「あのさあ、VTuberって知ってる? YouTuberのアニメ版みたいなやつ」

 普段からたいした話をしていないので、話題は気分でころころ変わる。幸輔はいつも唐突だった。掲示板のまとめかなにかでおもしろいものを見つけては嬉々としてメールしてくる。

「あんまり知らない」

「ケンってそういうとこオッサンだよなー。3Dの人形を動かして、そいつにYouTuberをやらせるんだよ。おれもそういうのやってみたいと思って」

「YouTuberやるの? 幽霊が?」

「違う違う。人形だけ。おもしろくねえ?」

 つまり、ネット上だけでも自分の好きに動かせる体がほしいということだった。いわく、「調べたら八万で作ってもらえるプランがあったから」と、もうすでに依頼済みらしい。

「実は昔、釣りで巻き上げた金をネットカジノに溶かしまくってボロもうけしちゃったんだよね。暇だったからさ」

 だからお金には困ってないと言う。でもそれって犯罪だよな? ネット募金とかしてるからそのへんはチャラになると幸輔は言った。まあなんでもいいかとは思った。

「でさ、今どういうのがいいかって、コンセプト? そういうのを伝えてるとこなんだけどさ。ケンはおれのこと、どんな感じにイメージしてんの?」

 イメージ。おれはいつも通り三等身のスーパーサイヤ人を頭の中で引き伸ばそうとしたが、うまくいかなかった。虚構の幸輔を思い描けなくなっている。どうしてもブログで見た写真の男がチラついた。ゴールデンレトリバーみたいな髪の青年は、おれが想像していたよりもずっとやさしい顔をしていた。

 勝手に写真を保存したのを後ろめたく感じて、なんとなく「戦わないサイヤ人みたいな感じ」とごまかしておいたら、「じゃあ、めいっぱいつよくしてもらおう」と幸輔は楽しそうだった。

「なんでもいいけど、そんなの作ってどうすんの?」

「どうしような。でも、やろうと思えばなんでもできるんじゃないかと思って。歌ったり踊ったり。キスしたりエッチしたりさ。おれはこれからのVR業界に期待してる」

 幸輔の口から未来やセックスの話題が出てきたことに驚いた。メールなんだから口もなにもないが、バーチャルリアリティはたしかにそれらを可能にする。かもしれない。仮想現実の幸輔とのセックスを想像した。あの白い部屋でおれと幸輔が同じ空間にいて、触れたり触れられたりする。髪に指を通したらどんな感覚がするだろう。できれば温度を感じたいと思った。ただあたたかいだけでいい。日だまりで眠る犬を撫でるみたいに。

 ……そこまで考えたところで、腋の下がじっとりと濡れていることに気づいた。閉めきった窓の外で、やせっぽちのハンガーが揺れている。六月だ。

 しけた空気が皮膚にまとわりついて離れなかった。北向きの窓は白ぼけた寝不足みたいな光しか入れないが、床に散らばる空き缶やコンビニ袋がバラバラに影を落とすこの部屋では、白い四角にしか見えないベランダの光ですら眩しい。押し入れの段ボールを引っぱり出して夏服を着るようになってから、現れかけていた真っ白な部屋のおもかげは姿を消した。おれが幸輔の世界に行けたとしても、幸輔がこの部屋に来ることはぜったいにないのだとわかる。

「そういえばさ、誕生日プレゼントなにがいい?」

 握りしめていたスマホが震え、一瞬明るくなった画面の上部に幸輔のメッセージが表示された。幸輔の存在が生活に溶け込むほど、おれはまた境界を見失いそうになる。おれが生きるこっちの世界は幸輔のいる向こうの世界とは違う、そんな当たり前なことを思い出すたびになにもかも信じられなくなった。足元の空き缶につまずき、ぬるくなったビールが床にこぼれる。そこらへんにあったタオルをてきとうに乗せておく。いやなことは忘れるし、都合が悪ければ見ないふり、それらが蓄積した九年だ。来週おれは三十になる。今さらなにか手に入れたところで取り返しはつかないんだよと、送りかけてやめた。

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