第1915話・第五回文化祭・その二
Side:とある領民
「うわぁ」
今年、ようやく八つになった子が嬉しそうな声を上げた。そんなに学問とやらを学びたいのかね。腹が膨れるわけでもあるまいに。おかしな子だ。
「おっ父! 早く! 早く!」
急かすように中に入る倅を追いかける。
まあ、田仕事も暇だしな。数日賦役を休んだところで飢えるわけでもねえ。
家では朝から晩までよく手伝いをするし、学問も真面目に学ぶからと、村の和尚様が一度学校の文化祭ってのを一緒に見てくればいいって言うから来たんだ。
「なんて書いてあるんだ?」
「『
和尚様から読み書きを教わったおかげで、倅は難しくねえものなら文字が読める。ここにも幾度か和尚様に連れられて来たことがあるんだとか。
しかし、随分と大勢の人がいるなぁ。身分が高いお方も多いみたいだ。無礼でもすればなにをされるか分からねえ。気を付けねえと。
「こっち! 田んぼのことを教えてくれるんだって!」
おらは字も読めねえし学問なんて興味ねえ。ただ、楽しげな倅に付いていくだけだ。
一際賑わっている教室というところに入ると、後ろのほうから皆が見ておる先を見てみる。黒い壁に白いもんで字を書いているのが分かる。
「であるからして、よく育った稲から翌年の種籾を残すとよいのだ。人も米も同じ。育ちがよく立派な種籾からは立派な米が出来ることが多い」
字は読めねえが、絵を描きながら教えておられることはなんとなく分かる。
そういや、塩水で種籾を選ぶんだって教えてくれた奴が似たようなこと言ってたなぁ。あれも今ではいずこの村でもやっておるほどだ。
難しくて分からねこともあるが、思いの外、聞き入ってしもうた。米が多く採れる知恵がいろいろとあるってのは分かった。
「学問ってのは、いろいろあるんだなぁ」
「そうだよ!」
田んぼの学問があるなんて知らなかった。これならおらも学んでみたいと思える。
「次はどこ行くんだ?」
「うんとね……」
せっかく来たんだ。倅がどんな学問を好んで学びたいのか。いろいろと見てみたいと思えるようになった。
「職人の学問があるよ!」
おお、職人か。それならおらにも分かりそうだなぁ。嬉しそうな倅と職人の学問をしているところに急ぐ。
まだ授業とやらは始まっていないらしく、こっちは初めから教わることが出来るらしい。
「よし、やってみたい奴はいるか?」
「はい!」
今度は仕事のやり方を教えてくださるのか。倅と幾人かが声を上げると、師となる職人が道具の使い方からやって見せてくれる。
「あの……、職人ってのは親が職人じゃなくてもなれるんでしょうか?」
倅らに教える様子を見ておると、おらと同じく後ろで見ていた男が職人に疑問を問うていた。そういや、家業以外でやるなんて聞かねえなぁ。
「今は珍しくねえぞ。ここで学んだ奴が何人も職人として一人前になっているからな」
そんなことがあるのか。倅も職人になれるんだろうか? おらんところは田んぼも多くねえ。賦役で食っていけるが、職人になれるならそっちのほうがいい気もする。
そのまま楽しげな倅たちは職人に教わりながら木彫りの箸を作って終わった。
学校ってのは凄いところだなぁ。
Side:近江の方
教室は立ち見が出るほどの人が集まっております。一呼吸吐くと、落ち着いて皆の前に立ちます。
「病に罹りにくくするための知恵と手傷を負った際の対処をお教えします」
あれから時が過ぎ、私もようやく織田家のお役に立てるようになりました。今日は文化祭として誰でも分かるような授業をすることとなり、看護師として私が教えることになっております。
手を洗い、身を清める。昔から寺社ではしていることで、尾張では薬師の方殿がなによりも重んじることのひとつになります。
紙芝居や御触書で幾度も命じているものの、その真意を理解せず、未だにやらぬ者が多いのが実情でございます。
「具合が悪い時は無理をせず、いつもと違うと思ったら村の寺社に診てもらうように」
日頃から出来ることから始まり、病になった際にいかにするべきか。それも教えていかねばなりません。
特に幼い子は、いち早く薬師や医師に見せねば手遅れになりかねません。あの日の喜太郎がそうだったように。
あれから、さほど長い月日が過ぎたわけではありませんが、斎藤家と私の周囲は大きく変わりました。
一度は決別して絶縁された兄上と和解し、兄上は信じられぬほど穏やかになっております。以前会うた時には、父上を超えようと思わずともよくなり楽になった。そう私に語ったほど。
私の一存で戦となり、浅井の家が六角に二度と逆らえぬようにされてしまった時には、さすがに申し訳なくなり出家して祈りの日々を送ろうか随分と迷ったこともあります。
ただ、悔やむならば、世のために働くべきではないか。密かに相談した薬師の方殿にそう諭され、私は看護の方殿と同じように看護師として働くことに致しました。
そんな私の話を真摯に聞き学ぶ者たちと、私は向き合い、ひとりでも多くの命を救うべく勤めるつもりでございます。
「では、なにか聞きたいことがあれば申してください。なんでも構いませんよ」
これは天竺様が始められたことになります。学校で教える最後には、必ず学徒の者たちと話す場を設けると。
身分もあり、なかなか思うことを言えないのが今の世。ただ、学びの場では疑問に思ったことや知りたいことを遠慮なく申してほしい。そんな思いからのこと。
「あの……、うちのおっ母に子が出来たんだけど……」
久遠家の教えは尾張のみならず織田領に伝わっております。されど、漏れ伝わる話はいつの間にか教えと違う内容になることもある。
昔からの教えと久遠家の教え。いずれが正しいのか。そんな疑問もあります。それらに私は知りうる限り答えていきます。
古き知恵にも理由がある。ただし、本来の教えや知恵が伝える途中で変わることはある。
久遠家の教えが間違って伝わることで、私や織田家中の者はその事を知りました。故に、異を唱え間違いだと断じるのではなく、皆が己で後悔せず正しいと思える道を示してやる。
それこそ学校の教えなのだと思います。
僅かでも聞いて良かった。そう笑みを見せて授業を終える者たちを見て、私は安堵致します。
いつの日か、皆が憂いなく暮らせる日のためにひとつお役に立てたようで。
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