第2話 世界を救うかもしれない女子高生の話(さらすさんからのお題:裸女)
この世界から服が消えて2年が経つ。
西暦2025年7月4日午後3時22分―—世界は白く塗りつぶされて、気が付いた時には着ていた服がきれいさっぱり消えていた。
あの日学校のホームルーム中だった私は教室の自分の机に座っていた。窓から差し込んできた強い光に目を閉じていたのはそんなに長い時間じゃなかったし、その光は熱も痛みもなかった。
だけど気づけばお尻と腿が直に椅子の座面に触れている生々しい感触がして、微かな締め付けから解放された体が急に心もとなく感じて。
驚いて確認したら下着ごと服が消えていて、息を飲んで思わず上半身を倒して体を隠した。
あはは。
パニックを起こした生徒たちを宥める先生も全裸で、なんかもう色々思い出したくもないことばっかりなので割愛する。
この不可解な現象は日本の田舎町だけの出来事ではなくて、全世界で起こったことだったらしい。
トラウマ級の最悪な経験を私たちだけではなく全人類が体験したんだとしたら、許しはしないけどまあ受け入れることはしてやってもいい。
時差の関係で自宅にいたり就寝中に起こったという人たちもいるという事実は頭の中から排除しておかないとうっかり殺意を押さえられなくなるから目を逸らしておこうね。
そんでなんで2年も経ってるのに服が消えたままなのか。
気になるよね。
消えてしまったのは服という存在そのものなんだ。
失われたっていう方が近いのかな。
今までの知識と技術で服を作り出そうとするんだけど、繊維を作り布を織り、それを裁ち、糸で縫い合わせようとした時点で白い光に包まれて消えてしまうんだって。
じゃあ布のまま体を覆って隠せばいいんじゃないかって思うでしょ?
結論から言うとそれは可能なんだけど、グルって巻いてずり落ちないように紐で結んだり洋服っぽくなると謎の光が現れて消えちゃうんだよね。
もう本当になんなの?って感じ。
現在進行形で世界中の優秀な人たちが頑張っているらしいんだけど、人類は服を作り出すことができずにいる。
せめて下着くらいは作り出せるようになって欲しいんだけどなぁ。
まあ服がないことを理由にベッドの中でゴロゴロできるのは数少ないよかったことのひとつなんだけど。
感染力が強い病気が流行った時にリモートで授業を受けることができるようになってたり、仮想空間で交流できるような下地ができていたから寂しさとか不便さとかはない。
ただ外に出て友だちとおいしいものを食べに行ったり、かわいいものを選ぶ楽しさとか――同じ空気を吸って同じものを見て、同じタイミングで笑ったりできた日々を取り戻したいって思うのはきっと私だけじゃない。
「つまんない」
毛布にくるまって枕に顔をぐりぐりとこすりつけても晴れない気持ち。
思わず漏れた言葉に返ってくるものがあるなんて。
「ではお前がやってみるか?」
「!?」
自分以外にいるはずのない部屋の中で男の声がした。ドアが開く音も窓が開けられる音もしなかったのは間違いない。
もちろん気配も足音もなかったよ!?
どういうこと!!??
顔を上げるのが怖い。
私の寂しさから現れた妄想の産物かもしれないから、じっとしていればそのうち消えていなくなるかも?
なんならふて寝してやる。
自慢じゃないけど寝つきはいいんだ。
でも、もしこれが夢でも幻でもなく実在する人間だったら、寝てる間に殺されちゃったりしない?大丈夫?
やだ、待って、怖い。
恐々顔を横に向けてゆっくりゆっくり声のした方へと向けていく。
そこには見慣れたクリーム色の壁紙、勉強机と安っぽい三段ボックスが並んでいるばかりで誰の姿もなかった。
「なんだ……驚かせやがって」
安心して笑いが出た。
乾いた笑い声が湿っぽい部屋にふわふわ漂う。カーテンで閉め切った薄暗い空間に白いレースのように広がって。
「はぁ!?」
反射的に体を起こし毛布を抱えたまま下がるとすぐに壁に背中が当たった。ひんやりとした感触にびくりと肩が跳ねる。
だけどそれ以上に恐ろしいものが目の前にいる。
それは角のついた鹿の頭部を下に蹄を上に向けてぷかぷかと浮いていた。
「こんにちは。退屈を持て余しているお前に朗報だ。この世界に衣服を取り戻すための方法があるんだが……知りたいか?」
前足を器用に曲げて「やあ」と挨拶した白い鹿の何者かの発言に全力で頭を振る。
流暢に喋る鹿の姿もそれが部屋にさかさまに浮いているっていうだけで頭がおかしくなりそうだっていうのに。
世の中には知らなくていいものがいっぱいあるんだって私だって知ってる。
だけどその鹿は目を細めて歯を見せ笑う。
お前に選択権はないのだと言わんばかりに。
「この世界から衣服が無くなってしまったのは彼方よりやってきた異星人のせいなのだ。あいつらはこの
再び頭を左右に勢いよく振る。
聞きたくないっていう意思表示だったんだけど鹿はドヤ顔で「ならば教えてやろう」と悦に入っている。
かんべんして。
「人がどうして服を着ると思う?それは羞恥心があるからだ。知性があるからだ。聖書にあるアダムとイブもリンゴを食べるまでは裸であろうと特段に気にはしていなかったという」
にやりと鹿が笑う。
舌がベロリと零れて醜悪な悪魔のように見えた。
「やつらは長い時間をかけて人類を観察した。そして無力化するには衣服を奪えばいいと気づいたのだ」
人間のように前足を広げて鹿は小首を傾げる。
「大多数の人間が住処に引きこもり対策を講じている間にやつらはひそやかにかつ速やかに領土を拡大している。やつらの支配下に置かれた国や街の人々がどんな扱いをされているか」
知りたかろうと言葉尻を跳ねさせて随分とご機嫌な様子なんだけど怖すぎて泣けてくる。
「食べられるのだ」
「た、べ」
「そうだ。消化するのに邪魔な衣服を纏っていないのだから造作もない」
なるほど。
そういう意味でも服を消しちゃうってのは合理的なことなんだろう。
「死にたくはないだろう?」
そりゃそうだけど。
そんなこと簡単に飲み込めるものじゃないし、なんなら目の前にいるこいつの方がめちゃくちゃ怖いし怪しいんだよ!
え?
もしかしてこいつが異星人なんじゃないの?
「疑っているな?初めに言ったはずだ。衣服を取り戻す方法があると。俺は味方だ。いわゆる神様の眷属ってやつでね」
神々しいっていうより不気味なんだけど、確かに鹿は神様の使いとして出てきたりしたような?
よう知らんけどっ!
「俺が力を貸してやる。お前と俺で世界を救おうじゃないか」
「いや、です」
そもそもなんで私なの!?
他にもっと強そうな男の人とか、戦闘技術を磨いてきた職業の人とかいるでしょ?
ただの女子高生になにをさせようってのよ!
「契約をしてくれれば俺の力で衣服を纏うことができるぞ」
「いりませんが?」
「何故だ」
「他の人をあたってください」
「他をあたって欲しくば契約後に十の異星人を屠ったうえで紹介せよ。お前の友人である田崎 里美はそうしたぞ」
は?
つまりなに?
「あんたがここへ来たのは里美が私を紹介したからなの!?」
「そうだ。なにお前に異星人と戦えと言っているのではない。戦うのは俺だ」
戦うのは鹿でも契約する以上私にだってやらなきゃならないことが発生するはず。
唸りながら当事者だった相手に話を聞いて一言くらい文句をいわずにはいられなくて鹿に向き直る。
「ちょっと待って。里美に確認するから」
スマホを手にメッセージアプリで連絡するけど通話には出ない。
かわりに「がんばれ」ってウサギのスタンプが送られてきた。
泣きたい。
「これって断れない感じ?」
「この世は理不尽なものなのだ」
ああ、そうか。
無理なのか。
死にてぇ。
「死ぬ気があるのならば怖いものなど何もなかろう」
「ごめん。死にたいんじゃなくて消えたいです」
異星人に食べられるのも、目の前の鹿と契約して異星人と戦うのもいやだけど逃げられないらしい。
里美も無事に契約を終えたことを考えればそんなに無茶なことを要求されない可能性もある――けど、怖いよ!!
「少し考えさせてもらっていいですか。気持ちと頭を整理する時間をください」
「考えているうちに異星人に食べられてもいいならそうするがいい」
「はあっ!?」
鹿は空中で休日に寝そべる親父みたいな恰好でにやにやと高みの見物を決め込んでいる。
「どういうこと?すぐそこまで来てるってこと!?っていうか、やっぱりあんたが異星人なんじゃないの!?」
鹿は答えず鼻をほじっている。
蹄なのになんでそんな器用なことができるのかわかんないけどむかつく。
「ちょっ、え、待って、いやだよ、そんな――」
余裕ぶっこいている鹿を前に私はだんだん焦ってきてどうしていいか決断できずに震えていた。
やばいやばいやばいやばいやばい。
ぐるぐるぐるぐる思考が空回りする。
そんな時だった。
大きく世界が揺れた。
悲鳴なんて出ない。
私は無力で服も着てなくて。
怖くてただ死にたくないってそう願った。
「契約でもなんでもするから!助けてっ!!」
「では名を捧げよ」
「奈緒!三枝奈緒!!」
世界が崩壊する音がした。
だからそれに負けないように大声で叫んだ。
自分の名を。
「承った。これより俺は三枝奈緒の名をもって契約完了とする」
鹿の嬉しそうな声が響き、私の体に2年ぶりの窮屈さが戻ってくる。
心もとなかった腰や股の部分がつるりとした生地に包まれ、胸を支えるワイヤーと膨らみを覆う布の心地よさに恐怖がちょっとだけ薄らぐ。
アンダーが食い込んでいるのは多分太ったからだと思う。
だけど、ちょっと待て。
「あんた!服はどうしたのよ!これは下着でしょ!?」
「最低限は隠れているだろう?仕方がないのだ。異星人の力は未知のものな上に強力だ。俺の力とあいつらの力で対抗してそれを維持するのがやっとなのだ」
「やだ!やっぱむりぃ!契約破棄するぅ」
「それはできん。ほらまず一体目の異星人を駆除しにいくぞ」
契約したからだろうか。鹿の頭から下が人間のムキムキボディになっていて、そのぶっとい腕にガシッと担がれてしまう。
「いーやーだー!!」
「はっはっはー!!」
窓をガラッと開けて鹿は飛び出す。
泣き叫んでいる私のことなんか構わずに。
この後、私は知ることになる。
鹿の戦う力を満たすには人間の羞恥心が必要なのだということを。
ほんとにこの世は理不尽だ。
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