第1826話・親と子の模擬戦・その二

Side:柴田勝家


 奉行職を拝命してからというものの戦に出ることはないが、今も武芸の鍛練を怠ることはない。かつては共に田畑を耕し戦に出ていた家中の者も、今は槍やくわより筆を持つ日々を送っておる。


 無論、武士として戦を忘れる気もない。役目の合間に武官らに交じって新しき兵法を学ぶことをしておるが、武芸と兵法を主としておる者らには勝てぬと思う時すらある。


 口惜しく思うこともあるが、戦がすべてではない。家と国を守ることもな。


 かつては槍一本で新たな日々を生きようと覚悟を決めた。ところが、わしに農務総奉行をやらぬかという誘いがあった。それは武官ではなく文官となることを意味する。正直、戸惑うたのを今でも覚えておる。


 あとで聞いた話だが、この件は幾人かの候補がおったそうだ。その中で内匠頭殿の推挙があったわしに決めたと大殿が仰せになられておった。


 何故、わしを文官に推挙したのか? 幾度か内匠頭殿や奥方衆が領外に出る際に警護を務めたからかとも思うたが、結局それは今も聞けぬまま日々を送り、最早、聞かずともよいとすら思うておる。


 尾張からは争いが減り、若い者は村同士の小競り合いすら知らぬ者も出始めた。そんな折に皆が戦の備えとして注視したのが、この模擬戦とやらだ。


 武芸大会、思えばあれも争いのない国になったあとを考えてのものであろう。太平の国でも乱を忘れず武芸に励む。懸念が出る頃になると、ようやく皆が内匠頭殿らの見ておったものが見えてくるのだ。


 今では大殿と共に仏と等しく拝む者すらおるが、当人は我らと共に悩むこともあれば困ることもある。


 近頃では織田領ばかりではない。近江六角家から関東北条家まで見ておるのだ。特にわしの農務は飢えと戦う故、内匠頭殿が困ることが多い。日ノ本の外にある久遠領も決して豊かではなく、なにより関東から東は貧しく寒さも厳しい。


 なにかあると飢えて戦になると、数年前から頭を悩ませておる姿を幾度も見た。


 何故、内匠頭殿は日ノ本を豊かにしようとするのか。日ノ本が強く豊かになれば、内匠頭殿の国と富を奪おうとすることは明白であるというのに。


 いっそ内匠頭殿が王となり、日ノ本を統べたほうがよいのではないのか? 家中にはそんなことを囁く者すらおると漏れ伝わる。院や帝に思うところはないが、度重なる銭の無心と蔵人の所業に怒りを持つ者が増えたからであろう。


 もっともこれはひとつ間違うと謀叛と疑われかねぬ故、表立って口に出す者はおらぬがな。


 わしは一度だけ、問うたことがある。何故、そこまでするのかと。


 子や孫の世のため。日ノ本より広く広大な大陸に備えるため。そう言うておったな。


 はたして、それが内匠頭殿の本意かどうか。わしには分からぬ。されど理解はする。


 労咳であった妻は、一時は長く生きられぬとすら言われておった。それが今では信じられぬほど健やかとなり、嫡男を産んで以降、一男一女を授かった。


 ただ、その件はあまり口外してほしくないと頼まれた故、わしから口にすることはない。相応に知る者はおるが、薬師殿は祈禱きとうが良かったのだと言うて皆を煙に巻くほど。


 真意は分からぬが、受けた恩は果てしなく大きい。


「柴田権六、参る!」


 ああ、少し昔を思い出しておる隙に敵が迫っておる。


 皆、顔馴染みだ。共に悩み、共に苦しむこともあった。


 命を奪うことがない戦。なんと素晴らしきことか。これならば、今一度、わしも一介の武士に戻れる。


 家も明日も考えずとも良いのだ。好きに暴れて討たれても構わぬ。


 なんと、なんと面白きことか。


 さあ、参るぞ!!


 武士としての姿、確と見届けよ!!




Side:足利義輝


「ふふふ……」


 思わず笑うと、周囲が驚きオレを見るのが分かる。


「いや、皆楽しげだなと思うてな。戦のない国をつくる者たちとて、かように戦場で暴れたい時もあるか」


 迂闊であったな。今は菊丸ではなく将軍なのだ。ただ、それだけ戦う者らの喜びが分かるのだ。少しばかり尾張に馴染み過ぎたからであろうな。


「まことの戦であっても織田と槍を交えるのは難しきこと。雨あられと降り注ぐ矢や鉄砲や金色砲を越えて進まねばならぬ故、槍を交えただけで武功でございます。故にかような場で鍛練をしておるのでございましょう」


 北畠の大御所が皆に聞こえるように織田の力を語ると、若き古河公方が顔を青くしておるのが見える。


 先ほどの一馬とのやり取りを見ても分かるが、少しばかり世を知らなすぎるな。関東公方。あれもそろそろ終わらせることを考えねばならぬのだが。いかになるのやら。


 今まで幾度も武芸大会にて模擬戦を見たが、今日はもっとも策らしい策がない。乱戦というべきか? 本来の戦というべきか?


 弾正と尾張介は何故、この戦を初戦に選んだのであろうか?


 一馬らに習うておるからか、尾張者ははしたの者でさえ礼儀正しい者がおる。むやみに争うこともなく、そこらの坊主より己を律する。故にであろうか。時折勘違いする者もおる。


「虎が仏となった。されど、仏は虎以上に厳しきもの。斯波と織田だけは余も勝てる気がせぬわ」


 北信濃の国人衆や花火見物に来ておる寺社の者らも顔色がようないな。織田ならば乱暴狼藉をせぬと思うておるようだが、なんということはない。弾正や一馬らが抑えておるだけだからな。


 六角と北畠の者らは、さすがに慣れておるのか驚きはないな。両家はすでに尾張と戦をすることを考えておるまい。


 にしても、弾正と尾張介は楽しんでおらぬか? 織田の武を諸国に見せるつもりもあろうが、むしろ初めてこうして親子で争えることを楽しんでおるように見える。


 古河公方らなど、気にも留めておらぬのかもしれぬな。


 なんとも羨ましきことよ。面目だの権威だのと、戦の差配をするための鍛練であってもオレが模擬戦を差配することが許されぬのだ。


 鍛練も許されぬ身で征夷大将軍とは笑わせる。


「おおっ!」


 いずれが勝つかと皆が見ておる中、この場におる者らの声が響き渡った。


 初戦は弾正の勝ちか。互いに一進一退であったが、駆け引きに勝る熟練した者が多い弾正の軍勢が僅かな隙を突いて尾張介の本陣に攻め込むと、立て直させず押し切った。


 さて、古河公方らよ。分かるか? 民も武士も坊主も一体となり、喜びを分かつこの国の恐ろしさを。


 紛い物ではない。まことの神仏を相手にするようなものぞ。


 分からぬのならば……、関東公方は露と消えることになるのかもしれぬな。


 それも乱世の定めであろう。



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