第3話 最強になりたい
エリアルは湖畔より反射される陽光に照らされながら、換えの服に着替える。
テムズに見られても恥ずかしがる素振りは見せず、寧ろ堂々と構えていた。主人には見た目通り、身も心も素っ裸な彼女は彼が戸惑っているのを目に映すと、身悶えを起こす。
真っ当な感性を持つ人間には分かりようがない趣も、魔術で思考を常識より外されてしまった彼女には理解が及ぶのだろうか。考えるだけ無駄でしかなさそうだ。
「ご主人様、盗賊の小汚い体ですが、女の体ならそんなに悪いものでもないでしょう?」
しばらくだんまりを決め込んでいると飽きたのか、テムズをチラチラと横目に収めながらではあるが、ようやく服を着る。彼女はテムズに見せびらかし、誘うように立ち振る舞う。よくある女性が男性を丸め込むためにするすべすべとした誘い方である。
「……おあずけですね、貴方様のお気持ち、お察しします」
「か、勘弁してくれて良かった。まだ俺の怪我は完全に治ってはいないからよ」
不穏なことを言う彼女に対し、彼はそれでも耳を貸さずにいると、彼女はいつの間にやら汗水も無い最初の姿に回帰していた。ただ一つ違うのは左目に宿る魔術刻印。その力はやはり強大さを増している。彼女の増した実力に比例して、術式も生き物のように適応しようとしているのか。魔術に精通したテムズでさえも不可解に映る光景だった。
「ご飯、ご飯……ご主人様のために作るご飯!」
着替えを終えてから、テムズにご飯を作ってくれるエリアル。へそ出ししている露出度の高い盗賊衣装は余計な汚れを清めたのも合わせて、テムズには非常に艶かしく映る。今日の夕食は魔獣を使ったゲテモノ料理である。
魔獣はしっかりとした処理を施せば食べられるものが存在する。今日狩った獰猛な三つの首を有する鳥獣サイラスを始めとして狩ることさえできれば優良な食材はごまんといるのだ。
もちろん、狩ることができたらの話であり、大概の身の程知らずは突っ走っては死に急ぎ、実際に死ぬのがほとんどだ。
エリアルはもちろんそんな間抜けとは縁遠い強さを獲得しており、過ちを犯すはずもなかった。
「はい、盗賊仕込みの魔獣の丸焼きです!」
天真爛漫な笑顔で魔獣の胴体、その一部を嬉々として渡してくるエリアルの表情。彼女の顔が他に向けられた時、表情は一変し、惨たらしく生を奪う悪魔へと変貌するだろう。
そんなエリアルが丹精込めて作ったものは盗賊なりの大味な手料理であった。見た感じテムズの住む世界で言う漢料理といった趣であり、外見はあまり見慣れない不揃いなものだ。
「ご主人様、一緒に食べましょう?」
エリアルは今朝と同じように主人の元へ料理を運ぶ。熱々の肉汁が焚き火の勢いをより強くしており、炎に飲まれるそれらが叫声を上げる度、空いた腹が本人ですら不快にしてくる醜い音を立てていた。
エリアルはこの音を聞くと、にんまりと滴るような笑みを浮かべる。脳髄に焼き付くようなその顔は実際記憶に残り、脳に宿る情報のほとんどを支配していた。
「ご主人様、お熱いのでお気を付け下さい」
敵だったはずの盗賊に端から端まで赤ん坊のように扱われるなんて経験は、テムズにとっては産まれて初めてだ。いや、テムズどころの騒ぎではなく、心から気を許した美人に骨の髄まで持て囃されるなんて前代未聞だろう。
テムズは女漁りもしていた中々の下衆だったが、それなりの金が絡んでも彼に気を許した女は一人もいなかった。それどころか、金が無くなればはいさようなら。金の切れ目が縁の切れ目で、一瞬にして疎遠になっていった悲しい過去がこの期に及んで炙り出されてくる。
今にしてこう思えば、女をまだ一人だけとはいえ侍らせているために笑い話で済んでいて、まだ傷は浅い。
「ご主人様、あたしはまだまだ強くなれますよ。たくさん育てて下さい。あたし、いっぱい、いっぱい育ててくれさえすれば、誰にも負けませんから!」
彼女の強さはすでに強国の騎士団における一個師団に相当すると、イビルギガンテとの一戦から推察する。実際S級冒険者に匹敵する強さであると鑑定結果から弾き出されている。数千、或いは数万の猛者たちがこの一人に結集されていると考えれば聞こえは良い。しかもこれでまた育つというのだから、テムズは末恐ろしくなる。
これを敵に回したくないと、味方であるテムズからしてすでに思わされており、これから彼女と敵対するサイガに同情してしまうくらいである。
「そしてあたしが最強を誇示するためにはその大前提として完全復活したご主人様がいなければ始まりません」
エリアルはしきりに料理を食べさせようと迫ってくる。怪我を早く治すためにも養分を摂るのが早いのは通例。エリアルもその例に則り、一刻も早く象徴を復活させようと気を揉んでいる。
正直なところ、この状況を作った元凶である怪我の所為で食事はあまり喉を通りそうにない。無くなった体力が馬鹿にできない証明であり、治ってきたのは良いものを未だに制御できない自分の体に、テムズは苛立っている。
「あたしの料理、とっても美味しいですから、さあさあ!」
「むぐっ……」
思考回路がおかしくなっているエリアルには何を言っても無駄で、彼は彼女に押し負けてしまった挙句、肉をたらふく食べさせられることとなる。
エリアルにとっての最優先事項はおそらく、テムズの命をどんなことがあっても繋ぐこと。態度からして、彼女から放たれる言葉を介さなくても伝わってくる。
「ふう……食った……」
「はい、食後のお水でございます」
テムズは最初から換算して肥え太った魔獣の半分くらいを食わされた。主人を思い過ぎているのも考えものであると、うつむく彼は顔を手で覆っている。
箸休めにと彼女から貰った水を飲み、喉に残る脂を流し込む。
「まあ、中々美味かったぞ」
「ありがとうございます。ご主人様に褒めていただき恐縮です!」
食後はテムズの傷が癒えてから、これからどこに行くのかを二人で打ち合わせをする。目的も無しに危険なこの森を動くのは自殺行為も良いところであり、とりわけ命の危機に晒されたテムズは失態を教訓に自分の命を守ることに力を入れていたし、何よりも優先している。
今朝エリアルが言っていたデッドフォックスの襲撃。当面の財の確保のためにもやっておくのが吉だろうと、テムズたちは一先ずの目的地を決めるのであった。
「ご主人様、近いうちにあたしの元仲間を攻撃するんですよね。えへへへ」
「嫌か? 朝は楽しみにする旨で話していただろう」
「ふふ……楽しみ過ぎて、どうやって今までの関係を破壊してやろうか、楽しみでなりません」
テムズはエリアルのブレなさに顔色を悪くしていく。彼女が盗賊のような小悪党なんて生温い言葉で片付けるにはもったいのない最低の下衆に成り下がっているのを見ると、中途半端な自分にそこはかとない苛立ちを覚えた。
一種の憧れのようなものだろう。打算でパーティなんて組んだから死にかけた。能力が高くても他人はそう簡単に信じては危険に晒される。この殺伐とした世界はテムズに対してあまりにも理不尽である。
じゃあパーティなんて組まなければ。ここまで来るとそう至るのは自然なことだが、これも不正解な気がしてならない。
この魔術に出会わなければ、今こうして最高の瞬間に立ち会えずさなかった。
「他人を洗脳、操り人形にして使い潰す……外道でも、生きられるのなら、幾らでもしてやる……!」
「ご主人様? どうされましたか?」
「気にするな、他愛ない独り言だ」
「はい! 気にしません! ご主人様のおっしゃることは絶対でございます!」
彼は今後に備え、早めに眠ることにした。明日もまた彼女を育てるのに忙しい。これからの楽しみのためにも、辛い原因にしかならない怪我を治す事は、今後における彼の宿命だった。
森は庭みたいなものだと豪語するエリアルが持って来る薬草を煎じて飲んだり、傷口に塗りながら、痛みに堪えている彼は回復を待ち望む。
洞穴にあった魔術資料を持てる限りエリアル顔持参してきた袋に詰め込み、テムズたちはここを出立する。テムズの身体はエリアルの入念が過ぎた介抱により、一週間後には無事に全快した。
「ご主人様、かつての仲間を潰すのは、心を失ったあたしでも実際、苦しいのですよ?」
「ふん、この前言っていた事は何だったんだ?」
「えへへ、あはっ、ああ……本当は悲痛に泣き叫ぶあいつらの表情が目に浮かびます」
吐き気を催す下衆になった彼女の本心はこんなものだ。術者のテムズ以外をゴミとしてしか見ていない、屍のような、火を灯していない冷たい瞳が持つ魔術刻印はついに両目に及んでいた。
力も最初の比ではなく、今では剣から放たれる風圧どころか、体から発せられる闘気のようなもので、木々を薙ぎ払う無双の力を得ており、大抵の魔物はそれだけで立ち竦む怪物がこの一人の盗賊に潜んでいる。
「ご主人様と手を繋ぐの、好きです」
「俺が絡めば何でも好きだろ」
「否定はしません」
テムズの手を握るエリアルは彼が好んで身に付けているローブや手袋に肌を擦り寄せている。
「ご主人様の匂いらぁ」
匂いで言葉遣いもままならなくなり、辿々しくなった彼女は自らの身体を支え切れず、よろめく。助けてやるとより付け上がるのは明白なため、今度ばかりは放置しておくのがテムズにとっての鉄則であった。
「すん、すん、ふぁぁ! 仲間裏切るの楽しみだよぉ! 代わりにご主人様の笑顔や声があれば、あたしは何だってしちゃうんだからぁ!」
魔術がここまで人間を狂わせる事はあまりに稀有。それも間接的な場合が殆どで、精神を捻じ曲げる程に干渉ができるのは謎を深めるばかりだ。その詳細はテムズですら分からないのに効力だけが日に日に強くなり、独り歩きしている状態でなのである。
「ご主人様、魔獣です。下がっていてください」
テムズたちが魔獣と遭遇した途端、エリアルが武器を構えて前衛に進む。
知能と素早さが光る魔獣ガルムが群れ単位で殺意剥き出しのエリアルを取り囲み、尖った爪を主張しながら彼女に襲い掛かってきた。
狂気と快楽に唄うエリアルはまず一匹の顎を引き裂き、それから挟み撃ちにしてきたガルムたちの首を回し蹴りでへし折る。最後の一匹はなおも諦めず、彼女を殺そうと迫るも、エリアルの短剣が脳天を突き抜けた。
「ご主人様に育てられた力を試すの、たのしぃ。ふひ、ひひひひひひ!」
興奮し、抱腹絶倒なエリアルの目玉がギョロっと転がる様に、テムズは一歩足を退いた。エリアルは魔獣だった肉塊を見せしめと称して踏み躙っていた。
「ご主人様に抗うことがすでに間違いなんだよ! 屑がぁ!」
いくら知能を持たない魔獣でもあそこまで必要以上に攻撃するようなこの人間性喪失女を手放しで放っておけば、世界をも滅ぼしかねない危険性を孕む。
「あの、エリアルさん」
「はい! ご主人様! あとあたしのことは呼び捨てで構いませんよ? 洗脳された奴隷のごときが出過ぎた真似だとは存じておりますが、やはり主従関係というのは言葉の掛け合いの段階で周囲に見せつけるべきだと考えます」
さっきからやたらと情緒不安定な彼女はテムズが声を掛けた瞬間に、誰もが力を抜きそうな垢抜けた笑顔で彼を迎えた。
テムズ自身が安寧を得るためにも、味方をも安易に巻き込む爆弾をコントロールしなければならなかった。知らないうちに喧嘩を吹っ掛けて世界中から指名手配、だなんて溜まったものではない。そうなればテムズが勇者に復讐するという、新たな生きるための目的は破綻してしまうだろう。彼の全てをあっさりと否定する理不尽な力を、彼女はすでに持ち合わせている。
それなら湖に打ち捨てられていた方がまだマシであると、テムズはエリアルの黒髪を撫でながら思った。
「エリアル」
「えへへ、何回も呼ばれると照れちゃいます! あ、頭頂部、気持ち良いです」
童顔の美少女がテムズに目を合わせるなりだらしのない顔をしており、それに呼応して瞳の刻印が黒ずんでいく。
テムズは自らの力が抜けているのを感じていた。原因はすぐ身近にあった。エリアルが魔力を吸い取り、彼女のものに還元しているのだ。
「ご主人様の魔力、頭から、はぁ……んぁ、しゅご、い! まだ強く、なりたい。強くならないと、ご主人様の復讐に力を貸せないから!」
彼女の力はテムズの魔力を媒体に、また膨れ上がる。
エリアルにおける身体中の血管が浮き上がり、その中で血液が尋常ではない速度で循環していた。こんなに魔力を受け入れていては限界がすぐに訪れ、体が中から爆発する哀れで酷い末路を辿ることは必然になるだろう。
それはまさに吹き荒れる疾風のごとき苛烈な行動に走る彼女、エリアル・ローアにはぴったりである。
「が、ぁぁぁぁぁぁぁ!」
頭を撫でられただけで絶叫する彼女が中で暴れる力の制御を終えると、更に力を引き上げた事に対し、満面の笑みで口元をとろりと綻ばせていた。
「ひぃ、ひぃ、あはっ、ご主人様……あたし、また強くなっちゃいました」
最早魔物の頂点であるドラゴンにも迫る力を一盗賊が持っている事実を、他者と比べて論理的思考を基とする彼は信じられず、幻覚にでもかかってしまったのかと錯覚する程だった。
「自分で言うのもなんだけど、とんでもない奴だな」
魔獣を薙ぎ払ったその先、デッドフォックスの縄張りに到達した二人。テムズに乗り気じゃないながらも縄をかけた彼女は、アジトがある洞穴の中に入っていった。
「きひひ……」
「おう、エリアルか」
「ただいま! カムラ! クソが……ご主人様以外があたしに声かけんじゃねぇよ」
エリアルは小さく低い声で汚らしい言動を走らせている。当然のことだが、彼女は表面上洗脳前の気さくな自身を装っている。
流石に本人だけあって自分のことを知り尽くしており、かつての仲間と話す際には不自然な部分を一つも出さずに乗り切った。
テムズにとってはやってもらって当たり前かつ成功を確実なものにしてもらわなければならないことであり、テムズはこのことについては特に心配をしてはいなかった。なぜなら失敗をしたらこんなしょうもない遊びなんてやめて真っ向から潰せば良いのだ。
「なんか言ったか?」
「いや、面白いものをたくさん見つけて、ついつい喜びで独り言を……」
「そうか、ではその成果、ドンに報告してもらおう」
エリアルと似たような格好をしながらも、細身な彼女の何倍もの体格差をもつ屈強な男、カムラに案内され、アジトの奥へと連れて行かれる。
「その男は?」
「えっと、お宝を巡って争った魔術師。中々強くて、捕らえるのに時間が掛かったわ」
「へえ、魔術師ごときに遅れを取らなかったのなら、お前もやっと一人前ってところか」
カムラのテムズを馬鹿にした言葉に、エリアルは苛立っていた。話の中で、エリアルは彼のことを称えてばかりであり、貶すようなことをしていない。
彼女にとってテムズは邪魔でしかない単なる敵からどんな宝よりも大事な存在に変わっていた。そんな彼を馬鹿にされたことはエリアルには侮辱されたも同じであり、カムラを一生許せない存在として憎み始めた。
「あいつ、ご主人様を馬鹿にした。許さない……」
この時のエリアルの顔は演劇の名シーンが連続再生されるような印象深さであった。
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