第1920話・懸念と苦労と

Side:久遠一馬


 織田家で一番苦労をしているのは誰か。見方によって変わるだろうけど、必ず名前が挙がるのはこの二人だろう。


 寺社奉行の堀田さんと千秋さんだ。


「守護様のお怒りに触れるのであろうか?」


「かもしれませんね。私も謝罪せねばなりません」


 心底呆れたような堀田さんの言葉に、オレとしてもまあそうだろうなとしか言いようがない。身勝手な訴えとか喜ぶわけがない。


 実は奥羽の寺社から訴える者が続々と来ているんだ。


「内匠頭殿は、許すとは言えぬことでございますからな」


「そうですね。季代子たちの判断がすべてです」


 まあ、千秋さんは仕方ないとオレに同情してくれている。


 正直、この件に関しては、ウチにも訴える人が来ているんだよね。ただし、現状だと奥羽の寺社と名乗るものは屋敷に上げることなく、清洲城に行くように言って終わりだ。


 根本的な問題として、奥羽の一件はオレが口を公式に出していいことじゃない。季代子たちと夫婦ではあるものの、奥羽領は義統さんの名前も使って治めている。


 特に代官として下した裁定に対する訴えの場合、オレが横から口を挟むなんて出来ないんだ。さらに、代官として領内を恙なく治められなかったことで、公式の場で謝罪が要る案件だろう。


 ちなみに二人を悩ませている原因は、訴える者たちの立ち位置も言い分もバラバラなことか。


 寺社を軽んじるとためにならないと脅迫とも強気とも思える態度に出ているところもあれば、泣き脅しのようなところもある。また、奥羽で蜂起したところもあれば、なにもしていないのに交渉停止されたことが非道だと訴えるところもある。


 まあ、内容を突き詰めると、ある程度一緒だけど。もっと自分たちに配慮して体裁を守れるくらいの銭と物資を寄越せ。その一言に尽きる。


「伊勢無量寿院にも使者が行ったとか。恐らく畿内の本山にも行っておりましょう」


 堀田さんの表情が険しい。はっきり言うと、末端の寺社の勝手な訴えなんか義統さんや信秀さんに上げる案件じゃない。ところが無量寿院からそんな者たちが来ていると知らせが届いているんだ。


 彼らよりも先に奥羽からの船により季代子たちの書状が届いていて、奥羽の寺社が総本山に訴えを出したというのも事前に伝わっているので、もう評定に上げて問題として扱うしかない。


 完全に外交問題となる。


「我らも決して笑えぬがな。豊かならばもっと利を寄越せとは傲慢甚だしい。兵を送り焼き払うべきだという献策も上がるであろう」


 苦悩の表情だね。千秋さんも宗教家であることに変わりはない。ただ、宗教以前に人として一方的に寄越せという面の皮の厚さに怒っている。


「まあ、焼き払っても困らないんですけど。ウチとしてはそれでもやれます。なので、私から止めることはしませんよ。いずこの本山も動かぬでしょうしね。お二方が止めるなら構いませんが」


 ひとつ間違うと寺社との全面戦争になる危険性が僅かにある。まあ、確率で言えばほぼゼロだけど。


 遥か東の奥羽の弱小寺社の訴えで争うほどどこの本山も暇じゃない。そもそも奥羽の寺社の対応がバラバラでまったく統一されていないんだ。動きようもないけど。


 あとこの一件、すぐに義輝さんの耳に入るだろう。あんまり騒ぐと将軍として寺社に対して動きたがるだろうなぁ。そっちは止めてもらわないと。


 今、本山クラスと争うのは避けたい。


 そもそも奥羽領に関しては、南部一族や浪岡殿が一切庇わないことがすべてだ。もう交渉の余地がないと示したんだけど。わざわざ問題を大きくしてしまうとはね。


 寺社の本山などに対しては、こちらの利権と政治に首を突っ込むのは許さないと常に示しているので騒がないだろう。ただ、末端はそこまでしていないからね。


 これが戦国乱世の寺社ということなんだろう。


 ともかく、義統さんに報告に行かないと。




Side:千秋季光


 内匠頭殿と大智殿と堀田殿と共に、守護様と大殿に一連のことをご報告申し上げるために参ったが、守護様は明らかに不快そうなお顔を隠されなんだ。大殿もそうであるが、日頃からかような御姿を見せることがないだけに少し背筋が冷たくなる。


「申し訳ございません」


「一馬、そなたが謝ることではあるまい。季代子らにも落ち度はない。慣例を破ったのは寺社だ。端の寺社の分際で、もっと利を寄越せとは何事だ」


 確かに、謝る程の事とは思えぬが。あえて謝罪するとすれば、歯向かった者らを討たなんだことだ。内匠頭殿は意外に細かい形を気にする時があるな。


「弾正、いかがする?」


「己らで勤められぬ寺など、すべて絶縁なり潰すなりしてしまってよいかと」


「堀田、千秋。そのほうらはいかが思う」


 大殿も慈悲を与える気はないか。


「異論はございませぬ」


 庇えぬわ。守護様とて慈悲を与えるおつもりがあるようには見えぬ。せめて、奥羽にて数年でも大人しく耐えておればまだよかったのだが。


「使者らには絶縁を申し付けるか。年の瀬となり季代子らが戻る。そこで話をして、あとは好きにさせればよい」


 決断が早い。この件はすでに意思統一がされておるとみるべきか。


「にしても、坊主の増長は今に始まったことでないが、なにか策はないのか? すべて根切りにするのも面倒だ。まして守護様の御名でやるわけにもいかぬ」


 その言葉にかつてを思い出す。今は滅多に聞かぬ怒気を含んだ大殿の声だ。守護様も大殿も武士には寛容なれど、神仏を騙る者には年々厳しくなりつつある。


 左様な大殿のお言葉に内匠頭殿と大智殿は顔を見合わせ、大智殿が少し困った顔をしつつなにか策があるようだ。


「奥羽はもう手遅れですが、今後臣従するところを考えるならば、出家に関わる分国法はそろそろ検討したほうがいいかと存じます。申し上げにくいのですが、祈る気もないのに出家する者がいることで度々騒ぎが起きております」


 やはりそこに踏み込むか。十年。織田家をここまで大きくしたのは内匠頭殿と大智殿だ。わしも長い付き合いになったからな。そこを避けて通れぬことは理解する。


 家督争いや与える所領がなければ寺社に子を出す。尾張や近隣では随分と減ったがな。左様な者らは織田家の下で働いておる。


「それは必要じゃの。軽々けいけいに出家したり還俗したりとやりたい放題ではないか。過ぎたることを言うつもりはないがの。食える働き口はあるのであろう? ならば神仏を愚弄するような出家はさせぬほうがよい」


 この方々が今や世を治めておるのだと改めて理解する。領内のこととはいえ、寺社の根幹に関わることを決めることが出来るのだから。


 ただ、この件に関しては、今、唐突に出た話ではない。寺社奉行にも幾度か献策があり評定においても議論したことがある。


 他にも寺社における戒律の厳格化は度々議題に上がるひとつだ。真宗や一向宗は戒律が厳しくないが、他は酒や肉食、女犯を禁じておるというのに守っておらぬ。


 まあ、熱田神社の宮司として、わしも決して人のことをとやかく言えぬのだが。


 ただ、この国において古くは神道と寺は別物であった。それがいつの間にか入り混じり混在することになっておる。


 熱田神社は本来、神道に連なるところ。仏を祀る寺とは似て非なるはずなのだがな。


 当家も少し考えたほうがよいかもしれぬな。いずれ武士として仕える者と大宮司を継ぐ者は分けたほうがよいかもしれぬ。


 諏訪神社の裁定が今思えば、内匠頭殿らが考える寺社の在り方の示す道となるのであろう。


 やれやれ、困ったものだ。愚か者どものせいで寺社の立場が悪うなる一方ではないか。何故、素直に祈り、謙虚になれぬ?


 一向衆が度々騒ぎを起こす加賀がおかしいのではないということか。いずこにも争いの芽があると。


 難しきことよな。



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