第9話 復讐開始

 テムズと別れ、探索を森の奥深くまで進めるエリアルは、その慧眼で目標を捉える。気配を殺し、木陰で息を潜めていると、森の騒めきに紛れ、ここではいささか不似合いな人間たちの話し声が聞こえてくる。


「あー、もう疲れたぁ。サイガの奴が疲れ知らずで羨ましい限りだよ」


 旅路が長かったのか、そこから来ているのであろう疲弊により、エリアルから見える一行の足取りは緩慢。その先頭では、物々しい甲冑と鎧を身に纏う者が後続を先導していた。エリアルは彼に見覚えがある。決して忘れない、勇者の整った顔だった。


「町まであと少しだ。我慢してくれ。特にカリム、弱音を口に出すなんてだらしないにも程がある。周りの士気にも影響するんだ。そういったものは自重してもらえると助かるんだが」

「えー、定期的に吐き出さないと保たないよ」


 子供のように愚痴を言いまくって一行の足を止めているのが、長い赤髪を端の部分で二本に束ねながら伸ばしている少女、名前はカリム。エリアルは彼女から高い魔力と、剣技を熟達している者から香る、剛の匂いを感じ取った。それらの特徴から、彼女は魔術師と剣士の良いとこ取りをした魔法剣士なようだ。


「勇者サイガ、あたしも戦ったな」


 デッドフォックスの物資輸送の際、駆り出されたエリアルは、盗賊の交易破壊を依頼された勇者一行に道を阻まれた苦い経験がある。

 勇者たちの力は無双を誇り、テムズを含めた五人に対して、その十倍の人数が薙ぎ倒された。エリアルはどさくさ紛れに逃げ果せたが、半数以上のメンバーが後から来たカルバール王国の兵士に囚われ、今もまだ王都に幽閉されている。しかし、今更解放されたところで、エリアルがデッドフォックスを潰した事から帰る場所はもう失われている。一生解放されない方が捕まった奴等のためだろうと、彼女は腹を抱えていた。


「あたしってもうご主人様の奴隷だから捕まった奴がどうなろうともうどうでも良いけど、幸せな自分と対比して、あいつらの悲痛な叫びを想像しちゃうんだよね」


 エリアルは過去からテムズとの希薄であった邂逅を思い出す。

 彼女は互いに敵として出逢った際、テムズから攻撃を受けていた。


「あっ」


 エリアルはテムズの火炎魔法に晒され、左腕を負傷した事を鮮明に呼び起こした。


「ご主人様にあたし、もう所有物の証刻まれていたんだ!」


 エリアルの左腕は完全に治ったわけではなく、若干焼け爛れた跡が残っており、それが益々彼女を増長させる。奴隷には恨みも何も無く、あるのは深過ぎる情愛だけ。エリアルにとって、彼に焼かれた傷は主人にもたらされた勲章そのものであった。


「うひ、うひひひひ、ご主人様のもの、あたしはご主人様のもの」


 木の枝という、人が立つには狭い足場の上で、小さな悪魔は躍動する。だが、喜びも束の間、調子付いた事が完全に裏目となり、枝から足を滑らせて落下してしまう。


「しまった!」


 身のこなしに長けた盗賊は体勢を立て直し、足から地面に着地してみせた。それでも雑音は我慢ができないようで、周囲に彼女の存在を知らしめた。


「構えろ! 敵襲かもしれない」


 勇者パーティの四人が彼女の起こした物音を聞き付けたようで、すかさず杖や剣を構え、臨戦態勢へ移行しながらエリアルがいる方へ向かってくる。条件反射で口を塞いでも形勢が傾くわけもなく、エリアルは自らの失態から窮地に陥ってしまう。


「こんなに疲れているのにまた戦闘? でもやるしかないかぁ。怠けた挙句、殺されたら本末転倒だし。デニス、回復魔術をお願いできる?」

「はい、カリムさん。私に任せて下さい。ダルクさんとサイガさんも私の前に」

「おうよ!」


 青と白の布地が混在するローブを身に纏う、大人しそうな金髪少女のデニス。彼女はテムズと違って攻撃性を一切感じさせない。エリアルに蓄えられた知識では、この傾向を持つ術者は回復や能力アップの魔術によってパーティのバックアップに一役買う回復術師という職業である可能性が高い。

 デニスの回復魔術にて、筋骨隆々、武闘派であろう禿頭の男、ダルクと勇者サイガ、そして魔法戦士カリムの傷が万全ではないながら癒えていく。


「デニス一人だけでは荷が重いか。もう一人を切り捨てた事が悔やまれるな」

「あれはしょうがねえ、勇者たるもの、目的を果たすためなら大なり小なり切り捨てる事も必要だ」

「そうよそうそう、ダルクの言う通り。誰一人として歯が立たなかったあんなに強い魔物に出くわして、一人犠牲にしただけで四人も助かったのは奇跡じゃない? それにまあ、仲間ごっこしている訳じゃないんだし」


 カリムの言い分は最もではあった。エリアルがテムズから聞かされたものは、半ば彼の自業自得のような部分が垣間見られる。何があるのか分からないリスクを承知で乗っかったテムズの逆恨みと糾弾しても、彼はおそらく否定しないだろう。

 ただ一つ、テムズは許せなかったらしい。エリアルは彼の怒りに共感し、腕を激しく震わせていた。


「こいつら、生き残るためにご主人様を餌にしたんだ……」


 テムズはあろう事か一応規則では協定を結んでいた仲間に斬られ、魔物に与える供物のように、強力な魔物の前に置いて行かれたのだ。

 これすらも追い詰められた末の人間の選択として、強ち間違ったものではない。しかし、テムズに心酔しているエリアルには例えそうであっても、主人を傷付けた目の前の戦士たちを捨て置けなかった。


「ユルサナイ、ユルサナイ!」


 鬱蒼と茂った草の群れを短剣で滅多斬りにして、そんなエリアルは姿を現す。彼女もまた、復讐に燃える修羅となり、勇者たちに戦いを挑む。

 裏切るくらい、世界のためならと割り切るのは結構だ。


「でも、それなら復讐するのも、自由だよね。神様」

「貴様は確か……」

「盗賊の紅一点!」

「様子が少し変だがな」


 エリアルが地面を踏み抜き、抉る。そこから滑るように駆けるその速度はダルクの目前まで一瞬にて、エリアルを運んだ。


「まずは一人」


 エリアルは盗賊ではなく、主人を代弁する復讐者。素早く首を掻き切ろうと、短剣を懐に忍ばせ、肉薄した状況下で素早く斬り上げる。

 殺す事に抵抗も無くなった彼女は引き上がった実力以上に、命のやり取りへ没入する才能を得ていた。彼の腹部から首までを、魚を捌くように切り開く彼女の剣。


「甘いぜ、嬢ちゃん」

「なんでなんでなんで、死なないの?」


 エリアルの、闇も見紛う速攻はダルクに看破されていた。彼はエリアルの身長を優に超える木槌を、片手で軽々と操る怪物。その硬い柄で、彼女の短剣を折ってしまった。


「ご主人様の敵、死ななかった」


 折れた剣を一瞥した彼女の切り替えは早かった。人を殺す武器の価値を失ったそれを投げ捨て、傍に差していた剣を引き抜く。


「この子、この前とまるで様子が違います」

「理由は分からないが、他人の命を奪う事に抵抗はもう無いようだ。それに加えて身のこなしもまるで獣のように洗練されている」


 勇者サイガはダルクと肩を並べ、剣を抜く。

 その一動作だけで、空気は何重にも重くなり、エリアルの落ち着きいた神経を逆立たせる。


「勇者さんよ、手伝いは無用だぜ」

「馬鹿を言うな。お前は敵の実力が分かっていないのか」

「おぉ、勇者さんとあろうお方が、あんなちんちくりんに腰を抜かしておられるのか。無論、力は分かっているさ。あんな小悪党が持つには余りある魔力を感じるぜ」

「同感だ」


 エリアルは彼女の身の丈程のロングソードを無表情で出鱈目に振り回す。それを為し得る腕力は硬い樹皮で覆われた木々を容易く薙ぎ倒し、彼女の実力を間接的に知らしめる。

 剣をやたらと振り回すのは、彼女の殺したい欲が逸っているから。エリアルはさっき失敗したのが尾を引いており、はち切れん気持ちを含んだ心に蓋をできないでいるのだ。


「ご主人様、終わったらあたしの頭、なでなでして下さい」


 彼女はさっきよりも遥かに素早く動く。彼女という存在を世界が表現できていない。その姿を誰も捉えきれてはいないようだった。特に長所を活かすような重い武器を背負ったダルクは、いくらパワーに優れていようと、スピードにはどうしても欠けていた。

 エリアルは影も形も失い、森を縦横無尽に駆け回る。のびのびと空を、地を野放図に駆け回り、敵の首を獲る機会を窺っている。その証拠として残るのは、足跡。木や、水分を豊潤に含んだ土壌を抉り、傷付けて生まれる前衛的な絵画が標となる。そして彼らを撹乱する罠へ発展していく。


「きゃ!」


 エリアルは姿を現す時、非戦闘員のデニスを捕らえた。彼女を蹴り飛ばして木に叩き付け、それから木諸共ロングソードで串刺しにする。


「させるか!」


 サイガの剣が横から割って入り、エリアルの剣を弾き、そこへ更に火柱が立つ。カリムの魔法の仕業。エリアルは激しい反撃に、堪らずその場から飛び退いた。


「アタシを忘れてもらっちゃ困るんだから」


 エリアルの人間性を喪失した濁った瞳にはその様が克明に捉えられていた。


「そう簡単にやられる俺たちではない」

「……ご主人様、あたし、もっと頑張るね」

「さっきからご主人様ご主人様って、誰の事よ」

「死に行く奴等に答える義理は無い」

「じゃあそんな危なっかしいお前を捕まえて、洗いざらい吐かせるための拷問をするとしよう」


 エリアルが気配に気付き、横を向くとダルクが木槌を振り下ろしていた。素早く背後を取り、彼を斬り裂こうとすると、デニスから魔術が飛んで来る。不意を突かれたエリアルはまんまと魔術に囲まれ、上半身と足を縛られる。


「何?」

「ライトクロス!」

「……」


 エリアルを捕らえたのは魔力で構成された光の輪。それはエリアルに有り余る力では制御をしようにもできない、封印術の一種であった。


「私だってやれるんです」

「だから何? あたしにはどうでも良い事だよ」

「盗賊の癖にやけに図太いんだな」


 彼女は口を、まるで何を含んでいるように動かす。


「ぺっ」

「汚ねえ奴だ、いきなり唾を吐きやがった!」

「ダルクが挑発するような事言うから」


 エリアルが吐き出したのは口に含んでいた唾で、それが彼女を取り囲むメンバーの内、ダルクとカリムにかかる。

 立場を弁えていない、エリアルの舐めた態度にダルクは怒り、彼女の胸ぐらを掴む。


「この女!」

「ご主人様以外は全て穢らわしい魔物と同列。ふふっ」


 エリアルの薄ら笑いに耐えかねたであろう彼は、固そうな拳を突き出し、彼女に殴りかかった。


「……あれ? 力が、抜けて……」

「どうしたの、ダルク……うっ、あれ、アタシも、なんか、おかし……」


 挫折すらも感じないエリアルは諦めを知らない。事前にとある木の実から耐性を得た彼女は麻痺毒を塗った含み針を口内に仕込みんでいた彼女は、メンバーが油断したこの瞬間を逃さず、それを唾と共に撃ち出したのだ。

 

「ご主人様……あたしもちょっとビリビリしてます……」


 耐性は得られるとはいえ、強毒なために完全防御にはならず、彼女の身体にも毒の作用が響いていた。それが分かっていてなお、彼女は愛というちぐはぐなこの手を使った。

 逃げる事を生業とする盗賊の普段なら使わないような、このような人道に反する奥の手も、敬愛する主人のためならば惜しみ無く使う。彼女の頭の中には主人が常に彼女を抱く姿が延々と綴られていた。


「ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様……」

「やられたな、デニスは応急処置を頼む。俺はこいつから色々吐かせてみるよ」


 エリアルの目に、最早サイガは映っていなかった。彼女の目に留まるのは、その背後から迫る男。


「久しいな、サイガ……いや、久しいという程でもないか」

「お前は……!」

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