第1871話・秋の災害・その五

Side:ジュリア


 戦じゃないけど、兵を従えて前線に出るのは久々だね。正直、今回はあまりいい仕事じゃないのは百も承知なこと。だけど……、誰かがやらないと北畠は変わることが出来ずに困ったことになるかもしれない。


「お方様、昨夜の雨でやはり浸水した田畑は幾分増えたようでございます」


 懸念していたほどの被害はないか。むしろ小競り合いの被害のほうが多い。さっきなんて水死じゃない御遺体が発見されたと報告があったほどだ。


「最後の慈悲だよ。亜相様に書状を書いてもらった。此度の水害の対策はすべて北畠家で行う。国人、土豪、村。すべてにおいて無条件で従うことを厳命するものだ。以後、従わない場合は北畠家と絶縁となる。当然、北畠家との同盟故に織田で配慮している商いの様々な品物の値も変わる。無量寿院の時どうなったか。知っているはずだろ。同じことになると伝えな」


 織田の武官と北畠家の者が混在する陣で、アタシは遠慮なくやらせてもらう。権威や家柄がないと面目の優先順位が下がることで、後先考えない者が末端には多い。力で従えないと前に進めない者たちも世の中にはいるんだ。


 どんな愚か者にでも分かるように、亜相様の花押入りの最終勧告をすべての村に届ける。


 時間をかけて変えてやるほど北畠家もアタシたちも余裕なんてないんだ。有史以来続く日ノ本を根幹から変える。それを人としての時間で成すなんて正気の沙汰じゃない。


「それと昨夜避難した者たちにはすぐに飯と仕事を与える。それはセルフィーユのほうでやるからいいけど。その村には兵を置くよ。細かい配置は任せる。ただ、泥に浸かった稲は無理に集めなくていい。それより復旧を急ぐ。以上だよ。質問はあるかい?」


 しんと静まり返った陣だね。ただ、顔つきはまったく違う。織田の武官は冷静に状況を理解していて、北畠方の者たちはこの期に及んで戸惑っているというべきかね。


「我らが説得をするのはお許しいただけるのでございましょうか?」


 そんな微妙な中、声を上げた男がいた。ひとりだけ目つきが違うやつだね。


「あんたは確か……」


「奥山常陸介でございまする」


 ああ、長野との戦で春たちに食ってかかった奴か。この雰囲気で堂々と声を上げるなんてたいしたものだね。


「亜相様は、そこまでしなくていいって話だったんだけどね。春に異を唱えてまで北畠家のために動いたあんたがそれを願うなら許すよ。亜相様にはアタシから言っておく。縁ある者、従えている者、最後の機会だよ。大人しくさせてみるといい」


 安堵した者、顔色が変わった者がそれなりにいるね。独立しろとまで言及した亜相様の覚悟を理解していなかった者が相応にいるってことだ。口だけの脅しだと思ったのかね。自分だけはそんな扱いをされないと高を括っていたこともあるんだろうけど。


 国を変える。土地を治めることで支配する体制を変える。分かっていても実感がなかったんだろうね。


「ありがとうございまする!」


 軍議が終わり覚悟の顔つきで北畠方の者たちが出ていくと、武官たちが一息ついた。


「これでようやく北畠家も変われますな」


「我ながら武士とは面倒な生き方をしておると痛感致します。覚悟を示して力で変えてやらねば動かぬ者も多い。特に北畠家は敵となる者が周囲におりませぬからな」


 そうだね。尾張の武官たちとは長い付き合いになりつつあって、アタシの思惑も察して気心が知れている。


 そもそも北畠家の改革が停滞した一因には、尾張との同盟の影響で外圧となる勢力が消えたことがある。さらに司令やエルは優しいからね。時間と支援で変えていこうとしていたし、それでも上手くやったとは思う。


 ただ、亜相様はそれでは待ちきれないくらいに変わりたいと願いつつある。今少し急ぎたいならば、誰かが覚悟を示して変わらねば先がないと教えてやらなきゃ、道に迷ってしまうからね。


 亜相様の花押入りの書状と縁者の説得で大多数は従うだろう。あとは生きていけると示しても火事場泥棒をするような愚か者と、それでも従わない者を討つだけ。


「あんまり偉くなるもんじゃないね。堅苦しくて嫌になるよ。我が殿にも少し遠慮してほしいもんだ」


「ハハハ、内匠頭様もこれ以上の立身出世は困ると仰せになりますからなぁ」


 さてと、多少和んだことだし、昨夜の命令で従う村の接収を急ごうかね。アタシが立ち上がると皆の顔つきが変わる。


 後戻り出来ないのはアタシたちだって同じだからね。やるしかないんだ。


 血を流すのを極力減らして乱世を終わらせるにはね。




Side:奥山知忠


「慈悲か。その通りであろうな」


 軍議を終えてどっと疲れが出た気がした。


 御所様は昨日の下命で、以後は従わぬ者を許すおつもりなどなかったはずだ。それどころか動かぬ我ら家臣を捨てることすら考えておられた。


 今まで幾度も所領と家の在り方を皆で話しておられたが、多くの者は従うと言葉を濁しつつ変わることを先送りにしておった。


 斯波と織田が助けを惜しまぬこと、今のままでやれるのではという根拠のない目論見が家中にあったのが原因であろう。


 大御所様は蟹江に移られて以降、戻ることはほぼなくなられた。御所様もまた変わらぬ家臣は要らぬと示した。


 なんということはない。従わぬ家臣も僅かな所領もすでに要らぬと心からお考えなのだと思う。


 左様な御所様が、今一度書状を出すことを許されたのは、今巴殿が願い出た故にであろう。


 久遠の者こそまことに慈悲ある者。それは北畠家においてわしが一番理解しておる。関家を攻め落とした曙の方殿に軍議で異を唱えたのだからな。


 今思うと、あれは危うかった。織田と北畠の因縁になりかねなんだほどだ。されど曙の方殿は左様なわしを許したどころか、ろくな功も得られなんだことで責め立てる北畠家中から助けてくれたほどだ。


 故に思う。


「此度はわしが今巴殿を助けねば」


 武功にもならぬ此度のことで自ら動かれたのは他でもない。御所様と北畠家のことを考えてのことであろう。わし如きには詳細まで分からぬがな。


 恨まれるならば、我ら北畠家中の者が率先してやらねばならぬ。


 織田や久遠とて好き好んで新しきことをしておるわけではあるまい。いくら強く所領を広げたとて隙を見せれば奪われる故に、強くあり続けるために変わっておるのだ。


 譲位とその後の朝廷の動きで、それが明らかとなっておるからな。朝廷も畿内もこちらから奪うことしか考えておらぬ。譲位という日ノ本の根幹に関わる儀式の費用を出させておいて、東国を排除した。


 朝廷は南北朝の頃から変わっておらぬ。己らのことしか考えておらぬのだ。


 ひとまず愚か者どもをいかなる手を使っても従えねば。


 最後なのだ。我らにとってもな。





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