第1736話・年末
Side:アーシャ
寮生活を送っている学徒たちが家に戻ると、学校は静けさに包まれているわ。蔵や書庫は鍵を掛けており、敷地内は警備兵が巡回するくらい。
私がいる教員の間もまた、いつもいる教師陣がいないことで静かね。
「おや、まだおられましたか。年の瀬でございまする。お休みくださりませ」
一年間の運営日誌をまとめていると、姿を見せた沢彦殿に驚かれたわ。本当は昨日までに終わらせる予定だったのだけど、間に合わなかったの。
「ええ、もう少しで終わりだから」
「これがあれば、我らの手を離れても学校は残ることになりましょうな」
内容は沢彦殿も承知のことよ。学校運営に関する記録。記す内容は教師による評定で決めていることもあり、前年までの運営日誌なんかは教師陣なら見たことがあるはずよ。
今いる教師陣は、日頃から教育というものを真剣に考えてくれている。
ごく一部には宗教的な価値観や教育をしないという方針や、身分に問わず教育をするという方針が合わずに教師を辞めた者もいる。
無論、私たちも強制はしていない。志がある者たちが集まり運営しているわ。
学校ももうすぐ十年。当初とは課題や問題も変化しつつある。最初の頃に教えていた子たちは立派になって働いているわ。今でも役目や仕事の合間に学びたいと学校に来てくれる。それがなにより嬉しいことでもある。
「そうね。いつ私たちの手を離れてもいいようにと、考えているわ」
充実した日々だった。これからも許される限り、教育に携わりたい。ただ、同時にいつ私たちがいなくなっても、残る教師陣や学徒、卒業生たちが学校を盛り立てて続けていってほしい。その願いはずっと持っているわ。
その基礎くらいは残せていると思っている。
沢彦殿も手伝ってくれたので今年最後の仕事もすぐに終わった。
帰りましょう。私の家に。多くの子供たちと仲間が待つ孤児院に。
Side:ケティ
年の瀬でも病院は忙しい。
領内の各地から集まる患者は絶えることがない。中には各地の医師から珍しい病や症例となる患者が搬送されることもある。無論、第三者へ感染する危険性を確かめることなど条件もあるけど。
救える命もあるけど、救えない命も多い。医学は確実に進歩しているけど、それでもまだ医学という道が生まれたばかりと言える。
「あ~う~」
先日、病院で生まれた子の様子を見にくると、ご機嫌な様子で手足をバタバタさせていた。母体である妊婦の様子がおかしいと緊急搬送されてきた子だ。幸いにして母子共に助けることが出来て入院している。
「体はどう?」
「はい、もう働けそうなほどでございます」
うん。顔色もいい。ただ、働けそうだというのは言い過ぎだろう。私たちでなければ母子共に危うかったふたりだ。
「退院はまだ先。年越しはここでしてもらう。寂しいだろうけど我慢してほしい」
実は静養出来るなら退院もあり得る。ただ、相応の身分にならないと退院して静養というのも難しい。そういう意味で入院をしている人たちもいる。
「あとはお願い」
「はい! お任せくださいませ!」
看護師も人が増えた。孤児院出身の女の子や、後家さんなど働く女性も多い。年末年始のローテーションを組んで働いてくれる。赤ちゃんにもバイバイをして仕事に戻ろう。
今年もあと少しだ。
Side:久遠一馬
忙しい年の瀬も残りわずかだ。今年の仕事もすでに終わらせたし、大掃除も終わった。
すでに菊丸さんも観音寺城に戻っている。年越しは将軍義輝として観音寺城で迎える。これがここ数年の形だからね。
ウチでは、エルたちはおせち料理作りや、年越しの宴に出す料理の仕込みとかしているけど、オレは帰ってくるのが遅くなった猶子の子たちを出迎えるくらいだ。
みんな、お土産とか買ってきてくれるんだ。それがなんか嬉しい。尾張と近隣だと領民が故郷に戻る時にちょっとした土産を持ち帰ることから、習慣になりつつあるのかもしれない。
各地の妻たちが尾張に集まるこの時期は、ウチが一番賑やかになる頃だ。オレも嬉しいが、子供たちはもっと嬉しいらしい。朝から晩まではしゃいでばかりで、疲れて眠ることの繰り返しだ。
「くしゃい!」
「くさいのにおいしい……?」
「うーん。匂いがきついけど美味しいね」
珍しい品が土産にあった。それは昨年末まで、かおりさんが手がけていた伊豆諸島の新商品クサヤだ。
独特の匂いに子供たちが騒ぐけど、エルたちが箸でほぐして食べさせてあげると美味しいと驚く。若干戸惑うような子供たちの表情がレアでいい。
味もなかなかだなぁ。
「いいね。酒の肴にぴったりだよ」
年の瀬ということもあり、のんびりと酒盛りをしているジュリアたちにはちょうどいいお土産だったらしい。
「信濃にも欲しいわ。やはり海の魚は喜ばれるのよ」
ヒルザが欲しがっているので、年明けにでも信濃に送るように手配するか。クサヤは発酵食品だから栄養価もあるんだよね。これでまたひとつ、伊豆諸島の名産品が生まれた。
「かおりさん、お疲れ様だったね」
「いえ、完成させてここまでの味にしたのは働いている皆ですから」
クサヤの生みの親であるかおりさんだが、昨年末からは産休と出産で、ずっと子供たちと一緒だったからか、子供たちの世話に慣れたようで騒ぐ子供たちが怪我とかしないように見守っている。
彼女はギャラクシー・オブ・プラネット時代、そこまでいろいろな経験をしていないけど、この世界に来てからは醤油製造の指導をしたり、今回のクサヤ製造の指導をしたりと頑張ってくれているんだ。
こういう地道で細かい技術の指導と普及も必要なんだよね。
「クーン」
そういや、ロボ一家。クサヤの匂い。駄目かなと思ったけど、平気らしいね。ロボとブランカはオレの近くで気にせずくつろいでいるし、他の子たちは子供たちと一緒に遊んでいる。
一部の子は食べたいのか興味津々な様子だけど、犬にクサヤは塩分過多で駄目だ。仕方ないのでなにかべつのおやつでもあげたほうがいいだろう。
賑やかだなぁ。毎年どんどん賑やかになる。元の世界だといつもと変わらない年末だったんだけど。こういうのに慣れたら、寂しく感じるんだろうな。
こんな日々がずっとつづいてほしい。
それだけは願ってしまうね。
◆◆
クサヤ。
伊豆諸島名物であるクサヤが初めて記録に出てくるのは、『久遠家記』になる。永禄二年十二月。伊豆諸島より土産として一馬の下にもたらされたものだった。
製造に関しては久遠かおりが伊豆諸島神津島に伝えたと記録にあり、伊豆諸島で捕れる魚介の活用と保存法などを考慮して作ったようである。
もともと久遠は出身である久遠諸島も小さな諸島であったことから、この手のノウハウがあったと思われ、また発酵食品に関してもすでに多様な製造法を知っていたことで、この件もその技術や知識を用いて生み出したものだと思われる。
保存性もさることながら栄養価もあったことで、伊豆諸島のクサヤは織田領に広まり貴重な食料として重宝された。
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