第12話 エリアルvsエマヌエル

 エマヌエルの鋭利な尻尾が硬い岩盤を射抜き、金色に輝く角が壁面を割る。仮にも魔王から飼われた身であり、相応の実力は備わっているという事だ。


「エリアルだっけ。確かに強いけど、魔王様のためなら私は幾らでも貴女を超えてみせるわ」


 これまでの失態を払拭し、かつ魔王の期待に応えるためにも、与えられたチャンスを活かさなければならない。断崖絶壁を背にし、焦る彼女は与えられた通り、目の前の対戦相手を下す事へ全力を注ぐのみだ。


「あたしの想いはその全部がカリム様に捧げられる。あんたなんかには到底真似できない強さがある」


 本来なら、エリアルと同じ戦場で組する事すら憚られる。彼女の相手を見下した視線は永久凍土でも生温い極寒の空間を疑似的に演出する。

 世の中、どうしても馬の合わない人種と鉢合わせする機会が、人生に置いて二度三度ある。生理的な嫌悪。徹底した排斥。エリアルが置かれている感情の渦中では、価値観の決定的な相違に起因するエマヌエルへの憎悪が大半を占めている。


「両者共に、決闘の前に武器を選ぶがよい」


 闘技場の地下に収められていた武器が出て来る。殺傷能力の高い剣やらモーニング・スター、捕縛に長けた鎖鎌など、用途を問わずありとあらゆる武器が充実している。


「要らないよ。あたしの武器は愛用のこれだけあれば事足りる」

「私も要りません。この身体と魔法で不足無く戦えます」


 両者共に武器の提供を丁重に断り、改めて向かい合う。互いに冷静で、状況を程良く把握できているようだ。

 あんなにもエリアルを高く評価し、慄いているエマヌエルが平静を保っているのは、カリムには意外ではあった。


「エリアルの楽勝かしらね」


 精神面で幾ら高潔であっても、これに伴う実力が足りなければ宝の持ち腐れ。カリムは意外性を熟慮したとして、戦におけるノウハウとそれを実行に移す身体ができているエリアルの勝利は揺るがないと見ていた。


「ただ見ているだけでは詰まらなかろう」


 フィレンツは片手にワインを持ち、誘いを掛けてくる。カリムは折角の申し出を快諾し、グラスにワインを注ぐ。

 グラスに映る液面にて、微笑む悪魔が揺れる。年代物の美酒の豊潤な匂いと果実の甘味で仄かに酔いながら、激突する両者を見届けるカリム。


「うひひ、久しぶりに暴れるの楽しいよ。しかも初めて戦う悪魔だ。こいつも新しい味を知りたくて堪らないだろうよ」


 壁面や柱に足を掛け、空中を駆け巡るエリアルと、背中に生えた悪魔の翼で飛び回るエマヌエルの機動力に差異は無い。どちらもカリムとフィレンツが見ているから動きが捉えられてはいる。

 大概の生物がこの決闘の応酬を観察する事は不可能に等しいと判断してしまうくらいに、舞い立つ塵や侵食するひびが遅れを取っている。


「ダークパルサー!」


 エマヌエルは翼で自在に駆け回り、四方八方から闇の魔力を凝縮してエリアルへ放つ。流れ弾の一つ一つが柱や壁に重力による大穴を刻み付ける。まともに食らえば肉が醜くひしゃげてしまうだろう。


「普通の人間なら死んでる威力だね」


 余裕の笑みでエマヌエルを嘲るエリアルは地上を走り回り、魔弾の雨を掻い潜っていた。避けきれないのなら身体を変幻自在に操り、魔弾を一刀両断にしている。

 当たり前のように空中で自由に体勢を組み替えているエリアルは常人の域を逸脱する。翼を持ち、本来なら空中戦において無類の強さを持つエマヌエルとその空中戦で互角以上に戦う人間という時点で、彼女の異常性は判然としている。


「あの子って型が無いのよね」



 エリアルの自慢の剣から繰り出される技には統一性が無い。盗賊には盗賊なりの野性味溢れた獣の戦い方があったはずだったが、そんな人間が整えたものはほとんど鳴りを潜めており、分析のしようがないスタイルへ変容していた。野生、王国流、地方で培った戦い方といった、普通なら何らかの形式に分類できて然るべきだ。


「具体的にはどうなのだ」

「野生、で片付けられる範疇には無いわね。分かるのはどこからでも敵の首を撥ねられるって事」


 逆さまになって、錐揉み回転をしながら、更には空中姿勢の最中、足で剣を押し込んで加速させるなど、殺しの手数において枚挙に暇が無い。

 そんな意味不明な彼女の殺しのスタイルに対抗する彼女の手数も異様であると言わざるを得ない。エマヌエルはしなやかな尻尾を手足のように扱い、エリアルの苛烈な攻めを抑制していた。


「エマヌエルの能力を加味して、どうなるだろうかだな」


 フィレンツの言動がカリムが唱えたエリアルの楽勝という未来を実質的に否定するものとなっている。カリムはこれにより、自信をもって育てているエリアルに傾倒するあまり、対戦相手に関して盲目になっていた事に気付いた。


「……あの淫魔の能力があんなもので済むとは思えないわね」


 途中から攻勢に出ているのはエリアルであり、エマヌエルは防戦に徹している。隠されているであろう能力を解放しない限り、戦局は引っくり返せない。エリアルは空中に留まっているかのごとく剣の流れを絶やさない。

 武器は手足を超え、意思に組み込まれている。エリアルは逆さまの状態で手から足へ剣を持ち直し、身体を反らせて振り下ろす。


「ソフィアシールド!」


 咄嗟の防護膜で上からの奇襲を凌ぐエマヌエルにも隙は晒さないのが今のエリアル。剣を即座に手へ持ち換え、首を狙って横へ薙ぐも、またもや防がれる。彼女の体勢はほぼくの字であり、今度は強靭な足の指で柄を挟み、振り向き様に剣を突き出した。


「もうあたしの攻撃はお前が死ぬまで止まらない」

「まともに反撃もできないなんて」


 殺される前に殺せというのがカリムの教えである。攻撃こそが最大の防御であると知らしめているエリアルには剣の扱い方について事細かに教えた。

 最初は荒削りで中途半端な様子であった彼女の剣。それが更に荒れ果てて型を失うとは、エリアルを日々観察しているカリムにも想像が付かなかった。


「寝ているだけで最適化していくんだからとんでもないのよね」


 エリアルは睡眠学習にも長けていて、今日学んだ事は明日にはものにしている。剣を主張するには得物を握る手以外も入念に磨けと、まずはカリムから得た格式高い王国剣技を基礎に据えようとした最初の時点で口酸っぱく教えたカリム。剣技だけ賢くなったとて、適応する高潔な肉体が備わっていなければ存分には扱えない。

 魔術師時代、カリムは形だけやたらと整っている割に、身体能力が粗末な連中は真っ先に死ぬという先例を見ている。


『はい、分かりましたご主人様。エリアルはたくさん身体も鍛えます』


 パルテコアへ向かう一週間、エリアルは過酷な鍛錬をしていた。素手で強力な魔物を倒しに行くのを目標に置き、道中を含めて身体を虐め抜く。

 一度崖から逆さまに転落し、死にかけていた。全身の骨は砕け、大量の出血をしたエリアルの命は風前の灯火。いつ死んでもおかしくはなかった。


『これは、ご主人様、が、あたえ、た、し、れん』


 動かせる部分を総動員して薬草や食糧を求めて這いずるエリアルは痛々しかったにもかかわらず、これを見てなお彼女を助けようと動くカリムは自ら足を止めていた。エリアルを助けたいのは事実。しかし、ここで彼女へ与えた試練に水を差して良いものか、師匠として疑問が残っていた。

 何より、エリアルの戦意が喪失していない部分が大きい。

 エリアルが纏うのは主人を想うあまり、執念に化けた意志の炎。自分一人で何とかしなければならない極限状態であるからこそ、輝き続ける。


『しゅきぃ、生きなきゃ、生きなきゃ、ご主人様のために、生きなきゃ』


 盗賊の知識から自然を味方に付け、数多ある植物から強力な薬草を採ってきたエリアルは死の淵から生還した。カリムが驚いたのはあの状態でも襲い掛かる魔物たちを倒しているところである。敵の喉笛に飛び掛かって噛み付き、食糧にしているのは恐怖の域。

 果たしてあれが執念の範疇に収まるものなのかと、カリムの疑問は晴れない。


『あはっ、まだ身体中が軋むけど動く分には問題無いか』


 エリアルは数日で崖から生還して脱出、修行の旅を再開する。しかし、彼女を落ち着かせないのが世界の荒んだ秩序である。


『エリアル……エリアルなのか。デッドフォックスは壊滅したはずだ』


 エリアルが道中で出逢ったのはデッドフォックス傘下の盗賊団パピオン・エメラルダス。彼らは王国出立から数日後に流れたデッドフォックス壊滅の報せから成り行きで独立し、活動を継続していた。

 デッドフォックスのメンバーは彼らが捕らえていた奴隷たちも含め、軒並みテムズたちが殺害している。生き残っているのはテムズの配下にあるエリアルだけで、彼女も世間では消息不明の扱いだ。


『そういえばこんな組織、あったね』


 主人以外頭に無い、壊れたエリアルは多数いる男性陣を有無を言わせず殺害、三人しかいない女性陣を一ヶ所に集めた。

 テムズが発現した魔術は女性にしか効かない制約がある。そのため、誰でも彼でも効くような聞こえの良い万能魔術とは言い難いものだ。


『ご主人様の魔術は我ながら素晴らしい発見だと思いますよ』

『いひ、またエリアル様が属するデッドフォックスの傘下になります』


 彼女たちのアジトにも、デッドフォックスと同様に長年掛けて集めた財産が眠っていた。エリアルはここでは搾取せず、守るようにと命じて去って行く。

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