第1923話・初冬の夕暮れ

Side:ナザニン


 清洲城からの帰り道、馬車の中でルフィーナが自分から疑問を口にした。無口ではないけど、必要がなければ黙っているのよね。この子。


「よくやっていると思うけど……、そもそも交渉までこちらが圧倒すると暴発するだけではないのか?」


 アタシと一緒にいるルフィーナでさえも危機感が伝わってないようね。まあ、戦闘型には戦闘型の意見があるのは分かるけど。


「織田家はもう地方の一勢力じゃないわ。殿とエルたちが交渉の結果に問わず困らないようにやっているから今まではいい。ただ、先を考えると困ることになるわ」


 尾張半国から伊勢と東海をほぼ制して、先進地である近江以西を手に入れていないとはいえ、経済では圧倒的な利益を出す仕組みを作り、現状まで国を整えた。


 きっと後世では奇跡と呼ばれるでしょうね。


 立場や地位がはっきりしない段階での対外交渉ほど難しいものはない。相手がこちらをどう見ているのか。そこから見定めないと駄目だものね。


 限られた人材と時間でどう改革していくか。司令とエルが内部改革を優先して対外交渉ではあえて引くくらいがいいと判断したのは多分、間違いじゃない。ただ……。


「寺社と朝廷か」


「ええ、付け入る隙になっているわ」


 譲位、御幸、行啓。そのあたりからこちらが後手に回ることが出始めた。司令とエルが上手く処理して利益にしているから問題が発覚していないだけなのよね。唯一発覚したのは蔵人の件かしら。


 あれは外務がもう少ししっかりしていれば防げたことだった。


「戦をしたほうが早そうだな」


「早いわよ。そりゃあね」


 多分、いずれはどこかの寺社とは戦になる。その時にいかに被害を少なく勝つか。エルはそのために動いているのよね。


 正直、アタシは、そこまでして寺社と朝廷とその文化を残す必要があるのか疑問もあるけど。司令の元の世界のように、政治に口を出して人を惑わす権威が宗教に残るほうが害悪だと思うのよね。


 まあ、エルが大丈夫だって言うなら大丈夫なんだろうし。アタシはそこまで深く考えて動くわけじゃないからいいけど。


「ということは、奥羽は適任か」


「ええ、季代子でよかったんでしょうね。申し訳ないけど武士だと難しいと思うわ」


 尾張の指示が簡単に届かない地域では、寺社に甘い顔なんて出来ないはずなのよね。特に奥羽は今後の地方統治の先例になる。


 季代子たちも交渉に向くタイプじゃないけど、寺社に断固とした態度を取れる季代子は適任に思える。その分、尾張で交渉をしないといけないけど。


「あー、お風呂入りたい」


 にしても尾張は寒いわねぇ。冷暖房が当たり前の暮らしをしていると寒いわ。快適な部屋で仕事しているほうがアタシは性に合っているのかも。




Side:菊丸


「騒ぐのは坊主ばかりではないか」


 奥羽の坊主が清洲で刃傷沙汰を起こしたと騒ぎになっておるが、近江の地でもまた騒ぎになっておる様子。


 尾張流賦役に加われなんだ寺社のうちいくつかが騒ぎたてて、己らの民も使えと観音寺城に押しかけておると知らせが届いた。


「そんなもんだよ。寺社なんてさ。特別だと思わないと驚く理由すらないね」


 そろそろ夕暮れとなる頃、観音寺城から届いた書状を片付けておると、ジュリアが師の屋敷に姿を見せたのでつい愚痴をこぼしてしまうが、その通りなのであろうな。


「耳が痛いの。わしとて出家しておるものの祈るわけではない。方便じゃからの。勝手をするための」


 ジュリアの言葉に師は珍しく困った顔をした。当然ながら師のように悪用致さぬ者もおるか。されど、それが悪しき前例となり寺社が堕落する。


 いかにすればよいのやら。


「菊丸は動かないほうがいいよ。あんたが動くとあちこちが騒ぐからね。焦らずじっくりと力を削いでいくほうがいい」


 口だけで従えたところで気に入らぬと一揆を起こすからな。人が神仏の名を騙るなどおこがましい。もしや、神仏を汚す寺社があることこそ、今の世が荒れておる理由ではあるまいか?


 畿内がいずこよりも荒れておるのも、それだけ神仏を汚す者が多いからと思えてならぬ。


 まあ、いずれにしろオレが動く時ではないということか。一馬らは畿内に関わるのを好まぬからな。オレが動けば畿内が動いてしまう。


 愚か者が許せぬからと言うて、オレまでもが神仏を汚す愚か者になるわけにはいかぬ。なんとも難しきことよ。




Side:久遠一馬


「かずま、いかがだ!」


「なかなかよく描けておりますね。若様」


 最近、学校に通うようになった吉法師君が、授業で描いた鉛筆画を見せに来てくれた。


 もう数え年で七歳だ。元の世界だと来年には小学校に上がるくらいか。子供が大きくなるのは早いなと実感する。


 今でもウチの子たちとか牧場の子たちと一緒に走り回っているけどね。


 お市ちゃんに続いて、武家の慣例とは違う教育をしている。尾張の武士だとそういう家が今はほとんどだろう。


 無論、それぞれの家の伝統とかやり方はある。完全に変えたわけではないものの、学校に通っており、学校での教育がこの時代だと余所と違うからね。同じにならないんだ。


「へへへ……、そうだろう」


 男の子だし身分が高いことから、少しヤンチャだけどね。いい子だ。ウチだと悪いことをしたら普通に叱っているし。


吉二きちじ殿もよう描けていますね」


「はい! ありがとうございます」


 お供は吉二君だ。かつて伊勢神宮に参拝する途中でケティが取り上げた子になる。すっかり大きくなっていて、顔を見るたびに時が過ぎる早さを実感する。


「よし、ディアナとかんなをみにいくぞ」


「ははっ!」


 勝手知ったる他人の家。なんかそんな感じなんだよね。吉法師君。叱られると落ち込むこともあるけど、ちゃんとフォローしているし、本人も翌日になると普通に遊びにくる。


 信秀さんと信長さんは、尾張をウチの本領のような国にしたいと言うことがある。吉法師君たちをウチの流儀で育てているのもそれが理由だろう。


 ちなみに次男の峰法師君もウチにくる。まだ数えで二歳だから乳母さんと一緒にね。家臣のみんなの子とか孤児院の子たちも来るから、尾張で一番子供の声が聞こえる屋敷かもしれない。


 正直、オレは公卿の相手をしているよりも、子守りをしているほうが性に合っている。


「こら! 走ったらだめだよ!!」


 うーん。さっそく吉法師君たちがパメラに怒られている声がする。


 これもいつものことだ。



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