第8話 ベルカ
商談はエリアルが無能と思われているのもあり、終始商人たちのペースで進められる。翻弄される側のエリアルは彼らのやり方を誹る事が無く、その全てを肯定する始末。あの男たちを調子付かせるのはテムズにとって気が進まない。
商売の素人がおいそれと口出しをするのは得策ではないと口を噤むテムズ。
ここは彼女のやり方を尊重するべきだ。そんな考えを背景に、彼は奴隷の采配におけるそのお手並を拝見する事にした。
「ガルルル……」
売られる側である獣人娘は両手と首に魔術が封じられた鎖を嵌められている。足は解放されているが、身体が反撃に動こうとしようものなら、それでもなお、抵抗する気概を見せているのは、テムズには身の程知らずというか、勇猛果敢というか、その判断に困った。
「うるせぇな、こいつ黙らせろ」
彼女の威嚇に苛立つ商人たちのリーダーが、彼女を捕らえている仲間に命令を下した。
「ガァァァァ……ぐぅぅぅぅぅ!」
娘は急に蹲り、苦しみ出す。そんな彼女を取り巻くのは攻撃性の魔力。テムズの見解では、これが生かさず殺さずの狭間で彼女を苦しめていた。
「ふん……身の程を弁えろ。汚らしい獣人が」
この世界において、獣人は身体能力が人間より優れているというだけで、知能の欠片も無く人間を襲う魔物と同列に忌み嫌われ、淘汰される存在である。
彼女は獣人に産まれたという、ただそれだけの理由で貶され、蔑まれる宿命を背負う事は避けられないのだ。
「四人で盛り上がっているところで悪いけど、そろそろ取引をしようか」
「そうだな。俺たちもこいつにばかり構っている暇は無いのでな、手早く済ませてしまうか」
エリアルはこの前の殴り込みで奪い取った、クラシドが溜め込んでいた財を対価に出す。金貨100枚分の価値ならば、一般的な奴隷五人分くらいは買える。
「あたしはそいつを買えればそれで良いから」
「クラシドさん、今回は偉く奮発してくれるな。とてもこいつ一人にそんなに力を入れる価値があるとは思えないが」
「これだけの金がもらえるんだから意味を考えるだけ無駄だと思うけど」
「確かにお前の言う通りだ。それじゃあとっとと済ませるとするかな」
「へい」
エリアルから対価を受け取り、奴隷商人が捕らえていた奴隷を引き渡す。予算は超えていたが、奴隷を買えたその一点から、目論見は成功といったところである。
「く、ぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
「さあ、可愛いベルカ=ヴラムちゃん……ご主人様と仲良くなろうね……」
「ひっ!」
当初の目的を果たした一行は、拠点にしているアーキアの宿へと戻る。中ではアーキアが死んでいながら、それでいて優しい眼差しで出迎えてくれた。
「お帰りなさい、お二人共」
「ガルルルルル……お前ら、あたしをどうするつもりだ! 聞かされていた場所とは違うぞ!」
「ご主人様……早く仕上げてしまいましょう」
クラシドはベルカを身体能力を活かした用心棒に仕上げるつもりだったようだ。テムズたちも大方それと同じであった。
テムズは手を伸ばし、ベルカの頭にそれを置く。
「ひっ……ギィィィィィィィィィィ!」
テムズからベルカに流れ込む特大の魔力が彼女の脳を次第に破壊し、声にならない叫びを宿の中に轟かせた。
枷を付けた獣人の少女、ベルカの悲鳴が止む。彼女はテムズの方を八重歯を見せびらかしながら、無表情でじっと見つめていた。
テムズは早過ぎる死を待つ代わりに奴隷魔術をその身に内包しており、魔力をもって相手の脳を破壊し、書き換えれば奴隷にしてしまえる凶悪な能力を会得していた。
その両眼には魔術の刻印たる魔法陣が刻まれており、術の成立を告げている。
「テムズ様……このベルカ、貴方からの魔力を確と受け取りました」
直立し、頭を下げるベルカの先程までにおける態度の変わり様に、テムズは若干たじろいでいた。
それまでの様子見から安全を確認したエリアルはベルカの自由を奪う手枷をまず外し、それから首輪を外そうとベルカのうなじ辺りに手を掛ける。
「ガウ!」
「あぶな!」
彼女からの振り向き様の一撃。爪による高速の斬撃がエリアルを襲った。彼女は盗賊業で磨かれた危機察知能力でそれを回避し、たちまちにベルカの間合いであろう近距離から外れる。
「この鎖はあたしの宝物。それにあたしがご主人様のものって証明するのに必要。外したら、幾ら同志でも容赦しない」
エリアルといい、魔術で支配された奴隷たちの思考はまともな生物たちの常識では測れない。完全に主人への思考の丸投げによって彼女たちの生き様は成立しており、術者のテムズにもこの根幹を覆すのは不可能だ。
「……避けたと思ったのに、やるね」
エリアルの左頰には傷ができており、そこ
から血が流れていた。
切り傷は小さくとも鋭い痛みがしつこい。怪我をした当人であるエリアルは意に介していないが、病気を起こしたりしたら大変だと気遣い、ガタガタの身体にて腰を上げたテムズ。
「ご主人様……」
テムズは延命を成し遂げたとはいえ、魔術の侵食とそれに伴う苦痛を耐えた事で、かなり疲れていた。保って数日が生命活動における限界だろうと、そんな彼は勝手ながら線引きをした。
「傷口を放っておくのは病気の可能性からあまり良くはない。治しておこう」
「こんなあたしを、その身を削ってまで……うぅ、は、はい!」
テムズの魔法がエリアルの傷をあっという間に修復してしまった。その小さな魔力の消費でも、テムズの虚弱となった身体には大層堪える。
彼は膝を着き、肩で息をしていた。もう立つのも辛く、迫り来る死を感じ取れてしまう程、身の破滅へ過敏になっていた。
「……もう俺は限界だな。死に行く身体にこれ以上の長居は無用だ。復讐に向かうぞ」
テムズは殺されかけた位置から、彼らが向かったであろう町に当たりを付ける。
切羽詰まった彼は一人を殺してでも生き残るという、勇者とは掛け離れた非道な行いに手を染めた奴等に憤慨するばかりで、それだけを糧に命を繋ぎ止めている。
エリアルたちの拠点を残しておくためにアーキアを置いていき、エリアル、そして仲間になったばかりのベルカを連れて、テムズは宿を出立する。
「取り敢えずベルカ、短い付き合いだが頼むぞ」
「はい、あたしのこの身に代えても、貴方の悲願を叶えさせてあげましょう」
一人で歩く事もままならない身体をエリアルに抱えてもらいながら、最期の決意を胸に先を急ぐ。
「ご主人様を間接的に苦しませた分、頑張らなきゃ」
ベルカはさっきの事を失態と認識しているようで、名誉挽回にと気が走っていた。その首には所有物の証が、主人に彼女が課されている役割をしつこく主張している。
「あぅぅ! やっぱり攻撃きた! ご主人様との上下関係しっかりしてるよ!」
首輪が光り、ベルカは何度か苦しんでいた。わざと罠の発動条件を揃えているのだ。故郷から無理やり連れ去られた奴隷が屈服を促す躾を楽しんでいる。それは前代未聞の異様な光景だった。
テムズがローブから、それに染み付いた勇者たちの匂いを覚えさせたベルカは、獣人らしく卓越した嗅覚を効かせながら彼らを探している。
洗脳されているとはいえ、主人のために努力を惜しまずに働くのは、奴隷を義務付けられた泥道を皮肉にも突き進む、小柄なエリアルよりも更に小さな幼女。
「わん! はっ、はっ、はっ、くぅ〜ん」
あんなに荒れていた彼女の姿が嘘のように、今のベルカはテムズに懐いている。その締りの無い口から絶える事無く流れ落ちる涎。それがローブを濡らすか濡らさないかの瀬戸際で、地面を汚していた。
綺麗好きのテムズには少々堪えるが、小煩く吠えられ、反抗的でいられるよりは断然愛嬌があると思えた。ふさふさの髪と頭頂部から少しずれた場所でしょぼくれている耳にも触り放題という点でも概ね満足そうにするテムズ。
「ご主人様、奴等を見つけました!」
彼に爛々としながら、反抗的だったあの時よりも生気が無くなり、薄汚くなった瞳を向けるベルカ。
「勇者はこの近くにいます! はふっ、はふっ」
「あたしが偵察してくるよ」
ベルカから情報を得たエリアルがすかさず木から木へと飛び移り、闇夜に乗じて姿を隠す。身体はまだ未熟ながら、人間には及びたも付かない最高の嗅覚を備えた番犬と、身のこなしならば右に出る者はそうそういないであろう元盗賊にかかれば、索敵の網はいとも容易く展開できる。
「うぐっ、はぁ、はぁ」
「ご主人様、お気を確かに!」
テムズたちが道中にてベルカに煎じてもらった魔力分解の薬で、暴走しかけている魔力を水際で食い止めるが、もうそろそろこの手も限界だ。たった一日で全身に痣が回り、テムズの肌色だった身体はほぼ黒く染まっている。こうなっては魔力を誰かに流すのも無意味だ。分解しても、流しても、次から次に身を蝕む魔力で器が満たされていく。数日どころか一日保つのかも怪しい具合だ。
「完全に舐めていたな……ぐはっ!」
テムズが吐き出した血が、彼を抱えているベルカに付着する。ベルカはそれに驚愕しており、血如きに何事かと目を丸くした。
「ご主人様の血、人間のそれじゃ、なくなっています」
彼の血は黒々しく、そして禍々しいものへと変わっていた。それだけではなく、痣が描くような魔法陣の紋様を液の表面へ精巧に刻んでいる。テムズは世の理から外れたものを死の間際に見せられた事で、なおの事崩れ去っていこうとする自分の写し身を受け入れられず、いたたまれなくなる。
「神は邪道に触れた俺を人間ですらいさせてはくれないのか」
やがて全身から先程の血を噴き出すようになり、テムズはおろか、側に付くベルカは涙を浮かべて主人の名を叫んでいた。
「テムズ様!」
「心配……するな。復讐を成し遂げるまでは……俺は、死なん!」
倒れそうな身体を、彼は足に込めた意思で踏み留まらせる。最早その黒一色となった身体は先程吐いた血のようになってしまった。テムズは生きた心地がしなくなっていた。身体から漲る生気が一切感じられないのだ。生きているのか、死んでいるのかはっきりしない彼に、魔術が生きているかのように囁いてくる。
『復讐……世界に……呪いを……』
テムズの考えとは別の何かが彼に働き掛けていた。
その正体はおそらく、この魔術を残した魔術師の怨念だ。
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