第1823話・親と子

Side:久遠一馬


 熱田祭りと花火大会が終わった。ただ、武芸大会で行なっている模擬戦が急遽行われることになり支度をしている。


 まあ、これそんなに準備いることじゃないから負担はないんだけどね。


「へぇ。それはまた……」


 ただ、誰がどんな形でやるんだと疑問に思い信長さんに聞いてみたんだけど、予想外の答えが返ってきた。


「オレと親父ならいずれが勝ってもいいからな」


 対戦は信秀さんと信長さんが差配して行うことにしたようで、三戦して二勝したほうが勝ちということで調整しているみたい。


 今でも負けたら面目が立たないという人がいるからなぁ。もっとも、今回は本人たちがやりたかったのではとも思うけど。


「かず、そなたも出るなら考えるが……」


「いえ、私は見ているほうがいいです」


「であろうな。そう言うと思い、オレと親父にした」


 いや、せっかく面白い形にしたのに、オレが出ると家中のバランスとか力関係とか面倒になるだけだ。序列とか実際の力関係と違うし。尾張だとあんまり気にする人いなくなってきたけど。


「よいお考えかと。今後、大殿と若殿が戦を差配することが増えることはございませんので」


 信長さんがエルにどうだと言わんばかりに視線を向けると、エルも手放しで褒めた。実は、信長さんの戦の経験が少ないこと、地味に気になってはいたんだよね。


 史実では何度も出陣して経験を積んでいたけど、オレたちの影響で戦自体が減っている上、統治体制の違いで信秀さんや信長さんが出陣するのは総力戦くらいじゃないとありえなくなりつつあるからなぁ。


「平時に戦に備える。難しきことだ」


 それは理解する。織田家だと割と真剣にそのことを検討しているんだ。オレたちは史実の幕末維新などから歴史として知っているものの、他の皆さんも戦を知らない世代が増えつつあることで危機感がある。


 織田家において農民兵はどんどん減っている。尾張なんかだと武官と黒鍬隊、いわゆる賦役の者たちをそのまま兵として戦で使う形になっており、定期的に訓練しているので練度もそこまで落ちていないけど。


 ただし、技術的な優位性がなくなるとどうなるんだと考える人は年配者に多い。


 実はそういう経験を積む一環もあり、奥羽やウチの海外領に織田家から人材を一部派遣して試している。織田家としてはウチの海外領も守るという姿勢を示したいということもあるけど。


「太平の世が訪れても、いずれ乱れるかもしれない。それは仕方ないことでもあると思います。ただ、なるべく荒れないようにしたいですけど」


「我らの日々を伝えねば、太平の世が当たり前だと思う愚か者が増える。又助のしておることが織田にとって必要なことだな」


 記録して残すことによって過去を知り備える。これはこの時代だってあることだ。主に朝廷や寺社はしている。ただし、大半の武士は自分に都合がいいことを残しはしても、それ以外は要らないと考えちゃうからね。


 織田家では、評定の記録や各種情報を書面で残すことをすでに実行している。清洲、那古野、そしてウチの本領に同じ記録を保存しているくらいだ。ここらの件は図書寮の献策の際に、写本して分けて保存することを提案したことから派生した。


 まあ、オレたちとしてはウチの本領に残すことは驚きだったけど。義統さんや信秀さんの意思で決まったことだ。


 先の世を見越した試行錯誤は始まっている。


 気付いた人はその動きに焦っているけど、気付かない人も多いからなぁ。この格差をどうするのか。これは史実にはないことだけに難しい。




Side:足利義輝


 花火から数日、武芸大会であった模擬戦をするということでオレは今も清洲にいる。


 母上の様子は可もなく不可もなく。実のところ、オレもなにを考えておるか分からぬところがある。一馬のところと違い、母上に育てられたわけでもないのだ。母だと名乗る他人と言えなくもない。正直、そこまで情があるとは言えぬのだ。


 オレが一馬たちから学んで一番驚いたことのひとつだろう。親と子とは、かように心を許して共に笑い共に生きるものだとな。


 弾正など、とうの昔に武家の慣例を止めており、一馬に倣い子を育てておるほど。


「与一郎、宗入らはいかがしておる?」


「はっ、なんとかよき道の糸口を掴もうとしておりまするが、今の尾張は一筋縄ではいきませぬ故……」


 与一郎の顔つきはまあまあか。


 懸念はオレの臣下には公卿や畿内の武家に通じる者が多いことだ。特に近衛殿下の弟である宗入は先の上洛以降、悪化しつつある尾張との関わりを解きほぐすべく動いておるのは掴んでおるが。


「困ったものだ。あまりやり過ぎるならば、母上共々遠ざけることを考えねばならぬかもしれぬ」


「上様、御身はあまり動かれぬほうが……。尾張には内匠頭殿と大智殿がおります。半端なことをしては悪手を打つだけでございまする」


「分かっておる。だが、捨て置くことも出来ぬ。そなたは余の懸念を密かに漏らすのだ。それで察しよう」


 なんということはない。尾張を恐れるが故に大人しい者が多いのだ。オレの周囲にはな。今更、己の武威で世を従えようと思わぬが、おかしなことをするならば近衛であれ母上であれ許してはならぬ。


 されど、実の母すら懸念して目を離せぬとはな。足利が新たな世を築くなど夢のまた夢だ。


 オレの子にはかような思いをさせとうない。


 親と子が、なんの憂いもなく笑える。それだけでよいのだ。


 それだけでな。




◆◆

 永禄三年、六月。足利義輝は母である慶寿院と共に花火見物のために尾張に出向いている。


 『天文の行啓』と『永禄の御幸』以外での公式訪問は初めてとあって、尾張では行啓・御幸と等しく歓迎していたことが様々な記録として残っている。


 世間的に見ると、譲位を成した上で行啓・御幸と実現させた義輝の権勢は極まったと言ってもよく、この花火見物もまた余裕の表れだと見ていた資料が散見される。


 ただ、正室候補であった近衛家との関係悪化や安土御所の造営に関する動きがすでに始まっており、この尾張訪問は義輝と三国同盟の政治的な関係強化を狙った訪問でもあった。


 『足利将軍録・義輝記』によると、義輝はこの時期、母である慶寿院やその弟である久我晴通の動きに懸念を示していたことが記されている。


 実際、義輝と三国同盟の諸将は朝廷の立場と扱いについてこの頃から議論をしていたという資料もあり、朝廷と足利家の微妙な関係が同年の尊氏公二百回忌以後も続いていたことが明らかとなっている。



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