第4話 行きますよ!
テムズたちは案内されるまま、アジトの深部に到達した。その先の、お世辞にも絢爛豪華とは言えない洞窟内にて、ボロ椅子で踏ん反り返っている醜い大男は魔獣から拵えたであろうド派手な盗賊装束に身を包んでおり、膝を着くエリアルとテムズを高みから見下ろしていた。
彼と比較すると、エリアルは何分の一にも満たないサイズで、そんな彼女が手の平にすら乗っかってしまうと錯覚するくらいだ。
「ボス、こちらが今日集めてきたアイテムです」
頭を下げているエリアルが袋をポーチから取り出し、中に入った宝を見せる。それらをじっくりと拝んでいた彼はその価値に驚いたのか、目を見開いて笑った。
彼は見た目が愚鈍そうな割にはかなりできている男であり、物の価値を正確に測っている。
「ほう、魔術的な価値はかなりのものだな。知っている奴に売れば金貨100枚は下らない」
これらの資料には今は失われて再現のしようがなくなっていた魔術構築の技術が多分に含まれていた。
その事をおそらく知っているこの男もただ者ではない。魔術師は拡散を防ぐため、技術の秘匿を必ずやっている。それこそ、見る目が肥えていなければ単なる文字列にしか映らないように不要な文字を多数挟む細工をされていたり、いずれもブービートラップであり、特定の解読をしなければただの紙切れだったりする。
魔術道具の価値を見抜ける者がそこらに跋扈する、目先の利益しか考えないような盗賊にいるとは、テムズは思わなかった。
答えは簡単、このデッドフォックスはただの盗賊風情ではないという事だ。
ボスは彼女が提出したアイテムを全て控えていたカムラに預からせる。
「その魔術師、冒険者か?」
「はい、彼もそう言っています。腕が立つので道具の解読に使えると思い、連れて来た次第です」
エリアルはいかにもそれっぽいことを言って彼女にとっての元ボスを誤魔化す。彼女を侵した魔力の気配は鳴りを潜めていて、身内をこうして欺くことに対しても弊害は無い。
ボスは少し悩む素振りを見せると、めんどくさそうに手を宙に向けて払う。悪事をしている以上、あまり他人に知られると面倒だから殺したい気持ちがある反面、専門家に頼って楽をしたい一面もあるのだろう。
「……牢にでも入れておけ。時期が来たら連れて行く」
「はい」
ボスは組織に良い働きをした彼女に褒美を与える。懐に仕舞っていた金貨を指で弾くと、チャリンという金属音と共に宙に舞い、やがて彼女の手元に落ちていった。
「これは……」
「金貨3枚だ。お前の好きな事にでも使えば良い」
働いたとはいえ、金貨を与えるとは気前の良さが別格なこのボス。その上、彼はエリアルの頭を撫で、褒め称えた。
「本当に良くやったよ、エリアル。次も期待しているぞ」
「はい、あたしはまだまだ未熟ですが、頑張ります」
これからも邁進して欲しいというメッセージと共に、強面にそぐわない笑みで彼女を部屋から送り出す。
部屋から出てテムズを連れて行く際、エリアルの態度はガラリと変わった。
ボスを尊敬していた初々しい表情は何処へやら、アジトの岩壁へ唾を吐きかける程の苛立ちを募らせている。
「ああ、うざったかった! あたしに話し掛けて良いのはご主人様だけなのに!」
彼女の華奢な足が岩を簡単に砕く様は、テムズに洗脳された後に励んでいた鍛錬の片鱗を思い起こさせる。エリアルは主人であるテムズを演技とはいえ捕縛しているこの現実に対して唾を吐きたい思いを抱いていて、言いようの無いムカつきは留まることを知らないでいる。
今は誰も見ていないため、エリアルは奴隷状態で接してくる。その扇情的な眼差しは女というものを知らない彼を虜にする。
「ご主人様、昼食を食べませんか」
「ああ」
エリアルはボスから昼食を提供する役割も兼任する。
外でやったのと変わらず、牢の中でスープを食べさせてくる。背に腹は変えられず、テムズは恥を忍んで彼女からスープを貰う。
チープながらも食えないことはない無難な味で、完食は簡単であった。
「おうエリアル、わざわざ捕虜に飯食わせてんのか? それにしても中々に手厚いな。そんな奴適当で良いだろうに。最低限喋れるくらいに生かしとけば役に立つ」
食事中に横槍を入れてくる盗賊の野郎が一人、エリアルの肩を掴む。
牢に放り込めば済む飯を、わざわざエリアルの手で食べさせているのが目に映ったからだろう。
彼は焦った様子であった。エリアルがあまりにも無防備にテムズに近付いているからだ。
「ちょっと、邪魔しないで。良いところだから」
「捕虜に不用意に密着するバカがいるか」
ご主人様エリアルは不満そうな声を漏らすが、彼は手を放さず、彼女を引っ張り出そうとする。油断すれば捕虜に何をされるのか分からないのだ。彼の指摘は正しいと言わざるを得ない。
「それに言いたいけどご主人様が捕虜? さっきから礼儀がなっていないよ」
「エリアル……? ぐあっ!」
ためらいもなく、エリアルが横に薙いだ短剣が男の腹を捌く。血を流す彼は倒れ伏し、そのまま動かなくなる。
まだ死んではいないようだが、エリアルがついに仲間に手をかけた以上、うかうかしてはいられなかった。
エリアルが元仲間を手にかけてしまった。理由はエリアルの主人であるテムズに不敬を働いたから。エリアルにはそれだけの単純な動機があれば、武器を振るうには充分過ぎた。
「がはっ!」
口から血を吐きながら、信じていただろうエリアルに斬られた盗賊は床に倒れ伏した。その様を見下ろし、嘲笑うエリアルには罪悪感も無ければ、容赦も無かった。
「ご主人様に逆らうからこうなるの」
空気を吸うようにさっと吐き捨て、彼女は残った食事をテムズに食べさせる。生きてはいるようだが、血を吐いて倒れている人間の側で食べるなど、良識がそれなりに備わっているテムズには気が引けた。
奴隷化の魔術はこれ程までに人を狂わせる。成り行きとはいえ、エリアルを狂わせた張本人であるテムズは彼女の行動を糾弾したくなる。こいつは危険だ。テムズは本当に自分の身が安全なのかと、若干の懸念を抱いていた。
「ご主人様、あーんして下さい」
「何事だ……貴様!」
渋々と一口貰ったところで騒ぎを聞き付けた盗賊連中が駆け付ける。彼らは武器を構えており、仲間であったエリアルであろうと牙を剥くのならば倒すことをギラギラと輝く瞳が語っていた。
エリアルは敵陣の真っ只中にあってなお、転がっている元仲間に腰を下ろし、剰え捕虜に優しく振る舞っている。これは盗賊たちへの侮辱であり、彼らにとって到底容認できるものではない。
「組織にあだなす裏切り者は殺せ! 生きて返してはならん!」
仲間を裏切っているのは明白な下劣な行為を彼らが感化する筈もなく、剣を引き抜き、粛清にかかる。
手錠を付けられたままのテムズにとって、命を取られるかもしれないその緊張感は計り知れず、迫りくる脅威に呑気に食事を堪能している場合ではなかった。エリアルに頼るのはあまり気が進まないテムズだが、背に腹は変えられない。死んでしまっては意味が無い。勇者サイガに裏切られた時のように、後悔してからでは遅いのだ。
「エリアル、大丈夫だよな」
当初の計画はとっくに破綻している。今のテムズにとってエリアルは文字通りのせいめいせんであり、訪れた難局を乗り切るには頼らざるを得ない。エリアルにかけられる弱々しい声は彼の不安定な心境を象徴していた。
盗賊たちは裏切り者に穢された組織の尊厳を守るため、大挙して狭い牢屋に乗り込む。
対するテムズの味方はこの事態を半ばわざと引き起こした張本人のエリアルであった。バンダナを巻いた黒髪の少女は使い込んで傷をたくさん帯びたナイフを膝から取り出し、牢屋の奥から手前へ、一気に駆け抜けた。
「あはっ! 今までのあたしならこの中の誰にも勝てなかったけど、今なら……」
重い武器を軽々と操る彼らが、彼女の通り抜けざまに一斉に倒れる。返り血を浴びたエリアルは自分の高まっていた力に対して、あからさまに酔っていた。彼女の持ち味はスピード。これについて他に特筆することも無く、彼女は速く走れる、動ける特技を持っており、撹乱戦法が得意だ。
奴隷となった彼女が走る高速の世界に、誰も追い付けていなかった。主人であるテムズでさえもだ。積み重なる肉が躍る瓦礫の山へは見向きもせず、赤い液体を浴びて一際目立つエリアルは生き残った連中に向かっていく
「あたしたちの愛を育むための食卓が汚くなってしまいましたね」
洗脳されたことで倫理観を失ったのか、エリアルは人を斬っても物怖じ一つ無い。
ベテランの魔術師テムズ。彼は敵に魔法を向ける際、雑多か否かにかかわらず何らかの思考を挟む。人間を攻撃するのは躊躇いが出る。無意識にごくわずかなタイムラグが埋まれる。どんなに鍛錬してもこの現状を改善することは困難を極める。ベテランの魔術師ですらこの有様で、テムズはこれを醜悪とし、恥じている。一方彼女にはそういった箍が存在していない。
迷いが無い完全無欠の兵士そのものを、鮮やかな赤を被った彼女は体現している。
誰もが喉が手が出る程に欲する最強の駒は感情に左右されないのが至高となる。それを達成していた彼女は目にも留まらぬ速さで周囲の人間を狩り尽くす。
「逃さないよ」
小柄で軽い彼女の身体が存分に活かされる、天井や壁を自由に行き交う我流の戦闘の型。多人数で対応したとして、あれだけ圧倒すれば恐怖が芽生え、信頼を美徳とし武器にしているはずの集団はあっさりと瓦解する。
烏合の衆と化し、武器を捨てて叫び逃げ惑う盗賊たちをエリアルは逃がさない。
血飛沫が舞い、黒い洞窟は赤色と不快な鉄臭さと蒸したような熱気に包まれる。
「ボス、裏切り者が、仲間をみんな……ガァァァァ!」
「ご主人様、みんなやっつけました! あたしを褒めて欲しいです!」
「それはボスを倒して、金品を根こそぎ奪ってからだ」
血に濡れる事は全て彼女がやってくれる。明らかに間違った安堵を覚えるテムズはそれが誤ちを犯しているのを認めながら、彼女に頼り切る。いや、頼るしかない。
育てた、というか勝手に育った彼女に任せきり、彼は決して手を汚さずに目的を遂行する。たとえそれを彼が望まなくても、彼女の強さは事態を押し進める。
制御が効かず、もはや止まることを忘れた暴走列車をテムズは諦念と共に呆然と眺めることしかできなかった。
「じゃあ次はクソなボスですね!」
「頼むぞ。お前だけがあいつを倒せる」
「うひひ、ご主人様に頼られている。あたしが、この、あたしが!」
エリアルはナイフに付いた血を振り払い、ケタケタと不気味な笑みを浮かべる。彼女のモチベーションはテムズに頼られることで最高潮を記録する。現在進行形で頼られている彼女は絶頂期に至っており、忙しない動作の一つ一つに彼女の昂りが表れていた。
「さあ、行きますよ!」
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