第28話 昔の記憶

「悪いね、帰りがけに」


「いえ、どうせ残業するつもりでしたし」


「定時までには話し終えるから」


「大丈夫です。気にしなくても」


 永徳は客間と言ったが、ふと庭園が見たくなって、縁側で話をしようと佐和子は提案をした。


 縁側に腰掛けると、頭上には銀砂を散りばめたような星空が広がっていた。月明かりに照らされた日本庭園は、なんとも幻想的な雰囲気を醸し出している。


「君は今日、とってもよくやってくれたよ。ショートムービー案は、俺だったら思いつかなかった」


 永徳は空を見上げながら、穏やかな声でそう言った。


「いえ、たまたまです。それに、珍しい取り組みでもありませんし。私が個人的に好きで見ていて、これも活かせるかな、って思っただけなので」


「あやかしの世界では目新しかったよ」


「……それは、よかったです」


 これまでの仕事人生、怒られてばかりだったので、褒められるとこそばゆい。佐和子は頬を染め、居心地の悪さに下を向いた。


「君はちゃんと自分の役割を理解して、自分なりの価値を示そうとしている。うちとしては、とても助かっているんだよ。だからこそ、自分を大切にしてほしい」


 佐和子の目を覗き込むように言った永徳に、佐和子は眉根を寄せて反論する。


「あの、でも。私、笹野屋さんが思うほど、体弱くないですし。もっともっとできるようになりたいんです。皆さんに認めてもらえるくらいに」


「君の『大丈夫』はあてにならない」


「でも、本当に大丈夫なんです」


「就業時間を超えて、大幅に残業して。今だってよろよろしていたのに。それがどうして大丈夫って言えるんだい」


 永徳の声色には、苛立ちが含まれていた。

 身を縮こませた佐和子を見て。自分が声を荒げていたことに、永徳はハッとし、視線を落とす。


「ごめん、少しムキになった」


「いえ……あの……」


 気持ちを落ち着けるように、永徳は大きく深呼吸をする。しばしの沈黙のあと、彼はためらいがちに口を開いた。


「葵さんを見ていると、かつての同僚を思い出してしまってね。……心配になってしまうんだよ。彼のように、君もいつか消えてしまうんじゃないかって」


「同僚の方、ですか」


「うん。俺も昔会社勤めをしていてね。広告代理店に勤めてたんだけど」


 サファイアのような瞳が、月の光を受けて輝いている。

 しかしその輝きは、どこか寂しげだった。


 ––––ああ、また悲しそうな顔をしている。


 いつもニコニコしている永徳が、こんなに悲痛な表情を見せるほど、その思い出は、彼の心を締め付けているのだろう。


「半妖っていうのは、どの程度親の特質を受け継ぐかはその子ども次第で。能力が発現するまでは、人間とどう異なるのかわからない。会社勤めをしていた当時は、まだ自覚できるほどに大した能力は芽生えていなかったんだ」


「そう……なんですか」


「だから基本的に、『自分は人間とそう変わらないんだ』と思っていた。目が青いくらいで、自分にあやかしの特質は遺伝しなかったんだと。……でも、違ったんだ」


 永徳は、苦しそうに顔を歪めていた。


「木村、というのがその同僚の名前でね。お互いに成績を競い合う、ライバルみたいな関係だった。俺は木村に勝ちたくて、昼夜問わず働いた。今思えば無茶苦茶な働き方をしていたね。でも、まったく疲れなかったんだ。どんなに寝なくても、どんなに走り回っても。いくら働いても能率が落ちない。結果、木村をどんどん突き放していった」


「疲れない、というのが、あやかしの特質だったんでしょうか」


「うちの父は、あやかしの中でも特別体が丈夫だったんだ。たぶんそれを受け継いだんだね」


 深いため息をついた永徳は、俯いて両手の指を組んだ。


「木村は俺に追いつこうとして、無理をした。会社も彼に発破をかけていてね。そういう時代だったから。『お前の成績が笹野屋に及ばないのは、根性がないからだ、気合を入れろ』って。俺も若くて調子に乗っていたから、『覚悟が足りないんだよ』なんてひどい言葉を投げかけたりもした」


 若い永徳はわからなかった。

 自分の体質が特殊であることを。

 同僚がどんなに無理をして、仕事をしていたのかということを。


「木村は決算期前の追い込みに耐えかねて死んだ。過労死だった。知らなかったんだ。人間がそんなに脆いなんて。ずっと自分と同じだと思っていた。でも違ったんだ」


 毎年三月三十日。永徳がひとり訪れる墓は、彼の同僚の墓だったのだ。


「俺が自分の力に自惚れて、周りを煽ったばかりに、木村の幸せを奪ってしまったんだ。木村は結婚間近で、もうすぐ幼馴染と籍を入れるはずだったのに。あいつが死んだのは、俺のせいなんだ」


 永徳はキツく両手を握りしめ、唇を噛んで俯いた。


 ––––ああ、そうか。


 永徳はいつもゆるゆると仕事をしているように見えて、元々予定していたスケジュールは絶対守るし、成果物はきちんとしている。サボっているように見せかけて、実は仕事をしていたりする。


 ––––わざわざ他の社員の見えるところで昼寝をしているのも、ちょくちょくだらけた風に見せているのも。きっとわざとなんだ。周りにプレッシャーを与えないように、あえてそういうことをしていて。


「葵さんが家に来た時、弱りきった様子の君が、木村に重なって。君が一生懸命になるのを見るたび––––不安になってしまうんだ」


「そうだったんですね……」


「……しつこくて、悪かったね。俺は人間の疲労感覚がわからないから。経験則でしか推し測れない。だからついつい、先回りをする形になって。過保護になってしまうのだよ」


 困っている時、壁にぶち当たっている時、永徳はまるではじめからすべてを予想していたかのように、絶妙なタイミングで手を差し伸べてくれた。


 観察して、推し測って。倒れないように、走り続けられるように。彼は佐和子を見守り、助けてくれていたのだ。


「笹野屋さん、話してくださって、ありがとうございます。……お辛い、思い出だったのに」


「いや、もう昔の話だし。やだねえ、歳をとると自分語りが長くなって」


 永徳は笑っていたが、きっと心からのものではなかった。


「まあつまり。そういった事情もあって。俺は君が心配なんだよ」


 知る限り、彼の関わる人間は多くない。母親である富士子と米村くらいのものだ。外からやってきた佐和子と関わることで、人間世界に関わっていた頃の、いろいろな想いが蘇ってきたのかもしれない。


 閉じ込めていた過去のトラウマでさえも。


 佐和子は思い切って、永徳の手を握った。

 少し潤んだ青い瞳を、正面から見つめる。


「今日は残業せずに帰ります。ご心配いただいた通り、疲れてますし。でも、今度からはちゃんと『大丈夫』な範囲で、仕事を調整するようにしますから。……だから、そんなに心配しないでください。私、そんな簡単に消えたりしません。無謀なスケジュールの組み方は……してるかもしれないので、以後気をつけます」


 永徳は虚を突かれたのか、口を半開きにしたまま、彼の手に重ねられた佐和子の手に視線を落とした。


 佐和子はそれを見て、手を引っ込めた。あまりに永徳が悲しそうな顔をするので思わず握ってしまったが、今になって恥ずかしくなってきた。


「す、す、すみません。あの、私、これにて失礼します……!」


 勢いよくそう言いながら会釈をして、佐和子は荷物を持って玄関へと駆け出した。慌てて姿を消した佐和子のうしろ姿を見ながら、時間差で永徳の頬が桜色に染まる。


「不意打ちにも……ほどがあるでしょ。葵さん……」


 浅いため息が出る。ただそれは苦痛に塗れたものではなくて。どちらかといえば、甘く、切ない色味を含んでいた。





 意味もなく、夜の闇を駆ける。


 目的地があるわけではない。本当は家が目的地のはずではあるのだが。

 走ってしまえば十分でついてしまう自宅では、この感情を落ち着かせるには不十分な距離だった。


 心臓が高鳴るのは、きっと走っているせい。

 そうだ、きっとそのせいだ。


 そう自分に言い聞かせながら、急坂を勢いに任せて降りて、佐和子は幹線道路沿いを走った。


 地面が平らになって、途端に走るのが苦しくなって立ち止まり、両膝に手をつく。


 汗の伝う額をハンカチで拭う。いくら働き始めて多少が体力が戻ってきたといえ、激しい運動なんてしばらくぶりだった。


 自分の肺が苦しそうに空気を求めて収縮を繰り返す。


「私、なんで手なんて握っちゃったんだろ。明日から、どうやって顔を合わせたらいいの……」


 息を吐きながら、キラキラと輝く星の海を見上げた。


 驚いた表情の永徳が、頭から離れない。


 ––––嫌じゃなかったかな。急に私に手なんか握られて。


 これまで永徳との間に、色っぽい雰囲気など微塵もなかったし、佐和子自身、尊敬はしていても恋情を抱いていると感じたことなんてなかった。しょっちゅう揶揄からかわれてはいたけれども、きっと向こうだって、佐和子を女性として意識なんかしていなかったはず。


 まとまらない思考をただ垂れ流し、息を整えている間に、ポケットのスマホが振動した。


 画面を見れば、山吹の文字。

 緑色の吹き出しが、途端に佐和子を現実へと引き戻す。


 メッセージの画面には「うちの会社に来ること、考えてくれた?」という一文が表示されていた。


 ––––転職……どうしよう。なんて返信するのが、正解なんだろう。


 やっと編集部員たちと打ち解けて、仕事も楽しくなってきた。まだまだあやかし瓦版で働いていたい気持ちもある。


 でも、人間がずっとあそこにいていいのだろうか。


 周りの人間たちが、人間の社会で着実に人生を歩んでいく中、自分だけが現実に置いていかれても苦しくはならないだろうか。


 あやかしの世界の仕事を選んで、人間の社会に復帰できなくなっても、自分は後悔しないだろうか。


 冷えてきた佐和子の頭は、自分の置かれている状況を、冷静に分析し始める。


 「嫁候補」はあやかしから佐和子の身を守るための建前。永徳が佐和子を編集部に引き入れたのは、亡くなってしまった自分の同僚を重ねていたから。「人間視点を活かして欲しい」とはいっていたが、あれももしかしたら、やる気を出させるための方便だったのかもしれない。


 ––––辞めようか、悩んでいますって言ったら、引き留めてもらえるのかな。


 スマホを握る指に、力がこもる。


 永徳が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたおかげもあって、仕事のやり方だけでなく、考え方まで、手取り足取り学ばせてもらうことができた。結果として、融通の効かない佐和子でも、短期間でそれなりに仕事ができるようになってきた。


 ––––まだまだ半人前だけど、あやかし瓦版の一員として、必要として貰えているなら。


 山吹に返信しようとして、指を止めた。

 やはりまだ、なんと返して良いかわからなかった。

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