第2話 欲望と経験

 不信感を抱いたテムズは魔術的な要素を疑ってみた。引っ付いてくるエリアルを振り解き、資料を片っ端から探ると、これしかない、と思わせる魔術回路が描かれたぼろぼろの布が目に入る。

 王都式の精巧な術式であるそれには、人間の思考回路を司る部分、それすなわち脳を侵す作用があったようだ。

 テムズの疑問が晴れた気がする。彼女は脳を魔術で侵され、術者に従うように思考を書き換えられた奴隷同様の存在に成り果てている。

 その証拠は彼女の行動だけでも充分過ぎる情報量を知らしめてくれる。


「ご主人様が食べやすいように木の実を磨り潰しておりますので、少々お待ちください」


 昨夜の介抱に始まり、今日は食事の支度。敵が情けをかけるにしても何の脈絡もなく助けようとするだなんて、そう彼は訝しむ。例え聖人であろうとも理由付けはそれなりにあるだろうに、彼女はセオリーなんて最初から知らないかのごとく、無償の愛を追究している。


「はい、あーんしてください」

「あ、ああ……」


 感服するくらいに彼女は執念深く、抱き着いたのを追い払っても再び纏わり付いてきていた。

 怪我人一人では四苦八苦していたであろう食料調達も、エリアルのおかげでこなせた事であるし、一先ずは彼女のしつこさに甘んじてみようと肩の荷を降ろす。

 彼女はヘラで磨り潰した木の実を丹念な様子で掻き集め、テムズに食べさせる。


「ご主人様が美味しそうに食べてる……ふふふ、あたしの生きる意味が強くなった」


 彼女のあの異様なテムズへの執着は彼女の生死をも分けるようで、彼がいなくなろうものなら死にそうなくらい、彼女の意思そのものは希薄となっているようだった。

 エリアルが二つもつ瞳の一つ、左目には件の魔法陣が宿っている。冷静になって見て、ようやく気付いたテムズ。

 これを解除するにしても、術式が複雑怪奇であるために未だ一介の魔術師にやれというのは、いささか骨が折れるというものだった。


「ご主人様、美味しかったですか?」


 木の実を食べ終わったら膝元に寝かされる。何の感慨もない敵でしかなかった少女に手厚くもてなしを受けているのがどうにも不思議でならないテムズは困惑するばかりだ。

 特に過程があったのではなく、はいご主人様、いきなり囁かれながら傷の手当てを受けている。あらゆるシチュエーションを想定した熟練の魔術師でも鼻を明かされるのは必然にも等しい事だ。


「ご主人様、次はあたしをどうしたいですか? 何でも、しますよ」


 何でもする……彼はその言葉にピンと来る。

 彼が現状やりたい事、そんな事は決まっていた。

 復讐だ。こんな状態ではできるはずもなかっただろうそれも、彼女がいれば果たせるかもしれないと、期待に胸が熱くなるテムズ。


「復讐がしたいなぁ……」


 テムズが自分の欲を包み隠す事無く吐露をすると、エリアルの瞳に焼き付いた魔術刻印が淡い光を帯びる。


「ご主人様は復讐をご所望なのですね」


 エリアルは彼の頭を撫でながら、ゲラゲラと笑いだすやいなや、置いていた短剣に目を向ける。

 彼の悪事に平気で加担するその様子に、彼は魔術というものに何故惹かれたか、その深淵を見た気がした。

 あれからそれなりに日が経ち、身体はまずまず回復していた。

 エリアルにかかった洗脳魔術は解けるどころか一層深まっており、彼への依存度もそれに比例して上がっていく。

 彼女はオレにべったりで、恋人の距離感とも言って良いくらいにすでに相当近くなっている。殺そうとしていた奴にする態度ではないが、不思議と受け入れようとしている自分がいることにテムズは驚いている。

 研究好きの彼は未知のものに寛容な部分もあり、おかしくなったエリアル・ローアを見るたびに恐怖よりも彼女について知りたいという好奇心の部分が膨れ上がり、知識欲がだんだんと彼の容量を席巻しつつあった。


「エリアル、お前は何ができる」

「なんで従っていたのか忘れたクソボスから仕込まれた暗殺術と、後はお家芸の盗みですかね」


 彼女の戦闘能力の片鱗は生死の今際で存分に体感した。おそらく彼女の実力は本物だろう。

 それでも彼には悩みの種は払拭できないでいる。こいつだけで復讐が達成できるのか。これはおそらく誰もが思い至る単純かつ重大な悩みである。


「今のあたしでは、多分復讐は果たせなさそうです」


 テムズの懸念を先に言ってしまうエリアル。その話は本当で、猛者を募ったあのパーティに、一介の盗賊が一人で太刀打ちできるかと問われたら、答えは無理……だろう。

 それでもエリアルは突き付けられた現状を理解しながらも笑っているのが、テムズには妙に引っかかる部分があった。


「鍛えれば、良いんですよ。ふふふ。この辺りの魔獣を全部ぶっ殺して、鍛えるんです……」


 エリアルの提案は理には叶っていたが、無茶苦茶も良いところであった。論理もへったくれもない力技であり、効率重視な考え方に傾倒しているテムズとは相容れない部分がある。

 折角手に入れた彼女を失うリスクを承知で、テムズは彼女のやりたいようにやらせることにした。よく分からないあの自信にはテムズを突き動かせるだけの奇妙な説得力を持っている。

 エリアルは外に出ると、殺気を振り撒くという、暗殺者にあるまじき豪胆な釣り方で魔獣を呼び寄せていた。

 ゴブリンやアーリマンと小者ながらも、魔獣が匂いを嗅ぎ付け、わんさかと飛び出してくる。

 そいつらをエリアルは片っ端から木々を跨ぐ素早い動きで撹乱しつつ、洗脳前からの得物である短剣を突き立て肉を抉り、生命を断っていく。

 動きが止まってみれば、彼女が首に巻いた襟巻きには肉が絡んだ血が泥のような粘度で付着し、顔面においても絵の具を塗りたくったような鮮血が肌を彩っている。


「こんな小者じゃ、話にならないなぁ。もっと強くならないとご主人様の役に立てる駒になれないよ」


 小者でも物量に任せてこんなに来られたら、並の冒険者ならば圧殺されて然るべきだ。彼女の雰囲気だけでいえば並より少々上くらいで、強さは認めてしまっていたとはいえ、100もの魔獣を一蹴してしまう力ではないはずだ。そのはずが現実では魔獣たちをあっさりと蹴散らしている。

 すでに彼の予想の外を行っている彼女はこのくらいでは満足できないと、露骨に不満を撒いているエリアルはすかさず次の獲物を狙い、索敵を再開した。


「もっと強い奴を仕留めたいなぁ」


 段々と獣道へと行く手を合わせるエリアルに恐々とするテムズ。彼は彼女に手を引かれながら、とてつもなく強大な魔獣の寝床へと足を踏み入れる。


「魔獣イビルギガンテ。ふふ、あれと戦えば経験値がたくさん得られるはず……」


 目の前の巨人を見てすぐに逃げ出したくなったテムズとは対照的に、興奮に身を捩るエリアルは屈強な奴の肉体に短剣を突き立てた。

 テムズの制止を振り切り、彼を守るための強さを求めているエリアルはイビルギガンテに無謀な戦いを挑む。

 彼女が突き立てた短剣はさほど深手にはなっていない。巨獣の肉が硬く、戦闘用に研ぎ澄まされた特注品ですら食い込んでいかないようだ。

 エリアルはこの事実を知ってなお、御構い無しに接近戦に打って出る。

 彼女は盗賊稼業で培っただろう高い身体能力を活かして跳び上がり、大きく突き出している目玉を狙う。目玉は自然の猛威に晒されて鍛えられた魔獣であっても数少ない、鍛えようがない部位となる。


「くたばりやがれ、化け物!」


 細い足からは想像もつかない野太い蹴りが弱点と見られる巨獣の目玉を穿つ。

 イビルギガンテは化け物に相応しい悲鳴を伴って尻餅をつく。

 負傷した目玉を庇いながら苦しむ姿は何とも痛々しく映る。それを加味しても生殺与奪の世界に生きる彼らに情けは不要だった。

 テムズはともかくとして、魔術で狂ったエリアルからは最早そのような感慨は喪失されている。


「ご主人様の手に勝利を」


 高揚した気持ちを乗せつつ、エリアルが巨獣の目玉の奥にある脳を潰そうとするのを振り切るように、逆に巨獣がエリアルの足を掴み、木の幹に投げつける。


「なっ……きゃ!」


 彼女は硬い自然の壁に打ち付けられ、ダメージから吐血する最中でも立ち上がろうとしていた。身体は死にかけてもエリアルの瞳は死んでおらず、再度戦場に足を踏み入れようとする。

 テムズのためだけに強くなる事以外、頭に無いからできる彼女の自己犠牲な死に急ぎ。

 当のテムズは彼女を止めようともしない。それどころか死んだとしても構わない、冷たい目で彼女を見下していた。

 人を信じられない愚か者に蔑まれる、魔術傀儡となった少女はより一層憐れだ。そんな事実は頭にも浮かばないだろう、愚かな彼女を支えるのは主人への歪な想いに由来する。


「ゲホッ、殺さなきゃ……殺さなきゃ」


 エリアルは疲弊した身体を惜しまずに駆動させ、巨獣にはない素早さを更に引き上げ、奴を撹乱する。

 魔術によって感情という枷が外れた彼女の身体能力だけは却って本来の自分を取り戻したようであり、あのクラスの化け物に怯える事も、ダメージに屈する事もなく毅然として向かっていくのは熟練のテムズですらやらないような無茶が過ぎた行為だった。

 彼女にはそれだけ無謀という言葉が似合っていて、その無謀はやがて化け物を倒す程にまで追い詰めていた。


「はぁ……あはははは! 死ね!」


 倒れた奴の頭に乗っている彼女は短剣よりも何倍も長い剣をもってトドメを刺す。剣が目玉ごと脳を貫き、奴の生命活動は沈黙する。

 後に残るのは血塗れで狂気に笑うエリアルだけだった。


「俺たちですら手こずったあいつにたった一人で勝ちやがった」


 テムズもイビルギガンテとはやりあった経験があったが、あくまでパーティ単位で仕留めたのであり、一人であんな巨獣を討伐できるのは鍛え抜かれ、実績も伴っているギルドの精鋭たちや神から力をたくされ、祝福された勇者くらいなものだ。

 彼女は札付きの悪党に過ぎず、力だって洗脳前の一瞬を見れば実際そこまで強いわけではなかった。自分への冥土の土産にと鑑定した彼女のステータスは冒険者基準で判断すると精々Dランクがいいところだ。

 要は力の使い方が格段に上手くなったとでもいうべきだろう。


「はぁ……楽しかったです」


 エリアルを人間たらしめた、その人間らしさが魔術で消え去り、狂気と果敢な行動を兼ね備えるようになったからこそ、あのような大物にも手が届いたのだと、テムズは非凡な思考ながら推測してみせた。


「ご主人様、傷をできる限り治してもらえると助かります」

「……まさか、まだやるのか!」

「はい、もちろんです。力をもっと高めなければ。まだまだ無駄が多いので」


 テムズは彼女から言われた通りにし、彼女の怪我をヒールの魔法で癒してやる。

 テムズ自身が本調子でない事も合わさり、あまり治療事情は芳しくなく、半端な形でしか治癒はできなかった。しかしながらエリアルはもうすでに満足そうであり、立ち上がっては腕をくるくると回し、治ったことをテムズにアピールする。


「これだけ治れば十分です。続きを始めましょう」


 この森の魔獣を狩り尽くさんとする程の勢いで魔獣を見つけては手当たり次第に殺していくエリアルの力はぐんぐんと高まっている。

 凶悪なイビルギガンテやベヒモスにも進んで挑んでは殺していく。恐ろしいのは彼女が段々と動きを最適化していく事。三体目に挑む頃には、ほぼ無傷で敵を殺すようになっていた。


「まあ、こんなものでしょうかねぇ、ご主人様」


 エリアルの異様な戦闘技術の向上にに、テムズは恐れ慄き、堪らずに唾を飲んだ。

 エリアルは実に千もの魔獣を狩り、その中には強大な魔物も含まれている。単純に数以上の経験は積んだと見て、まず間違いはない。

 鑑定してみるとその能力はS級冒険者相当に跳ね上がっており、変わらない見た目とは裏腹にそこらの鍛錬では身に付かない、修羅場を潜り抜けた人間特有の血の香りを同類であるテムズは感じ取れた。

 服装がすっかりボロボロになった結果、露出した彼女のふくらはぎからは指名手配もされている、悪名高い盗賊団デッドフォックスの紋様が表われていた。


「ありゃ、見ちゃいました? ま、もうそこにはもう一回しか戻らないのであんまり気にしないで下さい」

「一回は戻るのか」

「それはそうでしょう。近いうちに奴らを騙して金品財宝を全部掠め取るのですから」


 死を運ぶ狐……デッドフォックスのメンバーは一人一人の戦闘力は低いながらも仲間同士の信頼関係が厚い事で有名であり、ギルド連盟もそこを見くびって鼻を明かされることが多かった。

 かつてのメンバーであるエリアルはむしろそれを利用し、奴らから財を奪い取ろうとしており、話に聞くような仲間意識はエリアルに限っては限りなく希薄になっている。


「ノルマをこなしたフリをして戻ってから……邪魔な奴を片付けてサヨナラ……あはっ、単純ながら、これが一番ですねぇ」


 魔物の血を浴び、塗れた彼女と強引に引っ張られるテムズが向かう先はとある湖だった。

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