第1918話・第五回文化祭・その五
お知らせです。
本作は作中の年末にて区切りとして、続きは新しい『戦国時代に宇宙要塞でやってきました。2』とかで、分けて連載することになるかもしれません。
カクヨム様の仕様により、あまり掲載量が多いと負担が掛かるなどの事情があるようで、拙作も編集時は少し重いなと感じることがあるためです。
その際は、お手数ですが、そちらの登録と閲覧をよろしくお願いいたします。
横蛍
Side:久遠一馬
文化祭最終日。もう夕方になっている。
不思議とこのくらいの時間になると、厳かな雰囲気を感じる。
いくつか新しいこともあった。職人の授業で制作した品を今年も販売したんだけど、それ以外にも書画など評判がよく、こちらは売ってくれるのかと聞かれたことが何度かあったそうだ。
また、新しい才能を見出された子とかもいたみたいで、今後が楽しみなことが多い。
「なんと……」
山車が登場すると一緒にいる尼僧様が驚きの声を上げた。人形型、灯篭型、双方が混じった人形灯篭型。主に三種類あるものの、山車の数がまた増えたね。
新しいものは職人衆や商人組合が資金を出して作ってくれたものだ。
それにしても、灯篭型は火が入ると本当に映える。京の都でも祇園祭とかあるし、山車の数とかは及ばないけどね。
ただ、斬新さではこちらが勝っているだろう。紙芝居とかでこの時代ではあるはずもない画風が根付いていることもあるし、何故か毎年、ロボとブランカの灯篭型山車がある。
みんなどうしているかなと見渡すと、気になる人がいた。藤吉郎君だ。小学高学年くらいの女の子と一緒にいる。
あれが寧々ちゃんか。歴史が変わったのにふたりが出会ったと報告があったんだよね。現状では寧々ちゃんが藤吉郎君を気に入っていて、お市ちゃんがそれとなく手を貸しているとか。
お市ちゃん、オレたちが家中の若い人たちのために宴とかイベントやっている時、一緒に手伝っていたからなぁ。ふたりが仲良くなれるようにと会う機会を作ってあげているそうだ。
ウチの価値観とノウハウ、こういう細かいところは一番知っているかもしれないからなぁ。お市ちゃん。
あのふたりがどうなるのか。オレたちは静かに見守っている。
「人の力で争いをなくすことも出来るのですね……」
尼僧様の一言は誰に向けた言葉でもないだろう。ただ、菊丸さんの嬉しそうな顔がすべてなのかもしれない。
「狭い領国だから出来ることでございますよ」
分かっていることだろうなと思う。ただ、過剰に誤解してほしくない。夢や希望を抱くのは構わないけど、オレたちだって出来ないことはある。
「分かっています。ただ……、僅かな平穏すら成せぬまま亡くなった御方を思い出したもので……」
さすがは近衛さんの妹か。オレの言いたいことを察するとは。
公卿公家や寺社の僧などが凄いところは理解力だと思う。教育の偉大さとも思えるけど。こちらのことや力を、おぼろげながらでも理解する。勝てないと理解すると、いたずらに反発したりしないし、戦をしようなんてしないんだ。
「今しばらく生きていれば……。ふと、そう思ってしまいました」
先代将軍である義晴さんか。確かに、今も生きているとこの光景を一緒に見ていたかもしれない人だ。
オーバーテクノロジーがあるオレたちでも、ここまでくるのに十年の歳月を費やした。普通に生きている人がこの荒れた時代を治めるには、時代の節目に多くの偉人が生涯を費やすくらいのことが必要だろう。史実のように。
「菊丸様、尼僧様」
学校の子たちが提灯をみんなに配ると、ふたりも受け取った。尼僧様は提灯も自分で持ったことないのでは? ふと、そう考えると、提灯の明かりと重さですら新鮮なのかもしれないと思う。
灯篭型の山車は、みんなで願いを込めて制作している。こうして那古野神社まで練り歩き祈ることで、天に願いを届けるそうだ。
余談になるが、尾張では神仏への信仰心が、他地域よりも幾分高い傾向にあると以前報告があったことを思い出す。
理由はいろいろあるだろう。尾張の宗教関係者が己を律するようになったことや、争いがなく暮らしが上向いたことなど。信秀さんが仏の弾正忠と呼ばれていることなど。
一方で宗教関係者への視線が厳しくなりつつあることも事実だけど。堕落して寺社を汚す坊主を許すな。そんな価値観が僅かながらにあるそうだ。
みんなで国を守り飢えないようにする。これオレたちが始めたことなんだけどね。多くの領民にとっては守るべき対象には寺社も含まれている。それ故に、血筋や氏素性から世襲して堕落している寺社には厳しい側面もある。
領内だと伊勢無量寿院が典型的な一例かもしれない。大きいところだと信濃諏訪神社あたりは、そんな価値観から織田家中や尾張などではあまりいい印象がないところもある。
「尼僧様は初めて来られたのですか?」
「ええ、長いこと京の都や近江におりましたので……」
ふと気づくと、孤児院の子たちが尼僧様の周囲を一緒に歩いていた。
身分が高い人だと察することが出来るくらいの年齢の子たちだ。大人はあえて触れずに流すことが多いものの、ウチの子たちは身分がある人に結構慣れているからね。
一緒に楽しもうとしているみたいだ。
「では、今度、他国のお話をお教えください!」
好奇心旺盛な子たちに尼僧様は少しだけ驚いた顔をしつつ、笑みを浮かべた。
「ええ、よいでしょう。皆が知らぬような話があるか分かりませんが……」
文化祭でいろいろと驚いたようだと報告を受けている。近衛家の娘として生まれ、足利義晴さんに嫁いだ。この時代としては上から数えた方がいいほどの身分の人だ。
ただ、客観的に世の中を見たり教育に関して考えたことはなかったんだろう。ちょっと刺激が強すぎないかと気になる。
公卿公家もまた、ひとりひとりと向き合うと分かり合える場合がある。とはいえ、ひとりの人として生きられないのもまた彼らの世界であり立場なんだ。
オレたちが力を持った今だからこそ、彼らとどう向き合うか。今一度考える必要があるのかもしれない。そう思う。
まあ、今日はみんなと一緒に祈りを捧げよう。家族や家中のみんなが無事で幸せでいられるように。
少しでも世の中がいいほうに進むようにと。
◆◆
永禄三年、十一月。那古野織田学校にて、第五回文化祭が行なわれた。
武芸大会が第十回、文化祭が第五回と節目を迎えた年であるが、この年の文化祭はより一層那古野の祭りとして認知され拡大したことが、『織田学校史』などに記されている。
一方で、この頃すでに織田学校では戦乱の世を知らない子供が増えていたとのことで、子供たちに世の中をどう教えどう導くか。議論が幾度もあったという記録がある。
同年の文化祭には足利義輝と母である慶寿院が、菊丸と尼僧として身分を偽って訪れており、慶寿院は多岐に渡る学問を身分に問わず学ぶ姿に大きな衝撃を受けたと『足利将軍録・義輝記』に記されている。
この数年前から類似するような記録があるものの、尾張と畿内の格差は開く一方だったと推測され、統治体制から教育、文化面に至るまで、尾張においては着実に新時代の歩みを始めていたことが窺える。
とある歴史学者は、旧時代を終わらせる前に新時代が生まれたと語っており、織田学校の存在こそ新時代の幕開けとなったのだと語っている。
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