第1769話・とある再会

Side:知子


「差配は警備兵か武官で。従わない者は討ち取ってもいい!」


 奥羽織田領にも春の訪れが見え始めた。ただ、大小様々な問題がある。武士、土豪、寺社。悪気の有無も不明なまま報告だけが上がってくる。どんなに厳命しても、勝手に元領地を私有化しているところがそれなりにある。


「借財を理由にされると、いささか面倒でございますな」


 尾張から新たにきた文官衆が渋い顔をした。悪質なところは借金を理由にして強引に村の田畑を取り上げてしまい、農民を小作人化することで、事実上の領地とするところまである。


 織田家としては税さえ納めれば問題ないと思ったのだろう。この時代の価値観で相応に動いた。こちらも借財を理由にされると、土地の所有は認めざるを得ない。


 でも甘いわね。今までにもそんなことをする人がいなかったわけではない。


「土地を取り上げられた民はこちらで使うから、人だけを集めなさい」


 奥羽衆、南部一族や浪岡殿らは、元領内から出ている反発や身勝手な行為の始末に動いている。一部には借財の帳消し、徳政令を期待する声もあるようで、それを狙っている人もいるのよね。


 文官・武官・警備兵の主な幹部たちとも相談して、断固たる処置をすることにする。


 徴兵権も徴税権もない土地を得た意味を教えてあげるわ。分国法には領民に移動の自由を与えているし、領民の動員は織田家の権利なのよ。


 土地への影響を残したいなら、地域に貢献する形で動けばいいのに。こちらの隙を突いたつもりだったとしたら甘いとしか言いようがない。


 たとえ村から人が消えても税は所有者に納めてもらう。今の時代は状況に問わず田畑に課された税は取り立てる時代だもの。なんの憚りもないわ。


「ちょうどよきことかもしれませぬ。勝手なことをする者が所有する土地に住まう民を、八戸や大浦など、食える地となるところに移してしまうべきでございます」


 やはり平野部の開発をするほうが優先度は高いのよね。奥羽衆の聞き取り調査と忍び衆や商人からの情報もある。史実の江戸時代の開発を参考に候補地を選定しましょうか。


 津軽南部でも従わない土豪を討ったというのに。まだ自分たちは害されないと思っている者が多い。武士も土豪も寺社も。末端なんてそんなものかもしれないけどね。


 守護様と大殿の下命もある。これ以上舐められるわけにはいかない。主立った勢力はこちらで従えた以上、徹底的にこちらとの力の差と己の立場を思い知らせてあげるわ。




Side:浅井久政


 正条植か。織田の地から広まり、今では近江でも真似ている田んぼがあるほどだ。稲を育ててから植え直すということで面倒だという声もあるようだが、塩水で籾殻を選ぶのと合わせると確実に収量が変わるという。


 田仕事から坊主の務めまで口を出す。織田らしいのであろうな。


 ただ、納得がいくところもある。織田は愚か者を信じてはおらぬのだ。自ら教え説くことはしてもな。愚か者が勝手なことをせぬような政をする。


「尾張は良き地でございますなぁ。皆で豊かになろうとは」


 家臣の顔ぶれも変わった。口うるさい者、立身出世を願う者はとうの昔に離れておりおらぬ。わしに失望して帰農した者もおったな。織田に敗れたのちに六角の御屋形様に許されたが、観音寺城下にて軟禁の日々だ。当然であろう。


 まさかわしが真に許されるなど、誰も思うておらなんだはずだ。


 わしの下を離れた者で立身出世した者はおらぬ。滝川や望月のように己の才覚で立身出世をと願う者もおったようだが、多少の功を挙げたとて、大きく立場が変わることなどない。


「己は幸次郎! 何故、かようなところにおる!!」


 農業試験村というたか。田仕事を学んでおると、後からやってきた、あまり身分の高そうではない男が声を荒らげた。この男、幸次郎と喧嘩でもしたか?


「これは誰かと思ったら、兄上でございませぬか。生きておったのでございますな」


 兄だと!? ああ、そうか。勝手に出奔してわしのところに居付き、そのままであったな。父上の頃の家臣ですら離れたあとも残ったので忘れておったわ。


「勝手ばかりしおって、わしは許しておらぬぞ!!」


 周囲には、同じくあちこちから学びにきた者がおるというのに声を荒らげるとは。あまり賢い兄ではないらしいな。とはいえわしが言えることではないか。実の妹に怒り、愚かな戦をしたのだ。この男と同類と言えよう。


 身なりからもあまり身分は高くない。織田家伊勢衆の配下であろう。兄とやらを従えておる男が顔を青くしてわしを見ておる。向こうもわしが誰か分からぬのであろう。さていかがするか。事を荒立てる気などないが、こちらには六角家の面目もある。


「六角家家臣浅井新九郎久政である。当家の家臣がいかがした?」


 兄とやらは名を幸太郎、伊勢関家の元家臣のようだ。名を聞いても知らぬがな。されど、わしが名乗ると軽んじるような顔になった。恐らく戦に大敗した愚か者と思うたのであろう。


「その男は下命に背き出奔した罪人だ。引き渡してもらおうか!」


「断る。罪人というなら然るべき筋を通せ」


 いずこの家にも愚か者はいるか。まるで己を見ておるようだわ。されど、あまりに身勝手な言い分だ。戦に大敗する愚かなわしならば、強く押せば引くと思うたか?


「はい、そこまで」


 明らかに不満げな奴が幸次郎とわしを睨むが、そこに割って入るような声がすると、周囲を囲むように見ておった者らも含めて静まり返る。


 声の主を理解した者から、前を空けて控えるように皆が頭を垂れる。


 まさかこの場に来ておられたのか。内匠頭殿が。


「浅井殿、幸次郎殿。家中の者が、まことに申し訳ございません」


 幸次郎の兄もまた同じく控えるが、内匠頭殿はその男をちらりと見たあと、なんの躊躇もなくわしらに頭を下げた。


 先方にも言い分はあろう。されど六角家は近江守護を預かる身だ。公の場で左様な愚かな態度を取られると、こちらとしても困る。いかに力の差が歴然とはいえ、守護代家である織田の家臣と六角家直臣のわしでは立場が違う。


 内匠頭殿は、それを察したのであろう。ただ、それを踏まえても、この御仁に頭を下げられると困るのだがな。


「お久しぶりでございまする。かような場で内匠頭殿と会えるとは思いませなんだ」


「ああ、ここはウチが代官を務めているんですよ。新しい知恵や技を試すために」


 これ以上、事を荒立てるわけにはいかぬ。出来うる限り穏やかに声を掛けると、こちらのことも察してくれたようで笑みをみせてくれた。


 公の立場だと困るが、織田相手に騒動など起こせば首がいくつ飛んでもおかしゅうない。左様なこと承知であろうな。


「難儀なことが多いようで。某は六角家家臣なれど、今はこちらで学ばせていただいておる身、家中の者のことならば某が責を負いまする」


 内匠頭殿はあまり望まぬかもしれぬが、形として、わしが責を負う姿勢を見せねばならぬ。万が一、この件が大事になった時に備えてな。


「それには及びません。この一件は私が預かりますが、浅井殿に責を負わせることなど致しません。実は私、伊勢関家とは少し縁がありましてね。かつて相応に処して許したこともあるんですよ。まさか己の因縁だけ許さぬと言わないでしょう。無論、管領代殿と浅井殿が許すかは後日返答を頂く形で構いません」


 控えておる兄の顔色がみるみる悪うなる。そうか、左様な話もあったな。関家の元家老が内匠頭殿の奥方を愚弄したことが、関家滅亡の理由であったな。とはいえ一族の者や臣下だった者は相応に許されておるか。


「それでいかがですか?」


「いっ……いっさい、しょ承知、致しました!」


「こちらとしても騒ぎを大きくして、斯波家、織田家との友誼にひびが入るなど望んでおりませぬ。この件は我が御屋形様には関わりなき、某の不徳が招いたこと。この場で遺恨なしということでお願い申し上げます」


 愚か者が震えておる姿に内匠頭殿は少し疲れた顔をした。この程度で怯えるくらいなら騒がねばよいものを。


 六角家と斯波家と織田家の関わりは難しいのだ。この場で収めねば面倒になったかもしれぬ。


 さほどよく知る御仁ではないがな。面倒にせぬためにはわしと内匠頭殿で話を合わせてこの場で終えねばならぬ。


「それは助かります。さすがは北近江にその人ありと言われたお方だ。ああ、このあと一緒に昼餉でもいかがですか?」


「それはよろしゅうございますな。是非、伺わせていただきまする」


 愚か者だが、相手の心情を察するくらいわしにも出来る。内匠頭殿と示し合わせる如く話を終えると、心底安堵したわ。




 




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