ゲシニン
田中鈴木
ゲシニン
京都駅で新幹線からローカル線に乗り換え2時間。そこから路線バスで約80分。
冬枯れの道は日差しがあっても肌寒い。舗装もされていない畦道を、高山星輝は一人歩いていた。
坂本さんから話があったのは一昨日のことだ。
坂本さんはスロットの打ち子の元締めだ。半グレとも本職とも言われているが、高山は詳しいことを知らない。3千円を預かり、開店から小一時間ほどスロットを打つ。当たればそのまま続けるし、ダメなら残金を手に店を去る。高校を中退してから定職に就いたことのない高山にとって、坂本さんは小遣いをくれる人であってそれ以上踏み込む必要はない存在だった。
ワリのいいバイトがあるんだけどさ、と切り出されたのは、負けが込んできてもう帰ろうかと思っていた時だった。騒がしい店内で、耳元に口を近付けて囁かれた言葉にきな臭いものは感じたが、提示されたバイト代にぐらっと心が傾いた。
まあデリバリーだな。宅配サービスだと思ってくれればいいよと、坂本さんはデパートの包装紙に包まれた小さな塊と新幹線の指定席券を差し出してきた。住所のメモが示すのは、京都から山奥に入った寺のようだった。関東から出たことのない高山にとって、何のイメージも湧かない場所だ。ご丁寧に乗り換えアプリの道案内のコピーまでつけて渡されたそれを、高山は現金の入った封筒と一緒に受け取った。
薄曇りの向こうに見える弱々しい太陽が徐々に傾く頃に、高山は目的の寺に辿り着いた。山の斜面に沿って延びる階段にげんなりしながら足を進める。がさがさ落ち葉を踏みながら登っていくと、思いがけないほど広い境内に出た。
社務所と思しき建物の呼び鈴を押すと、ややあって頭を剃り上げた中年男性が出てきた。既に話は通っているようで、荷物の受け渡しはすんなり終わった。
帰ろうとすると、住職だという男性はもうバスは無いですよ、と言ってきた。スマホの乗り換えアプリで確認すると、最終のバスが出るのは10分後。ここまで歩いてきた道のりを考えれば、とても間に合わない。
よろしければ泊まっていきませんか、ここには宿坊もありますし。
住職のそんな提案を、高山は受け入れた。タクシーを呼べば帰れなくはないが、こんな遠くまでいらしてくださったのだからお代は結構です、という言葉は魅力的だった。どうせ急ぐ用事もない。高山は住職の案内で、本堂の裏手の宿坊に向かった。
4畳半ほどの部屋をあてがわれ、しばらくすると老婆が夕食を運んできた。精進料理というのだろうか、豆腐と野菜が主体の膳は薄味で物足りなかったが、一緒に運ばれてきた醤油をかけてかっこんだ。
暗くなる頃にまた老婆がやってきて、お風呂の準備ができましたと告げた。ついていくと4人くらいは同時に入れそうな浴場があり、湯船にはなみなみと湯が張られていた。遠慮なく足を伸ばして湯に浸かる。だらだら過ごした後に脱衣所に戻ると、浴衣と綿入れが用意されていたのでそれに着替えた。
部屋に戻るともう布団が敷いてあった。ごろりと横になってスマホをいじるが、Wi-Fiなんていう気の利いたものはないようですぐに放り出す。一日中移動して疲れが溜まっていたのか、気がつけばそのまま眠りに落ちていた。
ぶるっと身震いして目が覚める。隙間風が吹き込んでくるのか、布団から出ている首から上が冷え切っていた。枕元のスマホを見ると、午前3時を過ぎた頃だった。
もう一度布団を被り直すが、目が冴えて眠れない。夜更かしして寝落ちするのが日常の高山にとって早寝が過ぎたようだ。トイレにでも行くかと綿入れを着込んで廊下に出ると、本堂から灯りが漏れているのが見えた。
こんな時間に誰が。
純粋な好奇心で、高山は渡り廊下を進み本堂に向かった。板張りの雨戸は全て閉ざされているが、所々の隙間から灯りと、話し声が漏れてくる。息を殺して耳をそばだてると、どうやら男女が話し合っているようだ。住職とさっきの老婆だろうか。
──お山の大将は満足されるだろうか。
──ミソギは済ませましたし、問題ないでしょう。
──ゲシニンはどうしている。
──寝ておりますよ。じきに終わります。
意味の分からない単語があるが、寝ている、というので高山はどうやら自分のことを話しているらしいと直感した。じきに終わる、とはどういうことか。ゲシニン、とは。
下手人。
ふと時代劇で聞いた単語を思い出す。犯罪者を指す単語。今日運んできた荷物が頭をよぎる。どう考えても合法ではない。お山の大将は警察か。
そうっと灯りから遠ざかり、部屋に戻ろうと振り返る。
最初は闇が滞っているように見えた。
それが闇ではなく、黒い体毛を持つ獣だと気付くのに数秒。
思考停止しているうちに、大きな黒い手が高山の肩を掴む。
あ、と思う間もなく、高山の体は闇に飲まれた。
──げしにん(解死人) とは
中世日本において、神への供物や紛争解決その他の手段として、当事者本人ではなく社会下層の者を身代わりとして差し出す風習があった。解死人は共同体の中で養われるが、構成員としての権利を持たない存在であり、しばしば子供や流浪の身の上の者がその役割を担っていた。近代にかけて解死人は下手人と呼ばれるようになり、現在の犯罪当事者を指す言葉に代わっていった。(要出典)
ゲシニン 田中鈴木 @tanaka_suzuki
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