第1758話・解きほぐすべきもの

Side:寿桂尼


「お待たせしたか。申し訳ない」


 お忙しいのでしょう。少し急いで来られた小笠原大膳太夫長時殿に頭を下げます。


「いえ、こちらこそ、この度はぶしつけな頼みを聞いて頂き、ありがとうございます」


 時世の流れは早いものですね。少し前まで今川家は信濃を手中に収めんとしつつ、このお方を担ぐ名分で戦っていたというのに。立場も変わり、助けを得るべく頼みごとをしたのですから。


「鵜殿家のことは聞き及んでおる。誰かが間に入らねば、当人らも困ろう。奥羽は浅利家のこともある。特に武衛様は一族一門が争うことを嫌うからな。片付けるなら早いほうがよい」


 大膳太夫殿も以前聞いた世評とは変わられた様子。今や織田家において礼法指南で確かな地位となっておるだけに、過ぎたることを表に出さずに此度は今川家の助けとなってくださいました。


 此度、大膳太夫殿に仲介を頼み、鵜殿本家と分家の和解をすることにしたのです。


 鵜殿家。三河にある国人でございますが、織田と今川家の狭間で一族が割れてしまい、分家筋の者が本家である鵜殿長門守を追放してしまいました。かの者は私にとっても娘婿の子と言えます。要らぬ因縁になる前に分家筋と和解させねばならぬのです。


 今川家はもう斯波家と織田家と争わない。そう理解した駿河・遠江の者が慌てて織田の下で生きるべく動いている今だからこそ、双方この和解を望んでおりますれば。


「それは理解しております。されど大膳太夫殿とて、今川に思うところもございましょう。そのうえでお受けになっていただけたこと、感謝しかございません」


「さすがは今川家の尼御台と称されるお方だ。そこまで理解しつつ、わしに頼む。小笠原、今川、武田の婚姻もあるからな。そこを考えると、かような積み重ねがあったほうがよいとお考えになられたのであろう」


 思うた以上ですね。私の思惑も、よくご自身と織田の治世もよく見えておられる。戦よりも太平の世が合うお方ということでしょう。むしろ、公家にでも生まれるべきだったのかもしれませんね。


「そなたなら、久遠殿の奥方らにも劣らぬとみえる。因縁ある今川家が名目を保ったまま臣従するはずだ。案ぜずとも此度の件はわしに任せよ。国人衆にも見限られるほど戦下手だが、かような役目は何故か得意でな」


 織田の恐ろしきところでございますね。戦しか重んじぬ武士に多様な才を見出し、働き場を与えることで家臣として確固たるものにしてしまう。


「よろしくお願いいたします」


「本日は久遠流の茶席を用意した。これでも桔梗の方殿には幾度も習うておる身でな。本家も分家もない。因縁など及ばぬ遥か先を見せて驚かせてやるわ。愚かであったわしでさえ見えた光明だ。鵜殿家の者らも見えるであろう」


 大膳太夫殿の仲介により、鵜殿本家は今川家臣から織田の直臣となります。鵜殿分家を許す代わりに与力として本家の下に付ける。分家は先に織田に臣従しておりますが、あまり功らしい功もなくこの件を承諾したようです。


 与力ということで、織田家で面倒を見る代わりに、おかしなことをすると双方に累が及ぶ。これは大膳太夫殿が大殿らに話を通して頂いたことになります。


「では、参るか」


「はい、お願いいたします」


 心底安堵しますね。三河の始末で一番厄介なのが鵜殿家でしたから。




Side:久遠一馬


 子供がひとり増えただけでも賑やかさが一段と増すね。世話をする大人も大変だけど、そこはウチには人が多いから感謝だ。


 領内では駿河・遠江関連が騒がしいけど、六角と北畠の口座を持つ一件は順調だね。これは両家にとっても織田にとっても利益になることだ。両家はこれで領内の悪銭鐚銭を減らして良銭を手に入れられる。表向きは商いの支払いを円滑にするためということで済むしね。


 織田家としては、自前の仕組みに両家が加わることでより経済的に強くなる。無論、今は支援という意味合いが強いけど、大きな経済圏を円滑に運営するのは苦労どころじゃないからね。経済的にも豊かな近江と伊勢が味方としている意味は大きい。


 どっちかというと、織田家にとって畿内以西と関東奥州が、純粋な経済として見ると重荷だ。統一とか考えないなら、別の対策がいるレベルだと思う。


 貨幣価値も安定せず物価も不作などですぐに変わる。諸勢力は自分の領地と権威のことしか考えておらず、奪い合う。


 こちらが時代を超越した知識と人には使えない手段を使っていることもあるし、統一という目的があるから協力もするし日ノ本のことも考えているけどね。


「これも仕方のないことだけどねぇ」


 ああ、京の都では、上皇陛下が帝とふたりだけでお茶を楽しむことに対する批判が公家の一部にあるらしい。平たく言うと、オレたちの知らないところで動くなということだろう。


 とはいえ、上皇陛下を批判なんて出来るわけがない。矛先がどこに向かうのか。得体の知れない茶を教えたところに、つまりウチに向かうと。


「近衛公、広橋公らが火消しに躍起になっておるとか。他では言えませぬが、暇なのでございましょうな」


 報告は武衛陣からのものだ。下級公家を中心にそんな批判があるものの、公卿の皆さんが抑えにかかっているらしい。というか資清さん辛口だね? 思わずエルたちと顔を見合わせて笑ってしまった。


 うん。報告のまとめがその一言で終わってしまうよ。情勢や世の動きも知る立場にない人が限られた情報と理想を胸に騒ぐ。それだけのことだ。


「公にはならないだろうね」


 なったら面倒になる。上皇陛下は確実にお怒りになるし、義輝さん以下、足利政権も密接に協力している。ウチが日ノ本の外に領地があること。これの価値を幕臣が意外によく知っているし。


 ああ、朗報もある。暇な公家を義輝さんが使う件が正式に進むらしい。近衛さんからは非公式に献策を感謝するという書状が届いている。あれがエルの献策だと漏れているらしい。言いふらしてもいないものの、隠してもいないからね。


 実はメルティの策なんだけど。そこ知っているの義輝さんと与一郎さんくらいだしなぁ。


 いろいろあって、オレたちが京の都にいる公卿や公家を遠ざけるのではと心配していたようなんだ。


 義輝さんを支えるという形ではあるものの、オレたちが進めている動きに関与出来る価値を理解している。


 世の中が変わっても、都と朝廷だけおいていかれるなんて悪夢だろうしね。こっちからすると暇なら働いてくださいというだけなんだけど。


「そのうち、エルの策という噂だけで人が動くようになりそうだね」


「まあ、いいですよ。私の世評もいずれ使う時がくるかもしれませんから」


 冗談のように微笑んだ。これが出来るのが、エルの凄いところだろうなぁ。無論、オレたちもエルひとりに負担をかけるようなことは絶対しないけど。


 義輝さんの政権の権威と力が安定しちゃったんで、ほんと人手が足りないんだよね。細川派の幕臣とか流浪になる時に離れた幕臣とかが、呼んでほしそうにしているみたいだけど。義輝さんは未だに呼ぶ気がないようだし。


 特に晴元のところにいる幕臣は、いろんなルートで戻りたいと密かに頼んでいるんだよね。義輝さんの側近中の側近で、ここのところは与一郎さんとか、京極さんにまで嘆願が届いている。


 正直、彼らは別に晴元に忠義を誓って若狭まで同行したわけではく、血縁や家の都合、個人の立ち位置とかで晴元に近いと判断した義輝さんに見限られたことにより、行く当てがなく同行した連中なんだよね。


 オレは与一郎さんと京極さんから何度か相談されたから、彼らと義輝さんのところにいる幕臣に届いている嘆願はある程度知っているけど。


 そろそろ幕臣は許してもいいと思うんだけどねぇ。とはいえ義輝さんが細川京兆を警戒する気持ちも意味も理解している。細川京兆、畿内が敵になると思っているんだろう。


 ただまあ、みんなオレに相談するけどさ、幕政に口出しする立場じゃない。無論、相談した皆さんも理解していることだ。


 実際、権威が高まった今の義輝さんにこういうデリケートなこと言える人、オレとエルたちか塚原さんしかいないんだよね。


 ウチだと、相変わらずよく遊んでくれる人だと子供たちに大人気だし。義輝さん本人も楽しげに子守りをしつつ遊んであげているくらいだ。


 将軍様なんだけどなぁ。






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寿桂尼・今川義元の母親

与一郎・細川藤孝

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