第1924話・商いの今
Side:久遠一馬
蟹江には織田家で営む大規模旅館がある。
寺社が相変わらず少ないこの地において、織田家で営む旅館は旅人や観光客の宿泊施設になっているんだ。
「いろいろと変わったなぁ」
久々に視察に来ると、細々としたところが変わっている。
「ご下命があらばすぐに直しまする」
宿の主は緊張した様子だ。ただ、細かいことに口を出す気はない。衛生指導とかはケティたちがやっているだろうし。
一番安いのは、相部屋の素泊まりらしい。板の間で布団もなく眠るんだとか。この時代だと珍しくないけど、長旅でそれは大変そうだ。
食事ありのプランもあり、なにか要望があればその都度料金を頂いてやるそうだ。無駄なサービスとかないね。個人的にはこれでいいと思える。
「いや、特に言うことはないよ。オレも参考にさせてもらいたいくらいだ」
ただ、領外の人の民度はあまり高くなく、盗まれるからと部屋には飾り気あるものがなにもない。
目安箱とか献策に多い項目のひとつとして、余所者に対する不満と献策があるくらいだからな。
そもそも余所者が来ることを尾張の人はあまり喜んでいない。商人などの直接利益がある人は別にしてね。街道沿いの町や村だとまだ理解はあるけど。
「そうそう奉公人の様子はどう?」
まあ、宿の様子よりは働く人の様子のほうが気になる。ここでは住み込みで働いて賃金なしとか禁止にしているんだよね。月に一度の休みと最低限の報酬を払うことを決めたんだ。
「皆、よく働いておりまする。常ならば何年も奉公するのでございまするが、銭がもらえるというのは励みになっておるようでございます。たまの休みには外で飯を食い、紙芝居や人形劇を見る。左様な者が多くおります」
史実だと割と近代まであったんだよね。住み込みで働くとか弟子入りで無賃金。技術や伝統の継承。一概に否定する気はないけど、経済として考えるならきちんと末端までお金を渡して循環させたい。
あと名目を変えて奴隷待遇で人を働かせるってのは、なるべくこの時代から根絶させていかないと。
休みに関しては農村のほうがまだあるんだよね。雨が降ると休みになるから。その点、町の奉公人って雨が降っても仕事があるし。
蟹江、寺社がほとんどないけど公民館とか公園があることで困っていないみたいだね。結構なことだ。
尾張でも中途半端なところだと、俸禄でただ飯食べるだけの堕落した暮らししている寺社が普通にあるからね。積極的に働いて世の中に溶け込んでいるところが多いけど。ごく一部はね。
「今後もお願いね。ああ。お土産に金色飴持ってきたんだ。みんなで食べて」
「ははっ!」
ちなみに尾張で商人の労働環境が改善傾向にあるのは、ケティの働きの賜物だ。十年前から遊女屋などに無料往診をしつつ、出来ることから労働環境の改善をしているからね。
下っ端でも、二十歳くらいには一人前として結婚して所帯を持てるようにするというのが、今の理想だ。
あんまり一から十まで命じないけど、酷いところはウチの商品取り扱いを禁止にする。これがまた効果がある。信用がないと判断されてすぐに廃業するようなところもあるくらいだ。
駿河や遠江や甲斐のように、禁止にしたあとも商いを続けているところもあるけど。あっちはそんな商人が結構多いしね。
あっちは過去の行為に対するペナルティだから。必要ならば寺社なり武士なりで助けて支えているようだ。
帰り際、近所の公園で遊ぶ子供たちがいた。寒い季節だというのに元気だなぁ。
Side:旅館の主
「はぁ~」
どっと疲れが出た。内匠頭様が来られるなどあまりないからな。
まっとうに生きる者には慈悲深いお方だ。粗相があってもお叱りを受けたなど聞いたこともない。ただ、人の道から外れたり権威にて勝手をしたりする者には誰よりも厳しきお方だ。
「これはまた凄い量の金色飴でございますな」
木箱に入った金色飴がいくつもあることに皆が驚いておる。甘味といえば一昔前は滅多に食えぬものだったのだがなぁ。
「必ず皆で分けよ。勝手に取り上げることなどするなよ。尾張介様の婚礼で配った菓子を搾取して大騒動になったからな」
「はっ、存じておりまする」
あの時は商人も罰を受けたからな。知らぬ存ぜぬで通そうと意地を張った者は磔にされたほどだ。
「うわぁ。飴だ!」
「後で分けてやるから先に仕事を終わらせろ」
「はい!」
噂を聞きつけて集まる若い者らが山のような飴を見て喜んでおるわ。ひとり三つくらいはやれるな。これだけでも安くはあるまいに。
久遠家の方々は、端の者まで粗末に扱わぬ。故に尾張では織田様や内匠頭様を裏切る者などおらぬとすら言われるほど。
ここでは奉公するためにやってくる若い子ですら銭と休みを与える。さほど多くの報酬を渡しておるわけではないが、休みに外に出るくらいの銭はある。今では蟹江の多くの商家で同じやり方をしておるくらいだ。
無論、銭はかかるが、今の尾張ならばそれでも困らぬからな。徳政令もなく借財を踏み倒されることもない。すべて内匠頭様のおかげになる。
わしらには見えぬ世を見ておるのだ。誰もがそう言う。
武士ばかりではない。尾張商人もまた、商いにおいて内匠頭様の見ておられる世のために励んでおるのだ。
畿内の者らに負けてなるものか。内匠頭様らがおられなくなれば、奴らはまた我らから奪うように商いをするに決まっておるからの。
「おいしそう」
ふと気づくと昨日奉公に来たばかりの子が金色飴を眺めておった。ここでは苛烈な扱いを禁じられておるからな。慣れるまでは戸惑う者も多い。
「あとでやる。早う仕事を覚えて織田様や内匠頭様のお役に立てるようになれ」
「ほらいくぞ。まずはどこになにがあるか覚えるんだ」
「はい!」
若い者がまだ幼く見える子を連れていく。あの子は己がいかに恵まれておるか知るはずもあるまいな。
十年、いや五年もあればそれを知る。
飢えることなく生き、人として働くことが出来る感謝を胸に生きるだろう。
そしていつか、己に子が生まれ金色飴を与えた時に思い出すだろう。今日食べる飴の甘さをな。
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