第6話 トック村にて

 テムズはエリアルから、アジトからそこそこ近い町へと案内される。いわゆる戦乱の渦中にある俗世から切り離されたのどかなところ、と言いたいところだが、このトックという村はデッドフォックスによる理不尽な管理を受けていたと、エリアルから聞かされる。


「え、エリアルさん……これ以上差し上げるものは……」


 みんなエリアルを見てはそそくさと逃げ出していく。

 村はデッドフォックスからの搾取を受ける代わりに、申し訳程度の庇護下に置かれていた。

 それはその表現の通り気休めに過ぎず、元々めぼしいものがこの村に無い事から外敵が出る事も無いというのも相まって、ただの理不尽な搾取と変わらなかったようだ。


「ご主人様、今日は汗もいっぱい掻きましたし、宿屋で一休みするとしましょう」


 エリアルの血は目に付くため、テムズが大方拭き取った。それでも細かい汚れと泥臭さが鼻に突き刺さり、出歩くにはいささか不潔感が拭えない。

 テムズも魔物の巣窟の中心で野宿と、心を常に尖らせていたために案外磨耗していた。


「エリアルの提案に乗るとしよう」


 この寂れた町トックにもマシな宿屋があると豪語するエリアル。町人が避けていくのを横目に、雑草やゴミで荒れた町中を行くと、一見立派な建物が構えてあった。

 彼は躊躇わずにその扉を叩き、中を拝む。

 中には清楚な金髪碧眼の女性が一人。怯えた様子でテムズたちを見ている。


「エリアルさんですか。この前お金は払った筈です。次のお金は必ず準備しますので、どうかこのままお引き取りを」


 柔らかな物腰で対応する女性。しかしながら、動揺は隠しきれていない。横柄にもエリアルは彼女を無視し、家内に踏み込む。


「もう金は要らない。この方とあたしをここで休ませて」

「お金が要らないとは、盗賊稼業の貴女たちは安定した財源をこの町で賄っていたのではないのですか?」

「盗賊ねぇ……ご主人様のためならあんなところ、もう幾らでも壊せちゃうからね。この方のために早速潰してきちゃった」

「それではデッドフォックスは……」

「壊滅」


 エリアルからのデッドフォックス壊滅の報せを聞いた事で、彼女に入っていた力が一斉に抜けているのが伝わる。彼女のそれはもちろん糠喜びである。エリアルはここを救う救世主になったのではない。盗賊なんて小悪党よりも、更なる屑に身を堕としている。

 自分の骨身を惜しまずにテムズへと奉仕する非人間は宿屋の娘の背後に回り、流れで組み伏せた。


「きゃっ! 何をするんですか!」

「勘違いしてもらっちゃ困るよ。デッドフォックスは新しく生まれ変わったんだ。このテムズ様を新しくボスに据える事でね」

「俺はそんな気はさらさら無いんだがな……」


 娘は抵抗を諦めないが、エリアルの力を征するのは普通の人間では限りなく不可能。魔物に裸一貫で挑むような無謀である。


「あれだけの勢力を誇ったデッドフォックスは今や二人だけ。あたしはこれだけで満足だけど、ご主人様の器には狭過ぎるとやっぱり思うの」


 これまでカモフラージュしていた彼女の瞳には例の魔法陣が浮かび上がる。少しして、両目に浮かんでいた紋様の片方が何故か消える。テムズは目を見開き、その行方を探す。これまでには無い新たな事象に、テムズは恐怖を覚えると同時に探究心を擽られた。


「あっ……」


 その行方はすぐに明らかになった。紋様は消えたのではなく、捕まった村娘に伝染していた。彼女の右目にはエリアルの左目に浮かんでいるのと同じ、複雑な魔法陣が組まれている。


「魔力の受け渡し完了です。ご主人様」


 エリアルの魔力がやや減少している代わりに、娘の魔力が跳ね上がっていた。およそ凡庸な才能が宮廷魔術師に引けを取らない値にまで伸びている。テムズの計測に狂いが無ければ、大方この見立ては正しいだろう。


「うひ……」


 宿屋の娘は魔法陣に侵されてから、テムズたちに見せる態度が劇的に変わる。魔術はエリアル曰く、奴隷が対象に乗っ取りたいと意思を持って接近すると伝染するようで、彼女はエリアルからの魔力の受け渡しを経て、すっかり奴隷となっていた。


「テムズ様に名乗らねば。私はアーキア、このボロ宿を盗賊に不当に集られながら切り盛りしていた情けない女です」


 自虐だらけの自己紹介が尾を引かせる金髪の娘アーキアは日も暮れた頃、夕食の準備に取り掛かる。肉や野菜を手際良く切り、パンを人数分テーブルに並べる。


「アーキア、宿代はどれくらいだ?」

「要りません。私はテムズ様に搾取される奴隷。宿代なんてとんでもない。銅貨の一枚も払わなくて結構ですよ」

「そうかい」


 椅子に腰を掛けてのんびりとしながら、芳しい厨房から流れてくる焼き肉の香りを受け止めるテムズ。


「アーキアの料理、とても美味そうだ」

「あたしだって肉料理は得意分野ですよ!」


 肉とは別に、横で湯気を立てているのは頰を膨らませているエリアル。彼女の盗賊流の荒々しい料理はテムズの口に合い、また食べたいと思わせる魅力を持ち合わせている。

 生気を感じさせない目でありながら、感情的に受け答えするエリアルとアーキアは不気味で、それでいて人間的な理解を超越した神秘に包まれている。

 あれは人格を司る脳を破壊された証なのだろう。しかしそれなら喜怒哀楽はどこから出て来るのか。彼女たちは主人を祀り上げる以外は普通を装ってそれらしく動いていた。

 テムズにはとにかく不思議でならない不可思議な現象であり、未だ謎が多いこの魔術を解き明かしていく上で、研究の足掛かりになればと考えていた。


「ご主人様、考え事ですか?」

「ああ、お前たちを奴隷たらしめる魔術について少々」


 情報を外に漏らす可能性が無いであろう奴隷に秘め事は要らぬ世話。彼はエリアルに考えていた事を談笑の流れで吐露していく。


「あたしたちの感情ですか? そういうものは全てご主人様に向いています。それ以外は無です。ご主人様以外に労力を割くのは奴隷に必要ありませんから。唯一、ご主人様を虐げた世界に対する怒りがありましょうか。その他はご主人様に割くべき感情であると決定付けられており、今後変更する方針もありません」


 エリアルはパンを一口分千切って取り、食べる。それからテムズから目を離さないまま、可愛らしい童顔で口をもぐもぐさせ、それを飲み込む。


「脳を魔術で弄られてもあたしには感情はあります。味覚もあります。このパンは美味しかったです……アーキア、もう一本頂戴」


 残ったパンにがっつき、あっという間に食べてしまうエリアル。味が分からなければ、感情があればこんな事はできないとばかりに、彼女は主張した。


「しかしそれはご主人様ありきのもの。ご主人様を満足させるため、あたしたちは笑います。泣きます。ご主人様に付いて行くため、この身体の生命を上質な食で繋ぎ止めます。貴方がいなければ、あたしたちは代弁する怒りに身を任せて世界に呪いを振り撒くだけの魔物」


 エリアルがテムズの手を取り、鼻がくっ付くくらいに顔を近付けてくる。


「ご主人様……こんな魔物にどうか、怒り以外の感情を残して下さい。あたし、奴隷としてご主人様に笑いかけるの、とっても好きですから」


 愛が妙に重たい彼女を前に胃をキリキリさせるテムズ待望の夕食がアーキアによって並べられていた。

 互いに話したい事を話した後は、アーキアと三人で食事の時間。

 テムズは両手に華で、両隣には子どもらしい体型の盗賊と大人びた宿屋の娘が肩を擦り寄せている。

 夕食時は奴隷たちが主人を取り囲み、料理を食べさせようとしてくる。テムズは折角のこの小さな宴に乗るべきだと考えている。


「ご主人様、あーんして下さい」


 口を開けるテムズに応え、エリアルがスプーンに持たせたスープの具を食べさせてくれる。エリアルは丁寧に熱々のスープを冷ますため、息を吹き掛ける。テムズは彼女の厚意と好意を受け入れて、それを口に入れようと務めるのが主人の責務であった。


「ご主人様、あの、あたしがふーふーしたアーキアのスープ……美味しいですか?」


 もじもじと腕を腹の辺りで交差させているエリアルの頰は赤らんでいた。その行為に、彼女の服装の薄さに目が行く。へそ出しの盗賊服に、左側の腿にはすでに潰したデッドフォックスの刺青がちらり。彼女の所有する盗賊のスキルと類稀なる身体能力、この刺青は今後ともテムズの頼りになる筈。彼はそう期待して疑わず、重たい腰で堂々と構えている。


「美味しいぞ。それにお前のような美少女に食べさせてもらえるのならより満足だ」


 自分から食べようとすると彼女が皿を引き離すので、彼女から貰うしかない。そこから、エリアルはテムズに応えようと必死なのが痛い程に彼へ伝わってくる。ふるふると震える手には、最初に刃を向けてきた時の荒々しい様はどこにも無い。

 テムズに向き合うこの盗賊は立派に主人に仕える麗しい少女である事において疑う余地は存在しない。


「エリアルちゃんばかりずるいです! このアーキアめもご主人様に不器用ながら奉仕をさせて頂きたく思います」


 エリアルに対する嫉妬の念を一切隠さないもう一人の奴隷、アーキアが彼女を追うように、彼女の皿から出したスプーンを差し向ける。エリアルにばかり構っては不公平と、なまじ紳士的に振る舞おうとするテムズはアーキアからの分も残さず受け取る。


「アーキア、もう充分だよね。次はあたしの番だよ」


 負けじと嫉妬を始めたエリアルがアーキアからテムズを分捕ろうと画策し、スープを彼に再び飲ませようとその身体を存分に活かして威圧的に迫る。アーキアもエリアルに対抗意識を燃やして、彼女と同じ行動を取る。


「ちょっと……夕飯時に喧嘩するんじゃない」


 彼女たちの醸し出す強烈な雰囲気にテムズは萎縮し、立場的に上なのか疑わしい程に意見ができずにいる。


「エリアルちゃんは私より先に奴隷になってご主人様とくっ付いていましたよね! なら貴女よりあの方と触れ合いが短い私の方が、今は彼とたくさん接する権利があるというのが道理ではありませんか」

「ふんだ! そんなルール知らないよ。あたしたち奴隷の世界にこの世の糞みたいな掟を持ち出されてもね」

「……それもそうですね。そこはエリアルちゃんの意見に同意します。ですがテムズ様は渡しません! こうなったら実力行使で奪い取ります!」

「仲良しになったばかりなのに、残念だよ」


 物憂げな表情で短剣と魔法、それぞれの武器をテムズの両隣で構える奴隷たち。楽しい食事会が物騒な戦いの場と化していく。何より睨むだけで敵対者を殺してしまいそうな視線に両脇から射抜かれ、テムズは実際に生きた心地がしなかった。


「良い加減にしろ!」

「ひゃい!」

「て、テムズ様!」


 流石に堪えかねたテムズが喧嘩両成敗で場を諫める。主人の怒号に奴隷の彼女たちは小さくなるしかなく、あれだけの殺気が見る影も無くなっていた。


「……エリアルはしばらく待て。今はまだアーキアから頂く時間だ」

「畏まり……ました……えへ、ご主人様のお言葉……胸にジンジン来て、気持ち良い。もっと、こんなに使えなくてダメでクズで、どうしようもない愚かなあたしを責めて欲しいな」


 発情しているエリアルの不穏な小言は聞かないフリをして、テムズはアーキアからスープを貰う。


「ご主人様の味がする……美味しい……」


 その横では、エリアルがテムズが口を付けたスプーンを自身の口へ躊躇無く運んでいた。


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