第27話 鬼灯堂への提案

 無機質で真っ白な会議室。机を挟んで向こう側に椿と鬼灯堂のマーケティング部長、華山が座っている。


 椿だけだとあやかし瓦版に不利な状況になりそうだということで、永徳が部長も連れてくるように念押ししたのだ。


 対してあやかし瓦版は永徳、佐和子、マイケルが並ぶ。


 経験したことのない緊張感に、佐和子は顔をこわばらせていた。

 そもそもプレゼンに慣れていない上に、相手先はあやかし。しかも椿からは悪意の塊みたいな妖気をビシビシと感じる。

 なるべく椿の方に視線を合わせないようにしながら、佐和子はゆっくりと呼吸を整えた。


「で、新しい提案をくださるそうですけれど。葵さん、うちの提示した期限を書き換えるくらいだから、それはもう素晴らしいご提案をくださるっていうことでよろしいのかしら?」


 赤い唇を歪ませ、侮蔑の表情で椿は佐和子を見る。明らかに、わざとプレッシャーをかけようとしている発言だ。


 嫁候補というだけで、ここまで目の敵にされるのは辛い。

 実際は永徳との間になにもないのに。


「……気に入っていただけるよう、全力は尽くしてきました」


「そう。今日は永徳さんがどうしてもって言うから、上長も呼んでいるし。せいぜい時間が無駄にならないよう、頑張っていただけると嬉しいわ」


 佐和子はなるべく椿の発言を受け流すようにしながら、パソコンをディスプレイに繋ぐ。一度深呼吸をして、投影された画面を確認した。


「今回いただいたテーマは『鬼灯堂の商品を使った人間風メイク』でした。一旦元々のご希望である四月中旬の公開に合わせて企画は考えましたが、業界トップを走る御社であれば、せっかくならもっとインパクトと意外性を狙った形で『春メイク』でなく『夏メイク』向けの企画をご検討いただくのはどうかと思ったんです。その方が、しっかり準備して、質の高いものを実施することができますし」


「ふうん。なるほどねえ。まあ、夏メイクであれば今予算はおさえてあるし。ちょうど広告代理店からも提案をもらっているところだから、まあ、タイミング的には悪くはない」


 椿の横に座っていた華山は、腕を組み頷いた。がっしりとした体格の男性で、椿と同じように頭の上から二本角が生えている。


 マイケルがパソコンを操作し、次のスライドに進める。永徳はニコニコしながら佐和子のプレゼンを眺めていた。


「今回の案に盛り込んだのは『多様性』『話題性』『革新性』の要素です」


 佐和子の解説にマイケルが言葉を加える。


「御社は今、性別問わず、体の形状問わず、あやかしの多様性に対応するメイク用品のラインナップを提供されてますので。『人間に変装できる』限界に挑戦をしています。前回の提案では、人間とほぼ容姿の変わらないモデルばかりを提案していましたので。今回は鬼に加え、口元に特徴のある河童や、一から顔を描く必要のあるのっぺらぼうなども選んでいます」


 鬼灯堂の最新のキャッチコピーは、「どんなあやかしでも、美しく」。


 先日編集部員の変装を手伝った時、佐和子は、「もともと人間と変わらない、化粧のしやすい形態のあやかし」を自分が無意識に選んでいたことに気がついた。


 せっかく「人間に化粧で化ける」という企画なのだから、「こんなあやかしでも化けられるの?」という驚きがなければいけない。ただ、物理的な限界はあるので、モデル選びはその限界を攻めた形にしたのだ。


 相変わらず椿は小馬鹿にしたような顔をしているが、部長の反応は悪くない。


「次に『話題性』の要素ですが。こちらをご覧ください」


 合図を出すと、マイケルが画面を切り替える。大型のディスプレイには、すっぴんの女性の顔が映し出された。


「これは? 見たところあやかしではないようですけれど」


 椿の疑問に佐和子が答える。


「これは、人間の世界のソーシャルメディア上で流行っているショートムービーです。まずはご覧ください」


 マイケルが再生ボタンを押す。


 画面上の女性は手際良く顔にメイクを施していく。素顔はどちらかと言えば地味な方で、ベースメイクを施した段階ではたいして違いも見られない。だが早回しで進んでいくメイクアップの後半では、劇的な変身を遂げ、まるで雑誌の表紙を飾るかのような美しい顔立ちになった。


「これは……驚きだね。魔法みたいだ。しかも動画も十五秒くらいだから、飽きずに見られるし」


「はい、これをあやかしから人間へ、という形でやったら、面白いと思いませんか? ただメイク方法を記事でまとめるより、こういう動画を制作して、あやかし瓦版のトップページに掲載する。で、リンク先のページに飛ぶと、メイク方法と使った化粧品の解説記事に飛ぶようにするんです」


「なるほどねえ」


 華山は佐和子の説明に、深く頷いている。


「最後に『革新性』です。これはオプションで、少々お値段のかかる案にはなるのですが。拡張現実を使ったアプリを作ってはどうかと」


「拡張現実?」


 椿と部長はほぼ同時に聞き返し、戸惑いを見せた。永徳曰く、拡張現実は人間の世界ではすでにさまざまな分野で活用されているが、あやかしの世界ではあまり知られていない技術らしいのだ。


 チラリ、と佐和子は視線を永徳に送る。


「それに関しては俺から説明しよう」


 永徳は佐和子に代わり説明をはじめた。すると先ほどの佐和子に対する態度とは打って変わって、椿はうっとりと説明を聞き始める。


 ––––椿さんて……本当に笹野屋さんが好きなんだな。


 なんの前触れもなく、人間が「嫁候補」になったと聞いて、許せなかったのだろうか。それでも、正面切って侮辱される理由にはならないのだが。


「人間の世界の商業施設では、スマホやタブレットのカメラに自分の姿を映して、化粧品を画面上で試すことができるものがあるんだ。こんなふうにね」


 永徳はタブレットを取り出すと、実際に実演してみせた。先日渋谷の商業施設で見たアプリは、一般にも配布していて、自分のデバイスにダウンロードして使うこともできたのだ。


「こういうアプリをあやかし向けにも開発してくれそうな会社を知っていてね。動画の企画と合わせて、アプリの配布もしてみるのはどうかなと思ったのだよ。ただ、あやかしの場合は体の形状がまちまちだから、開発の都合上人間に化けやすいあやかしのバージョンにまずは限るのがいいかもしれないけど」


「アプリに関してだけは、人間風メイクにこだわらない形で開発するのもいいと思います。その方が継続して使うことができますし、今後の新製品発売時にも活用が可能です」


 佐和子が付け加えると、永徳が微笑み、「素晴らしい」と囁いた。


 緩んでしまいそうな頬をおさえるのに苦労した。永徳に褒められると、心の内側がむず痒くなる。


「……うん、いいね。面白い。笹野屋永徳殿。素晴らしい提案をありがとう。椿くん、これ、夏の企画の候補に加えないか。どう思う?」


「……いいと思いますわ。なかなか斬新ですし」


 部長の問いかけに、椿は頷いた。その表情からは感情が窺い知れなかったが、最後に付け足された一言に、佐和子は口角をあげた。


「なかなかやるじゃない、人間。及第点をあげる。また連絡するわ、検討結果が出たら」


 全身から力が抜ける思いだった。そこから会議室を出て、鬼灯堂のエントランスを抜けるまではなんとかしゃっきり歩けていたが。


 襖を通って編集室に着いた瞬間、佐和子は膝を折ってその場に崩れ落ちた。


「……葵さん? ちょっと、大丈夫かい?」


 慌てた永徳は佐和子の横にしゃがみ込み、顔を覗き込む。


「あ、はい……大丈夫です。すみません、こういうプレゼンみたいなの私初めてで。とっても緊張していたみたいです……」


「もうあと三十分で定時ですし。葵さんは早めに上がらせてあげたらどうでしょう? ここのところ連日ひとりで残られてましたし」


 マイケルは佐和子に肩を貸し、椅子に座らせながら永徳に意見する。


「いえ、まだやっておきたいことがありますし。頼まれた仕事もありますから」


 佐和子がそう言うと、永徳は険しい顔を作った。


「頼まれた仕事って、どれだい」


「えっ」


「話してごらん」


 永徳に促され、佐和子はポツポツと依頼されている仕事の中身を説明する。近々の仕事と内容を説明し終えると、永徳はため息をつく。


「宗太郎は、なんでも『急げ!』って言うから気をつけて。内容を聞いて、できなければ断るか、適切なスケジュールを引いて返答しなさい。他のも別に今日やらねばならないものはないし、時間がかかりそうなものは俺も手伝うから」


「いえ、でも」


「……柚子茶を淹れてくる。少し、話をしよう」


 そう言い残して、永徳は襖の向こうへ消えていった。


「編集長は心配してんのよ。あんたが人間だから」


 そう声をかけてきたのは刹那だった。顰めっ面ながらも、心配そうな視線を佐和子に向けている。


「でも、過保護すぎじゃない? まだまだ下っ端だし、努力するのは当たり前だし、残業だって」


「富士子様を亡くしてばかりなのよ。疲れも病気もしない編集長からしたら、怖いんじゃないの。自分の知らぬ間に身近な人間が弱って、死んでしまったりするのが。あやかしと違ってか弱いからね、人間って。それにあんたは特別無茶するし」


「疲れもしないし、病気にもかからない……? え、そうなの?」


「あら、知らなかったの?」


 言われてみれば。川天狗の里に行った時も、あれだけ長い間山登りをしていたのに、息ひとつ切らさなかったし、汗もかいていなかった。一緒にいる機会はこれまで多かったが、疲れている様子を見たことがない。昼寝だけはよくしているような気はしたが。


「お待たせ。さあ、まずはこれを一口飲んで」


 いつの間にか永徳は、お盆にのせた柚子茶とともに、編集室の中に戻ってきていた。

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