第14話 修羅場
呑気に笑っているものの、痛手を受けているエリアルはヒーラーでもあるデニスから治療を受けていた。
「急所は避けていますね」
「音の技だって規則性はあるからね。これを分かってさえいれば簡単に軽減できるものだよ」
エリアルの超理論は先人たちが組み上げてきた戦いの基盤を容易く覆す。エリアルは勘をもって規則性を即座に見抜き、致命傷を避けていたと自慢げに話していた。
「ご主人様のためなら、なんだってできるのがあたしなんだ」
この宣言通り、本当になんでもするのが彼女。死ねと言われたら死ぬ、くらいの重い忠誠を誓う事を大前提とし、恐怖心や自分のみにおける射幸心は介在しない。
彼女の幸せはカリムもとい、テムズありきで成立するものであり、彼女から受ける異様な寵愛を拒まずに受け入れるのは彼女のためであり、彼女を介して大事を為すカリムにおいても重要な通過儀礼である。
「エリアルちゃんは燥がないで下さい。幾ら軽減したとは言っても、内臓はズタズタなんですから」
デニスは闇に堕ちてからは聖の加護を受けた賢者から、闇を司る闇賢者にクラスチェンジしており、多彩な呪術や禁術を操れるようになっている。
「ダークヒール」
テムズが扱っている闇の魔導書から彼女に仕込ませてみたダークヒールは闇に囚われている肉体を癒し、そうでないものから魔力を搾取する攻防一体の魔法である。
「いひひ、デニスがいればほとんど治るし、大した心配はしていなかったんだよね」
「全く、私の力を過信しないで下さいよ。死んでからでは遅いのですからね」
デニスの不用意な発言に、エリアルを取り巻く空気が一変する。
「ご主人様を守るんだから、死ぬわけないじゃん。さっきの発言はあたしに対する侮辱と捉えて良いのかな」
ところがエリアルの怒りにデニスは気圧される事無く、怪我を負っている部分に文字通り塩を塗る。
「うぎゃぁぁぁぁ!」
エリアルは振り返す激痛にのたうち回る。興奮により痛みをある程度忘れられる戦いならいざ知らず、冷却が完遂された脳では許容不可能な激痛が身体へ鞭を打ってきていた。
「治している間は私の時間です。反抗するなら、次はもっと痛くしますから」
デニスの瞳の魔法陣が赤くなる時は相手を貶めるのを楽しんでいる時。悪虐の限りを尽くすエリアルでもこの状態のデニスには抗えず、一方的に痛ぶられる。
「ごめんなさい……くそ、後追い女の分際で……」
エリアルは大人しくなるように装いながら、彼女に悪態を吐く卑劣な真似をする。
「お腹の辺りが痛そうですね」
卑怯なやり方は看破されるのが道理である。内臓の破裂から酷い内出血を起こしているエリアルの腹部を摘むデニスは目に見えて分かる作り笑いを浮かべていた。対するエリアルが示すのは悲痛。悲鳴と共に目尻には大粒の涙を潤ませており、これがデニスの嗜虐性を掻き立てていた。
「うる……さ……あぎゃぁぁぁぁ!」
「生意気なのはどの口ですかぁ?」
昔は心根が優しく、聖人と評されていた勇者パーティの精神的支柱も、今では性根が腐った狡賢い悪党に成り下がっている。賢しさはそのままだが、その方向が悪巧みへ傾いており、カリムの参謀として蓄えた知恵を寄与している。エリアルの手解きの過程をどのように進めれば良いのか、これを組んだのはデニス。
彼女が加入して以降、カリムにとっては快適な環境が出来上がってきていた。エリアルを過剰に咎めるのも、彼女が危機感を抱く匙加減を把握しているからだ。
「くふっ、貴方のお陰でより頭がフレキシブルに働くようになりましたよ」
敵味方問わず、主人すらも掻き回す鮮烈な采配を振るう魔女として、彼女は隣で支えてくれる。それ以前にカリムが妙な信頼感を寄せられるのは、以前からの長い付き合いが形を変えながら継続している事に起因すると推察される。
「ところで、ご主人様のものになったエマヌエルちゃんは?」
「わふ、わふ、エマヌエルはまだおねんねしてるけどね」
荘厳な雰囲気を醸す一部屋にて、ベルカが指差す先のベッドで赤ん坊のように朗らかな笑みを浮かべながら、丸まって眠っているエマヌエルは洗脳済みであり、後は目を覚ますの待つだけだ。
「良い顔で眠っていますね」
「きっとご主人様の事を想っているからじゃないかな。アタシもずっとご主人様しか考えないし! わん! わん!」
耳を立てながら媚びてくるベルカの頭を撫でながら、部屋に備え付けられたソファー好物のワインを飲んでくつろいでいるカリムはまさに悠々自適。このような実力者を手懐けている貫禄はさながら、勇者ではなく魔界に則った悪魔であった。
「むにゃ、あはは、いひっいひひひひ」
ただでさえ暗黒に委ねた空が長い時間を経て、黒色一色に沈み行く頃、褐色肌の可愛らしい淫魔が不気味に囀る。洗脳魔術は魔族にも効果は覿面なようである。
「もう魔王なんてどうでもいいや。私に掛かった、頭をふわふわさせるこの魔術が教えてくれた。私が仕えるべきはあんなのじゃなくてご主人様だって!」
閉じていた目が見開かれると、そこには両眼共、魔法陣が刻まれていた。魔族の彼女における侵食は芳しく、もう主人であるカリムにべったりだ。
魔王を崇拝していた敬虔な悪魔の面影はもうどこにもない。無節操に発情する本能も魔術が打ち消しに成功しているようで、何事にも真摯に応えてくれる上に頻繁に起こるらしい、本能に感けてサボるような失態も犯さなくなっていた。
「ご主人様、その、私とお風呂に入りませんか?」
豪華なディナーに満足した後、提案されたのは風呂の一時。二人きりで入る相手はエマヌエル。凶器として振るった尻尾と、二本ある角の間に挟まっている頭頂部のアホ毛はハートを描いており、本能にあった感情の全勢力は無くなったのではなく、カリムへ向かっているのを示唆していた。
「カリム様の身体って良く育っているのですね。鎧に包まれて着痩せしていたからか、気付きませんでした。カリム様専属の淫魔なのに、こんな事も見抜けない私はまだまだです」
エマヌエルはカリムの背中の半分以上にも及ぶ長い赤髪を一本ずつ丹念に湯に通し、磨き上げる。それだけなら良いが、あろう事か匂いまで嗅がれている。魔水晶に反映されているエマヌエルの蕩けた顔は情けなく、それでいて美に酔い痴れている儚い乙女の様相。
「お胸も大きい……タオル越しでもお美しいです」
「そんなにじろじろ見られたら、幾ら中身が男だからといっても恥ずかしくなるわね」
エマヌエルはタオルを開いて見えたであろうカリムの肌に直接石鹸を付けて洗い出した。彼女の発情は止まらない。我慢がならずに自らの指を舐めているのが映る。
「カリム様好きぃ。私淫魔なのに、カリム様以外に興味が無いのぉ」
カリムは程度を心得て粘着質に触ってくるその手付きにこそばゆさを感じていた。
最中、カリムの魔眼から自然と漏れ出す膨大な魔力を抑える眼帯がエマヌエルに外される。その膨大な魔力が魔眼の周辺に影響し、ひびのような痣が目を縦に切り裂くように描かれると、カリムの本性が外見にも表れたも同義である。
「大好きなカリム様の可愛らしい目玉だぁ。是非とも舐めたいです。この目、城の地下に眠る宝石なんかより余程上等の輝きで、とにかく目を奪われてしまいますね」
「それは勘弁して欲しいわね。まあ、見るのは一向に構わないわ」
「吸い込まれそうな純粋なる黒……浮かんでいる魔法陣もカリム様と共有しているのを如実に感じられて、はぁ、見ているだけで満足感があります」
カリムは何もしていないにもかかわらず、その身体は隅々まで綺麗に洗われている。エマヌエルの丹念な様子が窺える出来栄えだ。
感動も束の間、洗った主であるエマヌエルに連れられ、広大な浴室の奥にある湯船に浸かる。
エマヌエルは同時並行で尻尾を使って身体を洗っていたようで、カリムが見たところすっかり清められていた。
「ご主人様の肉体であるカリム自体には、何も興味なんてありません。でも、ご主人様が操る身体なら、それがたとえ醜い身体だろうと大好きです。逆に言えば、他のものなんか、ご主人様がいなければ何の価値も無い。ただの屑です」
エマヌエルはカリムの胸の谷間に顔を埋める。頭の両端にある角が少し刺さってちくちくし、カリムの感じる痛みはそれなりであるが、不思議と不快ではなかった。
「このお胸、今はご主人様のお胸なので付加価値十分。大好きです」
「そ、そう。満足して頂けて何よりだわ」
カリムと新入りが楽しく織り成す影で、柱を指で割る少女がいる。血走った目で視線を送る、嫉妬に喘ぐ小さな身体の持ち主はエリアル。エマヌエルはカリムに盲目なせいでその存在に気付いていないようだが、カリムは時折放ってくるその殺意を敏感に辿っていた。
「そろそろ上がりましょうか」
カリムが激怒するエリアルに気を遣って上がろうとすると、まだ満足していないエマヌエルがそれを引き止めた。
「もう少しいましょうよ、一対一でご主人様といられる時間。私はもっと過ごしていたいです」
「ご主人様が出るというのに、逆らうの?」
穏便に済ませたいカリムの願いも虚しく、怒りに駆られたエリアルが沈黙を破り、躍り出て来る。途端にエマヌエルから笑顔が消え、彼女もまた殺意を剥き出しにしていた。
「何? 私の邪魔をしに来たの? 貴女となんて話したくないから消えてよ。馴れ合いはご主人様だけとしたいの。貴女は私の世界には要らない……それこそご主人様以外なんて……」
「ご主人様が上がりたがっているのに引き止める無礼者な屑の指図なんか受けないわ」
「じゃあ力尽くで聞かせるまで!」
エマヌエルは臨戦態勢に入り、魔力を体外へ放出する。決闘の時とはすでに比べ物になっていない強さであるが、エリアルもこれに引けを取らず、喰い下がる。
「敗北者が息巻いても、結局弱く見えるだけだよ。どこまでも哀れで無様な女だ」
「ふん、いつまでそんな下らない余裕を気取れるか、見ものね」
奴隷たちは主人を想うあまり、仲間同士で殺し合いを始めるのは日常茶飯事なのがネックだ。その場合、カリムが直接頭を冷やすのが手っ取り早い。
「止めろ、あたしの目の前で醜い真似でもする気かしら」
異空間から召喚された二本の剣がエリアルたちを一瞬にして捉え、彼女たちよりたちまち血の気を引かせた。
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