第1821話・尾張の花火

Side:久遠一馬


 太陽が西に傾くと熱田の町は一層賑わっていく。娯楽らしいものがないこの時代において、花火を唯一の楽しみだと言ってくれる人もいる。


 花火玉の費用は相変わらず高いんだけどね。現在は織田家が負担している。信秀さんからは安くしなくていいと言われており、それなりの値段で納めている。


 まあ、織田家とウチのお金のやり取り自体が多岐にわたるので、花火単体でお金を頂いているわけじゃないけどね。


 来賓など外部の人たちの様子は様々だ。どちらかというと政治と外交だからなぁ。素直に花火を楽しみに出来ない立場の人たちが多い。迎えるこちらも大変だけど、大国との外交と考えると彼らの気苦労も相当なんだろうね。


 尊氏公二百回忌からの流れで上手くいきそうなのは北信濃か。村上や高梨を筆頭に領地を維持したいという思いは強いだろうけど、目に見えるほどの力の差は実感しているはずだ。言い換えると現状以上の拡大はもう無理だということは理解してくれたと思う。


 経済物価の格差をある程度緩和してやる必要はあるけど、緩衝地帯の維持をなるべくしたいところだ。


 現状ではすでに長尾景虎であっても脅威とは言えないものの、関東管領である上杉と越後という国は面倒だというのは変わらない。


 困るのは北信濃が臣従を考えることだろうなぁ。


 幕臣に関しては概ね上手くいっている。ただし、宗入を名乗る久我晴通さんとは非公式な交渉をしている。彼は近衛稙家さんや慶寿院さんの弟であり、少しギクシャクしている公卿と尾張の関係改善を模索しているようだ。


 まあ、その交渉は外務の担当として義統さんが差配しているので、オレはほとんど関わっていないけどね。


「焼き鳥、美味しいね」


 オレは先ほどから、エル、ジュリア、ケティの三人とのんびりとお酒と料理で花火を待っている。


 お客さんがいることもあって、オレは大人くしているんだ。あんまり軽く見られる行動も良くないからね。


「うん、おいしい」


 きらりと目が光るケティの前には、何本もの食べ終わった竹串が積み重なっている。その食べっぷりに驚いている人もいるね。


 こういう料理、塩とか素材の味がそのまま出るから他国と比べてもひと味違うんだよね。噛むとじゅわっと染み出す肉の旨味と脂を、良質な塩がこれ以上ないというほど引き立てている。


 少し前から少量だけ生産して様子を見ているビールがよく合う。一般向けにはホップを使わない麦酒を売っているものの、試しにとホップを用いたビールも生産して家中の宴とかでは出しているんだ。


 今回は熱田神社の境内で花火見物をしていて、椅子とテーブルで見物してもらっているが席次はきちんと決めている。


 料理は義輝さんの要望で尾張料理となっていて、作法や料理の出し方もこちらのやり方でいいとのことだ。


 まあ、冷めた料理を食べたくなかったんだろう。夏場とはいえ焼き物や汁物は温かいほうが美味しいしね。


「このタコの酢の物もいいねぇ」


 ジュリアは早くもお酒が中心になっているな。花火がまだ上がってないこともあって、そこまで飲んでいないけど。


「エル、少し飲むか?」


「……はい」


 エルも今日は素直に楽しんでいるようだ。オレたちが動かなくても、みんながそれぞれの立場で働いてくれるからな。


 全体的な雰囲気は可もなく不可もなく。義輝さんがいるのでバカ騒ぎしている人はいない。肝心の義輝さんも今日は将軍としての振る舞いをしているから大人しいし。


 このまま静かに花火を楽しむのも悪くない。




Side:足利義氏


 同じ公方でありながら、こうも違うとはな。己の意思で諸将を従え天下を治める上様と、父上と氏康めがすべてを決めておるわしか。


 恥ずかしゅうてこの場におるのも嫌になるわ。


 父上は、わしではなく長子を跡継ぎとしたかったのであろう。理解はするが、それを成せぬのは己の力量不足でしかない。さっさと出家でもして大人しゅうしておればよいものを。


 苛立つ胸の内を抑えつつ周囲に目を向けると、久遠内匠頭の姿が見える。武士など信じるに値せぬが、あの男だけは余人を交えず話してみたい。


 今のわしと同じ頃には、自らの家を継ぎ尾張に来ておったとか。縁もない地にて己の力量のみでのし上がったのだ。しかも他者から奪わず拝まれるほどに感謝されつつな。


 問うてみたい。わしの有様や関東をいかに思うのかと。内匠頭がわしの立場ならばいかにするのかとな。


 実の父も家臣も守護も信じるに値せぬ。この世こそ地獄のように思うておったが……。何故、尾張はかように穏やかで争いもなくあるのだ?


「そろそろ花火が上がる頃でございます。あちらの空をご覧くだされ」


 すっかり日も暮れてかがり火と南蛮行燈なるものがかろうじて周囲を照らしておる最中、いよいよ花火となるか。


 織田は闇夜ですら止められませぬ。出入りの商人が左様な世迷言を言うておったのを思い出す。




 なにが……起きたのだ?


 唐突に空に花が咲いた。


 父上は持っておった盃を落とし、控えておった家臣らは天に轟く轟音に床几から落ちた者もおる。


 これが……花火だというのか? かようなことが出来るのか?


 大口を叩く者もこの花火の前にはひれ伏すしかあるまい。天に弓を射たとて己に戻ってくるだけ。


「御所様、いかがでございまするか?」


「ああ、なんとも珍しきものだな」


 そういえば、織田は以前小田原でも花火を上げたとか。氏康めは知っておったということか。


 戦場でかようなことをされたら戦にもならぬな。馬は暴れ、民は逃げ出すであろう。それ故、氏康は西との友誼を求めておるか。


 関東で愚か者が争っておる間に、尾張は変わりつつあるということか。なんとも羨ましき限りだ。


 いっそ父上を尾張に置いてゆけぬものか? いずれにしろ北条の血を引くわしが関東で生きるには、北条と共に生きるしかあるまい。上杉も反北条の者らも敵にしかならぬのだ。


 上杉と北条を争わせて己の地位を守らんとする父上は、わしにとっても邪魔になる。


 まあ、無理か。親を追放などしたら卑怯者の武田と同じになってしまう。なんとも難しきことよ。



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