を纏ったとしても、ほんの僅かな語調や仕草で、弱さがこぼれてくるものだ。

 それでも先生は生きている。僕よりもずっと長生きだ。生き延びた秘訣は知恵だろう。進化の過程でリーヴスが切り捨ててきた文明だ。

 周囲は瓦礫となっている。遥か昔にルーツたちは居住を構えて住んでいた。今となっては苔が生えて、緑に侵食されている。物寂しい景色だった。

 レンスイはオオバコをぶちまけた。戦いよりも、面白いものが他にある。

「先生の住居に行きたいな。本、読みたい」

「もちろんだ。君は文字が読めないのに、読みたいなんて変わってる」

「お互い様だと思うけど。文字が読めるリーヴスなんて、先生くらいじゃないのかな」

 過去と未来をつなぐ力は、存在しないはずだった。リーヴスが文字を読めないのも、種珠の誓約によるものだ。おそらく彼らの大半が、元は「人間」と呼称されるルーツであるとは知らないだろう。レンスイは、ガマランタと出会ったことでリーヴスの歴史を知ったのだ。

「私のはただの努力だよ。解読といえど、ほんの氷山の一角だ。過去はまだまだ奥深い」

 マスクから覗く金色の瞳は自嘲しているようにも思えて、呪われた苦悩がうかがえる。森羅万象に逆らっているのは先生のほうではないのかと、危惧せずにはいられない。

 他にもガマランタ先生はリーヴスらしからぬ生活をしており、廃屋に住居を構えている。野生である僕らにとっては木の上が主な寝床であり、敵襲にいつでも備えている。

 レンスイが住居へ遊びに行くのも、これが初めてのことではない。互いに心を許しているのは、共通している性格の癖を感じ取っているからだ。

 それは好奇心であり、過去に対する興味だった。

「さあ、行こう」

 廃屋へと案内されて、地下の書庫へと潜っていく。行き先は、決まっている。

 いつもの本。

「もちづきまこ」

 作家の名前を口にする。先生から教えてもらって、これだけは読めるようになる。お気に入りの絵本を見つけて、棚から一冊引き抜いた。柔らかいタッチの表紙だった。腰をおろして見開いた。文字は書いてあったけれど、絵のほうが大きく気にならない。

「君は何歳だったかな」

「十八だよ」

 先生はなんて意地悪なんだと、水を差された気分だった。気持ちよく世界に入れたのに。不機嫌さを露骨に出して、絵本をパタリと閉じていく。

「君はもう大人だね」

「わかってるよ。とっくに加護がないことは。リーヴスは十五で成人だ」

「親狩りはしないのかい?」

「興味ない」

「だけど君の親たちは、君を必死に探している。その種珠を喰らうため。いつまでも逃げてはいられんぞ」

「わかってるよ。そのくらい」

 薄々、気にしていたことだ。忘れようとしたけれど、運命の時は迫っている。

 リーヴスはつなげられないのだ。血縁もまた同じだった。年代階級の誓約が外れ、大人になった今となっては、親も子も敵同士。そもそも幼少時代のときも親から離れて過ごしているため、殺し合いに躊躇はない。

 けれど、レンスイは逃げている。絵本のせいもあっただろう。小さな子どもと母親が手をつなぎながら歩いている。そういう絵。母親が病気で倒れてしまうと、子どもはタオルを濡らしてきたり、元気になるようおまじないをかけたり、母を救おうとする話。絵だけでも、内容はだいたい理解できる。最初は昔の人類の暮らしに興味があっただけなのに、読んでみると無意識のうちに目から水がこぼれていた。

 この感情はなんなのだと、先生に問うても返事がない。彼にも答えられないんだ。

「先生は、やりましたか?」

 親狩り、もしくは子狩りのこと。ガマランタほどの長寿であれば、子どもがいても不思議でない。

 第三の瞳が寂しそうに光を放ち、薄暗い書庫を照らしている。

「手にかけたさ。我が子らを。種珠もすべて飲みこんだ」

 ガリガリッ、と音がした。歯ぎしりだ。木の実の殻を砕くように、記憶を噛み潰している。レンスイにも種珠を食べた経験がある。リーヴスの命の源だ。美味かった。不快が募る美味さだった。同族同士が殺し合うのは、この美味さのせいなのだと、戦慄せずにはいられない。

「わかってるよ。僕たちは怪獣なんだから」

「我々はもはや人ではない。人から離れた者たちだ」

「リーヴス……」

ルーツから始まる進化の樹は、リーヴスをつけて、枯れるもの」

「僕らは落ち葉も同然だ。人類の樹には戻れない」

「その代わりに我々には、万物の一部を授かった」

「それが種珠。こんなもの呪いでしかないよ」

「かつてのルーツは魔法と呼んだ。種珠の力で操る術。君の場合は水だったな」

 それでも呪いだと思う。書庫を水浸しにしたら、本が読めなくなるからだ。

 リーヴスは戦いに明け暮れて、文明を破壊していった。きっとそうに違いない。書庫が残っているだけでも、この時代では奇跡に近い。

 そう、奇跡。僕が欲しているものだ。

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