第13話 圧倒

 エリアルが出逢った魔物はグリフォン。それも数多の熟練冒険者を返り討ちにしてきた赤き猛獣として恐れられる、クインズグリフォンだ。

 怪我が治りきっていない彼女にも、グリフォンは容赦無く襲い掛かる。

 舞台は嵐が断続的に起こる事で有名なガリフォス渓谷。アルマ王国と氷の帝国エルバトラを結ぶ過酷な国境として知られている。両国はこれまでまともな外交をした事が無い。

 アルマ王国とエルバトラ共に、態々人員を割いてグリフォンの討伐に乗り出さなくとも、他の国との間で充分な貿易を築けている。そんな理由から、戦わなければ無害なグリフォンは野放しであり、この国境は往来の道の価値は最初から死んでいた。


『グリフォンを倒したら、ご主人様笑ってくれるかな、褒めてくれるかな?』


 エリアルは人類が畏怖する壮大な規模を誇る怪物に出逢ってなお、恐怖どころか笑っている。彼女に主人に関する感情以外は無いために怖がらないのは当然として、戦いが好きでもないのに笑うのは、後に来るであろう主人からの褒美が楽しみだから。

 グリフォンを殺し、国境を開拓した英雄になっても、当の彼女にとってそんな栄誉は1ゴルドの価値すら無く、必然的に持て余す。


『薄汚い人間。それも薄汚い盗賊か。我が聖地にそのような輩がよく踏み込んで来られたものだ。身の程を弁えぬと……』


 招かれざる客の来訪に激昂するグリフォンの首がエリアルの目の前に転がる。このように起こった一瞬の出来事の直後、エリアルの口が半月状に曲がり、首だけになったグリフォンにおいて勇猛果敢を暗に表す瞳がこれを見ると、たちまち恐怖の一色へ染まった。

 勘に優れ、他の器官の性能も人間のものと比べ、遥かに凌いでいるグリフォンが人間に恐れを為している。これは自然界への暴虐。弱きを淘汰する最強の翼を遍く大地に堕とすのはまさしく神のみに赦される。


『汚らしい足で聖地を踏み荒らした挙げ句、我をこれ程までに辱めるとは、貴様ぁ!』


 一介の盗賊に身を堕としたエリアルに神と肩を並べる素質なんて無いはずであった。

 あの魔術は本来は小さいまま終わっていたであろう存在へ果てない力を宿らせた。それ以外にエリアルの劇的なパワーアップは説明が付かない。


『弱いなぁ、こんなんじゃあたしのご主人様の100分の1も無い。道中で死にかけただけ、儲け物かな。ちょっと恐いって感情を学べたから、次からはもっと殺しに没入できそうだよ』

『人間か……』

『ん?』

『貴様は我がこれまで征してきた人間とは違う! 我がこうも容易く敗北するなど、剣聖の他にあって良いのか! それも薄汚い盗賊などに』


 エリアルはこの日から、敵が苦しんで死ぬのを楽しめるようになったそうだ。感情の共有と言えば聞こえは良い。

 主人へ向ける以外に感情の乏しいエリアルがやっているこれは殺人機がやるような快楽主義を応用しているに過ぎない。彼女が壊れていると確信する由縁であり、今後も術が解けない限り、彼女の高まった嗜虐性は一切変わらない事だろう。


『ご主人様の匂いがするから、もう他の匂いなんて要らない』


 グリフォンを生きたまま魔石由来の炎魔法で焼き、食べているエリアルは監視の目を光らせているカリムを見抜いていた。


『ご主人様、見ていて下さったのですね』


 エリアルは影に隠れているカリムへ顔を覗かせる。おそらく助けていない事も知っていただろう。なのにエリアルがカリムを糾弾する事は無く、ひたすらに抱き着き、匂いを吸われるだけだった。


『ご主人様ご主人様、頭撫で撫でして下さい』


 カリムがエリアルの頭を撫で回してやると、またもや彼女の瞳が淡く光った。魔法陣が力の増幅を示している。微かに香るのはグリフォンの力。彼女はグリフォンの力をも取り込んでいるようだ。


『ふぁぁ、もっと下さい。それだけで生きていけそうなんです』


 出逢った頃より日に日に酷くなっている彼女に、カリムは己が身へ警鐘を鳴らした。他はまだ大人しい中、エリアルはずば抜けて拗らせている。

 主人から何でも取り込もうとし、彼の邪魔をしようとした連中は殺す。元仲間のデッドフォックスを殺した事すら一切の後悔も無く、呑気に肉を食べて惚気ているのが彼女らしく、その本質的な恐ろしさを助長していた。

 激闘の最中、突如として動きを止めたエリアルが吐血した。原因は不明。エマヌエルが隠していた力をここで披露したのだろうか。


「エビルパラライズ!」


 角に凝縮された雷を再現した魔力がそのまま落ちる。地面を抉り、電流が奔る爆雷を跳び上がってかわすエリアルはカリムから見て、本調子ではなさそうである。


「うっ!」


 飛ぶ鳥が落ちるように出鼻を挫かれた彼女は墜落する。その際、カリムはエマヌエルの口の動きに着目した。

 エマヌエルが元となっているのを予測できるのなら、自然と彼女へ視線が行くのが道理である。


「エマヌエルが使っているのは肉声を用いた呪詛ね」

「あのエリアルとやらもそうだが、あれを操る貴様の慧眼も卓越しておるようだな」


 エマヌエルの呪詛は相手を内から呪い、体内を破壊する。不可思議な吐血は可視化できる呪詛の能力の一環であり、症状が進めばいずれ対象の命も尽きる。


「いかに鍛えようと、エマヌエルの呪詛に対抗する事はできぬ」


 エリアルは確かに、総合的に見てエマヌエルより格上だ。敵方に位置するフィレンツもそこはそのように見ているようで、エリアルの方へ軍配を上げていた。

 最初はもっと飲めていた酒の減りが少なくなっているのが横目に入る。


「ひぃ、ひぃ、ちょっと疲れた」

「結構身体を潰したはずなのに、疲れただけで済ませる事ができるなんて、私の呪詛も安く見られたものね」

「本当に参ってはいるよ。身体中痛くて痛くて、立っているのもやっとのところだ」


 エリアルはふらつき、立っているのもやっとであるくらいに憔悴している。

 エマヌエルの苛烈な魔弾も全快ならば捌けていたものを、結果的には急所には当たらないながら細かな部分に掠っており、疲弊に忖度をしている形にまで落ちぶれ始めている。


「そろそろ終わらせるわよ。私は魔王様に付いていく。確固たる意思を貴女を完膚無きまでに叩きのめして証明してやる」


 エマヌエルの全身を膨大な魔力から形成された眩い発光が包み込む。決着を急ぐのは、魔王の信頼を一刻も早く取り戻すため。エリアルに勝つ事は、あくまで彼女が魔王と共に歩むための通過点に過ぎないのだ。


「全てを滅せよクラッシュ・グラン・エクスシュート!」


 彼女は雷が落ちるよりも速く、闘技場の地下深くまで突き抜ける。エマヌエルもエリアルも、カリムたちからは一瞬見えなくなっていた。

 激しい発光が止む頃、形勢がようやく明らかとなる。


「は?」

「あー、楽しかった。久々に人間らしさを思い出せたよ」


 エリアルの魔力を帯びた指一本、それだけがエマヌエルを押さえていた。地下に減り込む威力を、たったの人差し指の一つだけで無傷を保たせている。


「かはっ!」


 エリアルのデコピンでエマヌエルが上空を舞う。涼しい顔で出て来るエリアルを迎えるのは、地に伏せた無様な姿の淫魔。


「エマヌエルのお陰で、人間らしさを思い出した気がするよ」


 エリアルはカリムをも驚かせている事を察知していたのだろうか。異様な光景を曝け出してきた自分について、多少なりとも考えるようになっていたようだ。


「二度目の痛みが教えてくれたのは、今までのあたしには知能が足りなくて、ご主人様を困らせていた事に気付けなかったという事」


 か細い針が複数本、エマヌエルへ突き刺さる。エリアルはこれまで影も形も見せなかった含み針を扱っていた。


「ご主人様の事ばかり考え過ぎて、相手を殺そうと躍起になっていたよ」


 幾ら力に優れていようと、使い手次第で傑作にも駄作にも繋がる可能性はある。エリアルは主人への強過ぎる想いが灰汁になり、却って彼女の使命を妨げていたようだ。カリムにはおよそ見当も付かない。

 新しい武器を使う以外に特に変わった様子は無く、要するにエリアル本人にしか分からない決定的な違いがあるのだろう。カリムが考察に熱を入れる最中、エリアルが動き出す。


「もうお前の芸には飽きたから、壊しちゃうね」


 エリアルが二人を隔てる大穴を当然のように飛び越え、エマヌエルに斬り掛かる。エマヌエルは無理に対抗しようとはせず、逃げようと翼をはためかせる。

 翼が彼女の要求にまともに取り合ってくれていないようで、非常にぎこちない動作しかせず、エマヌエルは移動も覚束ない状態だ。


「さっきの針、魔物にも効く強烈な神経毒だったのね」


 エリアルは飛び立てない彼女を斬り裂こうとするが、尻尾で見事に受け止められた。

 まだ全身には毒が回っていないながら、エマヌエルが取れる選択肢は大分狭まっている。彼女は短期決戦を強硬しようと、鋭利な爪で対抗する。

 エリアルの心臓を一突きにして倒そうという、単純明快ながら弱くなっていく彼女が渇望する勝利へ一縷の望みを託せる策ではあった。


「お前には反撃すらさせないよ。もうあたしに傷を付ける事すら許されない。お前が一方的に蹂躙されるんだ」


 それより速く、重い。腕を横から狩り取る剣に、エマヌエルは攻撃から防御へ転向せざるを得なくなる。そこからはエリアルの一転攻勢。エリアルの操る多彩な武器は先程までの変則的な動きと相まって、剣だけであったものから、完全に攻略不可能であろうゲテモノへ昇華されていた。


「ああっ!」


 エマヌエルは呪詛を唱える間も無く、エリアルに嬲られ続ける。どんなに防ごうが、防いでいるだけ。手を出せない。攻撃するための隙が、エリアルには一切できなくなっていた。苛烈を通り越している天災にら決して逆らう事のできなず、ただひたすらに流されるばかりだ。


「降参する、から、止めて」

「あはっ、ご主人様、あたしやりました!」


 悪魔をも圧倒するエリアルの底知れない強さがまた一つ、カリムの歴史を刻む。


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