第11話 魔王との邂逅

 カリムは憑依型の魔族という括りで入場を許可された。強靭な鱗を身に纏うリザードマンの衛兵に囲まれて監視を受けながら、城下町の詰所で待たされることとなる。

 魔族が統治する場所というだけあり、パルテコアはおどろおどろしさに溢れている。暗雲が立ち込め、決して晴れない闇が魔族にとっては原動力となり、活性化に寄与する。


「あまり歓迎されていないようね」

「人に取り憑いたり、変身するような連中は疑われやすい。ここにいる連中は人間を敵視する傾向が強いからな」


 相手方における当然の警戒のため、魔王へ謁見するにはあちらの了承を得なければならない。説明役の衛兵より説明を受けながらケーキと紅茶を貰って待っていると、オークの部隊長が魔王の仲介役としてやって来た。


「貴方がテムズ様でしょうか」

「ええ、今はこの身体の名前、カリム・ゼクスを名乗っているわ」


 粗暴なオークの中でも特段礼儀正しく、厚かましさの欠片も無い。毛深く、太った身体を包む巨大な鎧を着こなし、彼女を案内する役を担うそうだ。


「お連れの方はお一人まででお願いします」


 彼の案内に従うため、カリムの周りで城下町を荒らしそうな喧嘩が起こる前に、特に理由も考えずにエリアルを選ぶ。


「ここが魔王フィレンツの城です」


 人間が住う城とはやはり別世界のような禍々しさを放っており、人間はおろか、下級の魔族すら近付くことは憚られる。


「フィレンツ・コルディア。氷の魔術を得意とする魔王よね」


 蝋燭が灯るだけの薄暗い廊下を歩く三人のうち、エリアルは身体が人間にも関わらず、魔族の空気を吸い、喜んでいる様子が目立つ。


「魔術師の蓄える知識は中々のようですね」

「魔術師が魔術を探求する以上、魔術の達人と目される魔王の存在に触れないことは無いわ」

「ご主人様は凄いんです。私なんてご主人様の魔術で洗脳されてからずっとメロメロなんですよ。他人の心を操り、手を汚さない武器にする魔術。これ程残虐な魔術を操れる魔術師というだけで、どれだけ素晴らしい才能に溢れていることか」


 カリムの腕に絡まるエリアルの瞳に浮かぶ魔術の刻印が暗闇で鈍く光っている。彼女の首に巻いたマフラーがカリムにはさり気無い温もりとして記憶される。目的を遂行するのを至上としていた勇者パーティでは決して味わえない暖かさだ。


「失礼しますフィレンツ様。魔族として最近覚醒なされたという、カリム・ゼクス様をお連れしました」

「入れ。我の用意はできている」


 紆余曲折とした道を抜けた先に、魔王の部屋があった。騎士甲冑が両脇を固めてある廊下と部屋を隔てた扉を部隊長が開けてくれたことに感謝しながら、カリムとエリアルは部屋で頭蓋を片手にしている魔王と対面する。


「我が魔城パルテコア3代目当主、フィレンツ・コルディアである。部屋に椅子を用意してやった。そこへ座り、くつろぎながら語らうとしようぞ」


 彼が指を弾くと、部屋に突如としてテーブルと椅子が現れた。趣味の合わない、相変わらず禍々しいデザインにカリムは顔を青ざめさせながら、作り笑いを伴って席に着く。


「ふむ、我が趣味が合わなかったかね」

「いえ、そのような事は」

「遠慮するな。我は特異な貴様を少々飼ってみようかと思っていてな。少々の無礼くらいは大目に見よう」


 始まるのは魔族を象徴する長が一人との対談。彼女は全てを支配するため、手始めに魔族の枠組みに取り入ろうと画策していた。

 空色の長髪が映える魔王フィレンツの口元は緩んでおり、警戒心の類である感情はそこまで感じ取れない。

 信用を勝ち取れるかというと、流石は魔王の貫禄、簡単に心を許す気は無いようで、その間には見えない壁が存在している。

 

「詰所でも飲んだようだが、もう一杯いかがかね」

「はい」


 魔王がどこからともなく召喚したティーカップには、すでに紅茶が淹れられていた。もちろん彼からの厚意を蔑ろにするのは厚顔無恥も良いところ。遠慮無く与えられた紅茶を手に取り、一杯飲む。

 詰所で飲んだものとは違う。目に訴えかける透明度も、味蕾に染み渡る味も、鼻を擽る豊潤な香りも、その全てが一級品であると言わざるを得ない。


「そこの盗賊もどうだ? 信頼を得たいのだろう。貴様も主人に倣い、飲んでみせよ」

「魔王様ってイケメンだけど、紅茶で釣ったところでご主人様以外にあたしは靡かないよ」


 エリアルの妄想は一級品で、他の奴隷をおいても右に出る者はいない。他人の厚意を好意へ問答無用で変換し、牙を剥いて蹴散らす。このような攻撃的な性格と図々しさから、喧嘩の発端は彼女がほとんどと言って良いくらいである。


「魔王相手に随分豪胆な奴だ」

「奴隷の無礼をご容赦下さい。彼女はあたし以外が眼中に無いのです」


 魔王の左目を、魔法発動の際に起こる光が覆う。おそらく鑑定系の魔法であり、見ている対象はエリアル。


「呪われた魔術の香り。魔族の編み出した呪術とも違う、いやそれ以上か」

「エリアルが気に入りましたか」


 先程無礼な物言いをしたエリアルを気に入ったなんて、普通の感性ならあろうはずがない。

 彼に関しては普通の感性を備えていなさそうな立ち振る舞いと言動をしている。単に憑依型なだけなら、ゴーストも存在する。フィレンツが彼女を飼ったのは、他にも何らかの利益を見出したとするのが道理。


「ご主人様以外にじろじろ見られるの、気持ち悪い」


 口を開けばすぐに無礼を働くエリアルは似合わない泣き顔を伴い、形骸的ながら悶々としている。実際には羞恥心なんて無く、演技。感情をカリム以外に向けないと宣言しているからこそ、なおさら魂の無い人形に映る。


「成る程、脳を軸に身体全体を歪な魔力が操っているのか。たとえ解けたとして、精神が破壊されて廃人になる副作用付きなのは明確な侵食の具合だな」


 彼の冷静な分析はことごとく的を射ており、見解のほとんどがカリムと重なっている。

 エリアルにかけられた魔術はすでに脳を喰らい尽くしている。日に日に術者への想いを募らせ、他者を排斥する極端な傍若無人な考え方がこの証である。

 口を開けばご主人様ご主人様、あるいは好き好きと、呪詛のように振り撒く彼女はある意味でカリムの心を盗まんとし、本職を全うしている。


「ここの国の紅茶も美味いだろう。肥沃なだけの人間の王国でぬくぬくと育っただけの軟弱な茶葉とは違うはずだ」


 カリムが道中で見てきた魔族領の土地は痩せ細っていた。そこで作られていると思しき作物たちは環境を言い訳にしていないようであり、強靭に天へ向かって芽を伸ばしていたのを思い出す。


「確かに、人間時代に飲んだ紅茶とは一風違いますね」

「ほう、それで、さっきからなんともないのか?」

「すでに試していたのですね」


 噂では、魔族の作った作物には人間の身体を害する、つまり毒が含まれており、人間が口にしたら最後、泡を吹いて倒れるのが通例であるようだ。

 魔王フィレンツもまた、フランクを気取りながらも魔族領の一部を任された冷酷無比な現役当主。間者を疑えば、即時試験もとい始末に動くのは至極当然の対応だ。


「ふむ、一切効いてはいないようだな。貴様もそこのちんちくりんも」

「やるとは思っていましたが、貴方の信頼を得たいがために乗った次第です」

「くく、自分の身体に毒が効かないのも知らなかっただろうに、これに毒を仕込まれていることを知りながら、あえて飲んだとな。とんだうつけが我の前に現れたものよのう」


 魔王軍と幾度と無く戦ってきたカリムにとって描かれてきた、冷静沈着に軍を動かす印象を覆す高笑い、それどころか爆笑している。高潔な魔族の作法も何もあったものではなく、カリムの開いた口が塞がらない。

 睨み合いも兼ねた話し合いも佳境に入ってきたところで、フィレンツから一つの提案が出た。

 紫の空が晴れ、微睡みから覚めると、赤い月が顔を出した。闇に生きる魔族を祝う、血の暁が窓から眺められる城下町を活気付けている。血を燃やして松明や、餌となる人間が斬り裂かれた際に舞う血飛沫がもたらす珠玉の紅が、魔族の一日の幕開けを祝っている。


「アルマ王国の王を殺してこい。信頼を得たいならそこからだ」


 曲がりなりにも人間側の兵となって魔族を殺してきた身であるカリムが魔族から信頼を得るには、最低でも人間を、それも士気へ甚大な影響を及ぼす人物の殺害をもって精算しなければ、割に合わないとのことであった。


「あれを殺してくれば、認めて下さると」

「殺せたら一考してやろう。まずは行動に移せ」


 信頼を勝ち取るための新たな試練を与えられ、部屋を出ようとしたその時、魔王が思い出したようにカリムたちを呼び止めた。


「待て、折角だ。我の私兵を貸してやろう」


 フィレンツ自らが彼女に代わって先行し、地下への導き手を担う。表の絢爛な様相とは裏腹に、仄暗い地下は魔法を封じる格子で閉ざされた牢が複数あり、中には生きる希望を失い、沈黙している人間たちがいた。


「こいつらは我の飯だ。件の兵は牢屋の奥にいる」


 フィレンツが指差す先に、彼女たちは閉じ込められていた。

 牢に閉じ込められていたのは下級淫魔で、彼であろうと持て余す事は魔物に精通しているカリムには容易に想像できる。


「魔王様、良い加減に出して下さいよ」


 フィレンツが言うには、彼女は国の軍における下級兵である。職務怠慢の長期化が看過できなくなり、軍規違反という理由で投獄し、その腐った性根を叩き直している最中だそうだ。

 魔王の拡めた啓蒙を受け入れて邁進しているのは事実ではあるようで、彼女も反抗するような真似は考えてはいない、そんな固い意思は備わっている。


「ああ、今すぐにでも出してやろう」


 そこは下級淫魔が抱える性というものだろう。彼女たちは性欲に敏感であり、これが昂ってきてしまうと、他の事が手に付かなくなる。たとえ主人への啓蒙がどれだけ高かろうと、血に宿命付けられた本能には逆らえない。

 魔王のこれまでの意向により、冷たく閉ざされていた牢の扉がけたたましい悲鳴を上げて開く。


「久しぶりのシャバだぁ!」


 硬そうな丸まった角と、褐色肌で童顔。反省の色も無く、背伸びをしながら出て来た淫魔は胸部と下半身以外の露出が甚だしく、元男性であったカリムが見るのは、一種の抵抗が邪魔をする。


「いやぁ、本能には逆らえないというのに、魔王様も酷というものですよ」


 淫魔は閉じ込められた事に逆ギレし、魔王へ反発している。本気で怒っているのではなく、冗談半分を交えてコミカルに。単純な思考が特徴となる彼女たち淫魔の逆鱗は誰よりも硬く、とにかく抜き取りづらい事に定評がある。

 

「お付きのこいつらは何者なんですか?」


 彼女が目を付けるのは、カリムとエリアル。特にエリアルには魔王同様にご執心だ。


「ふーん、勇者一行のカリムと盗賊団デッドフォックスですか」

「勇者はチェックしていたが、腰巾着風情は我の眼中には無かったぞ。そうか、こいつがサイガの元仲間。では、あの一行の壊滅に関わったというのかね」

「追放された怨みで復讐してやったの。悪魔にこうして魂を売り渡してでもね」


 終わった出来事がどんなに凄惨であろうと、後日に笑い話にするのは世の常。カリムは口角を釣り上げ、雄弁に武勇伝を語り聞かせた。


「元人間が魔族に与するのも厭わず勇者を斬殺する。今更ながら貴様は矜持というものを持ち合わせてはいなかったのか?」


 彼が魔族へ転生する前にも、昔から人間の敷いた体制を否定し、魔族へ寝返る者がいた。

 領主の圧政を背景に、意地の悪い強者から搾り取られる弱者。

 僅かばかりの資源を取り合う醜い仲間内における骨肉の争い。

 世界を股に掛けた独裁を行う為政者であった狂王が罪を罰せられて処刑され、大陸全土が浄化を受けてなお、貧困や差別、紛争に悲鳴を上げる者は少なくない。狂王が死んでも、その思想は根深く残っているのだ。

 そんな苦しみに喘ぐ者に残された道が、魔族転生。確かに人間の頃より物理的な力は上がる。それでも逃げ道はまやかしとして、追い詰められた者たちを崖下へ突き落とした。 

 魔族は弱肉強食を生き残るための理念に掲げる。保身に走ったちんけな存在など、周りの魔族からすれば力を蓄える格好の的であり、中途半端に魔族に目覚めた矮小な魔物は食われるか、惨めに細々と生涯を終わるかの極端な二択が残酷に示されるのみとなる。


「矜持なんて無かったわ。あたしにあるのは真っ黒な復讐の心だけ。勇者を殺しても無くならないという事は、国を壊しても世界を滅ぼしても、この澱んだ気持ちは収まりが付かないでしょうね」


 自分がどうなろうと、世界へ醜い爪痕を遺せたらそれで構わない。何物をも捨てた投げやりな感情こそ、純粋な悪へ至る糧として有力なのだ。これを当初知らずして、魔族へ堕ちたカリムもといテムズは下級は元より、魔王ともおそらく渡り合えるだろう強さを得たのだ。


「堕ちたカリムはともかく、こっちは純粋な人間よね。変な魔術で彼女に掌握されているみたいだけど」

「淫魔の癖に、あたしの事が分かるんだ」


 会話の際にも、主人であるカリムに対して、エリアルは抜かり無い。腕を執拗に絡め、露出度の高い盗賊の衣服から剥き出しの腹部に宿る体温を彼女へ報せている。


「ご主人様の魔術って凄いんだ。路傍の屑だったあたしをどんどん強くしてくれて。お陰でご主人様を守れる立派な矛にまで成長しちゃったんだ」


 冷静に凝視してくる淫魔を煽るように、小さな身体に溜め込んでいる魔力の一部を解放してみせるエリアル。魔力で防御された城の壁面にヒビを作ってしまう魔力は盗賊における矮小であったそれとは比較にもならない。


「こんな事って……最早上級魔族のそれじゃない。それこそイビルギガンテと同等の」

「そのイビルギガンテならちょっと前に100体は沈めた。昔は難しかったけど今ならもうちょっと捻り出せば同時に50体は殺せるかな。本気なら100体も余裕!」


 エリアルは際限が無いと言わないのかとばかりに力を蓄えていく。寝て起きたら魔力が段違いになっているのは良くある事で、剣の腕も魔法剣士であるカリムとの特訓で切磋琢磨し、日に日に延びている。

 一端の盗賊がかの剣聖スフィリア・リーンハルトへ届き得るかもしれない。何をやらせても成果を弾き出す秀才エリアルの育成にカリムの胸が躍らない日は無い。


「ご主人様のためなら、まだまだ強くなれますよね」

「昨日よりまた強くなったわね。その調子で期待しているわ」

「はい! エリアル、もっともっと頑張ります!」

 

 地下の暗がりにてフィレンツから淫魔へ告げられたのは、気を持ち直そうとする彼女への、正しく死の宣告そのものであった。


「フィレンツ様、それは一体どういう事ですか! 説明して下さい」


 フィレンツの兵を辞めて、カリムに服せよ。忠を尽くしてきた主人からの裏切りにも等しい行為に曝され、気が動転している彼女。

 サボっていてもそれは本能によるものだというのは配下に据えている魔王が一番知っている。彼女の怠慢を黙認していては他の部下に示しが付かないために、魔王は彼女に罰を受けさせていたようだ。

 牢獄では悪癖を治すための試験を与え、頑張れる時に遅れを取り戻させる。そんな魔王の暖かい手腕が、突如として彼女へ牙を剥く。


「エマヌエルよ。お前を効率的に使うにはカリムの下に就くのが一番だと判断した」

「そんな勝手、幾ら何でも……!」

「そう言うと思って、貴様には機会をやる。カリムの部下であるエリアルに勝ち、己の価値を改めて示してみよ」


 魔王はエリアルとの勝負の行方に淫魔エマヌエルの行き着かせる先を委ねようとしていた。


「エリアル、適当に遊んできなさい」

「はい、ご主人様の命令に従い、あの悪魔で遊んできます」


 エリアルの瞳に浮かぶ魔法陣が戦意に感化され、光量を一層増す。

 彼女たちが案内されたのは血で血を洗う決闘の場で、見物人はフィレンツとカリム。広い闘技場には尚の事ちっぽけに映るエリアルと、緊張に荒み、胸を痛めているエマヌエルが鋭い視線をぶつけながら向かい合っていた。


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