第15話 出立
カリムに気圧されたエリアルとエマヌエルは喧嘩を止めた。弱肉強食を心得ている二人。もしも彼女の制止を振り切って激突に及んだらどうなるのかを想像し、急遽はやる気持ちを抑えたのだろう。
カリムという強きに、エリアルら弱きは抵抗すらできずに挫かれる。
「ご主人様、申し訳ございません」
「どうか蛮行を働いた私たちめに罰をお与え下さい。ですから命だけは、命だけは取らないで……」
決して互いを認めないであろう仲の二人がこの日ばかりはカリムを恐れて密着していた。号泣し、吹雪に曝されたように震えている彼女たちを目の当たりにして、頭の熱も冷めてきたカリム。
少しやり過ぎたと反省の色を示し、彼女たちを宥めようと剣をしまい、抱き寄せた。
カリムの態度の軟化に触れて、エリアルとエマヌエルの焦燥に駆られた様相も解けてくる。笑いもできなかった、締まった口元が緩んできたのだ。
「ご主人様、ご主人様!」
「もう貴女を失望させません。ですから、私たちをまた貴女の下に置いてください!」
「はいはい、それは行き過ぎだって。そう簡単に貴女たちを手放すものですか」
彼女たちはカリムに応えようと互いの価値観を衝突させた結果、喧嘩する。これがたとえ自己中心的な部分に拠るところが大きくとも、尊重するべきだと主張したいのがカリムというリーダーだ。
「先程みたいに喧嘩されても困るから、今度からは本格的に対立する前にあたしに相談しなさい」
私事で今後に貢献しなければならない戦力を損失するのは愚かで、手痛い行為だ。エリアルとエマヌエルが争った時点でこの懸念とは現実的に直面する事になると断言できる。
「また冷えてきたし、入り直したいわ。エマヌエルはどうする?」
「もちろんお付き合いさせて頂きます」
「折角だしエリアルも一緒に入りましょう。当然、先に身体を清めてからだけどね」
「は、はい! ご主人様とお風呂なんて奴隷のあたしにとって、恐れ多い程。そのお誘い、是非ともお受けさせて頂きます」
エリアルが服を乱雑に脱いでから身体を清めるまで、時間は掛からなかった。準備が整ったエリアルが来たと報せるのは、ふくらはぎに刻まれたデッドフォックスの紋様。
丁寧にサラシを巻いてご入浴のエリアルはお湯の熱さに感化され、ほんのりと顔を赤らめている。
「それにしても良く鍛えているわね」
「盗賊稼業の時から下積みが厳しかったから」
エリアルは女の子らしい柔らかな肉と、運動に必要な筋肉とをバランス良く共存させていた。盗賊時代の厳しい特訓も絵に描いたその通りながら、知将デニスの協力と実地におけるカリムの教え方から得られた成果も合わさり、エリアルは少女というには完成された美体をものにしている。
「それとご主人様に鍛えられた賜物があたしなんだ。才能も名誉も無い、どうしようもない底辺を、ご主人様が高みへ連れて行ってくれた」
成長途上の胸を恥ずかしげも無くカリムに押し付け、エマヌエルへ妖しい視線を送るエリアル。エマヌエルはこれに嫉妬して怒ると予想し、カリムの身構えは杞憂な行為であった。
「底辺だって、頑張れば強くなれる……」
エマヌエルは彼女の甘言に感化されているようだ。エリアルにだって、誰にだって伸び代がある。カリムが操る魔術は隠された才能を見事に引き出した。証人であるエリアルが言うのだから、これに嘘偽りは無く、また身をもって味わったエマヌエルがこれを疑う道理は無かった。
「ご主人様は私も鍛えてくれるのですか?」
「お前は元々本能が足を引っ張っていただけで、今がそもそも以前の比では無い強さを得ているはずよ」
「では駄目なのでしょうか。私ももっと身体を鍛えて、ご主人様に貢献できるようになりたいです」
足で湯を掻いているカリムは口元を緩め、焦るエマヌエルを抱き寄せた。
「他の子だって鍛えているあたしが、どうして貴女を除け者にしなきゃいけないのかしら」
もたらされた希望が光となって闇を拭う。曇っていたエマヌエルに戻ってきた晴れやかな笑みがこのように伝えている。
戦闘に特化したエリアルがメインになるのは戦術上仕方の無い事で、鼻が効く索敵役の獣人ベルカと、回復やバフに一役買うデニスにも最低限の強化は施している。
それにベルカはともかく、デニスの方は長年組んでいるカリムとコンビネーションを行う分には息が合っている。
「デニスも中途半端にやるよりは一点集中が良いとは言っていたから、取り敢えずはその案を試している感じかしら」
デニスとベルカも、実際は一人で半端な小国は滅ぼせるであろう戦闘力はある。特にデニスは勇者パーティで踏んで来た場数が活きているため、未だに鍛え抜かれたエリアルをも遇らう強さだ。エリアルと組み手をさせても、一瞬で彼女の敗北が決まる程度で頭一つ抜きん出ている。
「明日の仕事が終わったら手解きをしてあげるわ」
「ご主人様の手解き、今より楽しみにしています」
可愛らしい女奴隷を囲んで見上げる魔界の月はカリムを酔わせる。不気味で、情緒の欠片も無い醜い夜空でも、物思いに耽る分には罪にはならない。
「ご主人様」
「エリアル、どうしたの?」
「お腹空きました」
エリアルの空気を読まない発言に、力が抜け、湯に沈むカリムとエマヌエルであった。
「魔族の料理って癖になるんだよね」
「すみません、お手を煩わせた事をここに詫びさせて頂きます」
「我は貴様らが我らの信頼をいかに得るか。万全の状態でそれを証明させるために、この程度の協力は惜しまんさ」
魔王と約束した王の暗殺を成した暁には、魔族側の信頼を得られる。
カリムの描く野望のためには、あちらに干渉するための足掛かりは無くてはならない要素。これに比べたら、一国の王の命程度は軽いものだ。
「勇者サイガを殺した時点で人間側に反旗を翻したも同然」
カリムの目はすでに殺意を孕み、人としての道を外れていく事にも迷いは無かった。
カリムが朝起きると、広いベッドには笑顔のエリアルとエマヌエルがいた。起き抜けに背伸びをしている頃に鳴るのは扉のノック音。
「入って良いわよ」
入って来たのは寝巻き姿のデニスで、レースの布で編み込まれた衣服ははみ出た彼女の大きな胸元を強調している。恥も忘れた無意識とはいえ、奴隷たちはつくづく男性の琴線に触れる服装や態度でカリムに迫ってくる。
「お加減はいかがでしょうか」
一度は裏切られたデニスの言葉でも、もう二度と裏切らない人形のものと解釈すれば、こうも心地良い逸材である事に疑問の余地は無い。
「相変わらず最高よ。なんといってもしがらみから解放されたのが大きいのよね」
「結構な事です。ところで、魔王フィレンツから出立前の朝食の誘いがあるのですが」
口に手を当て、柔和な笑みを伴いながら隣に立つデニスの瞳に以前のような輝きは無い。代わりとなるのは己の意思を喰らい尽くされた搾りかすであり、それが映すのはカリムへの歪んだ忠義立てのみ。
「是非とも受けたいわね。みんなが着替えたら向かいましょうか」
「畏まりました」
デニスはいつもの魔術師の装束へ着替える。水色と白を継ぎ合わせたそれの前方に描かれているのは、アルマ王国という所属を強調する剣を象った紋様であり、これはカリムの鎧にも同様にあしらわれていた。
「ご主人様の命により馳せ参じました」
エリアル、エマヌエル、ベルカも召集を受けて現れた。飽きないのか、エマヌエルの尻尾とアホ毛は綺麗なハートを描いている。
更に気付いたのが全員の魔力が上昇している事。足音一つからして、以前とは別人であった。
「私の尻尾と髪の毛はご主人様への好意の証です。突っ込むだけ野暮ですよ」
遂には心まで読まれる始末。彼女たちは単純な思考なら、たとえ上位に当たるカリムであろうとこれを読んで図星を突いてくる。エマヌエルは特にこの能力に長けているようで、周りの驚いている衆へしたり顔をしている。
私だけが気付けた。嬉しい。そんな彼女もこのように思っている事が筒抜けなのがまた、カリムには愛らしい。
「ご主人様に従う事こそ私たちの至福。食事なんて二の次であり、実際どうでも良いのですが、それが貴女のためであるなら是非ともお供したいのです」
エマヌエルは背中に生えた羽を激しくはためかせる。それに言っている事と腹の音の乖離。前と変わらない抜けた部分がカリムにおける庇護欲を掻き立てる。
「あわわっ、カリム様」
焦った挙句、つまづいたエマヌエルをカリムは抱き抱えた。彼女に対して恥ずかしくなったような素振りを見せるエマヌエルは一目散にそこを抜け出し、目元を手で覆い隠した。
「ふふ、前のカリムちゃんみたいでちょっとした懐かしさを覚えますね」
高価な甲冑や壺が飾られてはいても、本質的には代わり映えしていない長い廊下を歩いていると、呆然としたくもなるのが世の常だ。
デニスに促され、カリムの過去の記憶に軽く干渉する。
カリムは昔からおてんばで粗暴だったようで、周りからこれを諫められていた。幼馴染みであったデニスはその様を見てよく笑みを溢していたという。
「あんまりそういうのを思い出さないで欲しいわ。曲がりなりにも今のあたしはカリムだもの」
「いえいえ、私は貴方を辱めるつもりは毛頭ありませんでしたよ」
「どうだか、あんたの腹の内は昔から読めないから」
「随分と持ち上げられているようですね」
テムズの精神はカリムの肉体に少なからず引かれている。その事に起因して、まるで彼女の経験を私事のように解釈する事がしばしば訪れる。
「やっと着きました」
「わふ、朝食だけで割と良い運動になってしまうよ」
魔王と魔族のシェフたちがお出迎えする食堂では、とても朝食とは思えない量の料理が振る舞われる。
「出立前の景気付けだ。遠慮せずに食べていきたまえ」
物量に対抗する方も対抗する方で、エリアルを筆頭に卓上の料理を端から喰らっていく。次から次へと料理を運んで来るシェフたちは筆舌し難い状況に呑まれているのは想像に難くない。
「衣食住、最後までもてなしてくれて、とてもあたしたちを信頼していない男とは思えない器量ね」
「王を殺す前祝いだと受け取ってくれれば良い」
カリムの対岸に座すフィレンツは杯に入れられた人間の血を飲み干し、力強く叩き付ける。そこから奔る激震に、飯を貪る勢力は皆一斉に息を呑んだ。
「魔物と契約は絶対だ。信頼を勝ち取ると言ったのだから、貴様は確実に王を殺し、その手柄を持って来なければならない。もしも契約を違えれば、その時は我自らの手で不届き者の首を撥ねてやるわ」
未だかつて味わった事の無い魔王の威光に触れたカリム。凄まじい緊張感がもたらす重力下で身体が捻り潰されるかのような錯覚に踊らされる。
これが魔王フィレンツ。これが立ち向かい、討ち果たさんと国々が躍起になっている怪物の脅威。彼女は汗を額に滲ませつつも、自信をもって首を縦に振った。
「くくっ、怯んではいるようだが、それでいてなお戦意を失わんとは中々の胆力よ。かつて我らを倒そうという夢物語を妄想した大うつけだけあり、素質は十分か」
シェフに血のお代わりを注がせ、愉悦に浸るフィレンツ。豪快な一杯から、今度は遊びを加えたようにその中身を踊らせながら、少しずつ飲んで楽しんでいた。
「お腹一杯。これで長旅も平気だよ」
魔都パルテコアの門にて、カリム一行は王国への帰路に着く。任務の報告を偽り、裏で糸を引いて王の首を獲る。
単純ながらこれが最善と見たデニスの案に従い、一週間の帰路で細かい部分の調整に勤しむ予定だ。
オークの将軍に見送られながら、カリムたちは門を潜る。
「魔王様より預かった、ワープの魔法が組み込まれた魔水晶です。依頼を完遂した後の報告にお使い下さい」
フィレンツはどこまでも手厚い男であり、オーク将軍に預からせた魔水晶にて、暗殺後の帰還手段まで用意してくれていた。口では脅しながらも、やはりそれなりの期待はしてくれていると分かるやいなや、カリムの足運びは速くなる。
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