第1632話・一馬たちのお仕事

Side:久遠一馬


 帰蝶さんが男の子を産んだ。おかげで尾張はオレの子供たちに続いた慶事だと大賑わいだ。


 信長さん、側室も何人かいるんだけどね。子供は吉法師君だけだったから。織田家中でもこれで安泰だという声が聞かれる。


 お市ちゃんが慣れた様子で、ケティたちと一緒に働いていたと信長さんが言っていた。実際、お産に立ち会うことも多いからね。周囲の人を安心させるように気配りも出来る。


 彼女の姿に、新しい時代を感じる人も多いという話も聞いたことがある。礼儀作法などこの時代の常識も学びつつあり、ウチの知識や常識も学びつつある。確かに新時代の子供と言えるだろうね。


 あと、当然ながらウチの時と同じくお祝いとしてお酒とお菓子を振る舞っている。公金だと思うと少しどうかと思うところもあるけど、領民からもお祝いが山のように届くんだよね。それを思うと決して無駄じゃないし、今のところ止めるのは難しいだろう。


 経済云々ではなく、尾張という国がひとつになる祭りと思うと今のところはメリットが大きい。


「殿、麦の収量について、柴田殿から意見が聞きたいということでございますが……」


 お祝いの使者の応対で忙しい信長さんだが、家督継承を前提として仕事を増やしていたので、代わりを家老衆や総奉行衆でカバーしている。今の織田家の差配を出来る人は多くないんだ。信秀さんが出てこなくても回る体制をつくるためにも、ここは家臣一同で頑張っている。


 当然、忙しくなるのはオレたちだ。勝家さん、農務総奉行からの相談事か。


「ああ、こんなにあるのか。良かったぁ。備蓄に回す分は先に確保しましょう。メルティ、概算で量を計算してくれる?」


「ええ、任せて」


 麦の収量はまずまずだ。今日はエル、メルティ、セレスがいるので、四人でみんなのフォローをしている。


 大麦は麦酒や水飴にもするけど、主食や味噌にもなるし馬の餌にもなる。小麦は粉料理が広まったことで主食として人気だし。安いけど領地も広がっているので備蓄用の麦は最優先で確保しないと。税として納めてもらう分だけで足りないなら市場から買い足す必要があるなぁ。


「信濃はどうだっけ?」


「蕎麦・粟・稗の作付けは大幅に増えています。係争地や耕作放棄地も多かったので」


 ふと信濃の作付け状況を尋ねると、セレスがすぐに教えてくれた。


 作物に関しては複数の種類を植えてリスク分散しておかないと、病害虫とか天災や天候不順で全滅だってあり得るからなぁ。新しい試みもしているけど、作付面積でいえば既存の作物が圧倒的に多い。


「殿、信濃村上領との商いの報告が届いてございます」


 ああ、次は商務総奉行としての仕事か。商いは増えて活発になっているね。格差は依然としてあるもののすぐに争いになることは避けられた形だ。商いは公儀がバックアップして生産から販売まで円滑に進むようにしているから商いが競合した日本海側の商人が割を食っているのは気の毒だとは思うけど。


 とはいえやらないと争いになるか飢えるか。二者択一だしなぁ。そういや村上さんからはオレにもお礼の文が届いている。もらったのは去年だけどね。


 信濃での配慮に感謝するというものだ。ウルザが村上さんの面目を潰さないようにしたことに対する返礼だろう。


「越後がいかに出るか……。まあ、しばらくは大丈夫だろうけど」


 懸念は越後だけどね。ウチはすでに日本海航路を事実上制している。昆布や鮭など蝦夷の産物の段階的な値上げを通告しているものの、新しい産物の販売も通告しているので当面はこちらと争うとは思えないけど。念のため警戒が必要な相手だ。


 ちなみに越後とは青苧を中心にした商いもしている。向こうが買うのはお酒とか多いけど。


 尾張において麻の生産は、試験栽培を経て、牧場と知多半島の一部で今も続けている。ただし、需要を満たすほどの栽培は見送った経緯がある。土地は有限だ。西三河や長島などでは綿花を大々的に栽培したものの、麻よりは食料の生産などを優先している。


 結果として越後の青苧を買っているんだ。まあ、これには商いの不均衡をあまり増やさないようにしようという配慮もあるけど。


 畿内もそうだけど、買うものを完全になくすと争いになるだけなんだよね。畿内からだと素麺や抹茶、みかんとかも買う。あと織物や陶器も割と入ってくる。尾張でも生産していて技術的に上達しているものの、先進地であった畿内に一日の長があるのも事実だ。


 まあ、畿内にとっても、多少安くなっても良銭が多い尾張で売ったほうが儲かるという事情もあるだろうけどね。


「織田の政にも苦労はあるか。いや、我らにない苦労も多いということか」


 ああ、ついさっきから六角家使節団の皆さんが統治の勉強として見学している。見られながら仕事をするのは少し気恥ずかしいね。


 清洲城だと椅子と机が普通にあるので、オレたちの仕事をする部屋には大きな机と書類の山があるんだ。それを見て皆さん驚いている。


「今日は仕事が特に多いだけですよ。若殿がおりませんので」


 部屋にはオレとエルたちに、資清さん、望月さん、太田さん、一益さんたちを筆頭に家臣や侍女さんたちが何人もいて、部屋の様子だけで見ると戦国時代というより時代劇にオフィスを作ったような部屋だけどね。


 このあたりは、みんな好きなようにレイアウトして仕事をしている。ウチは効率第一だから、オレもみんなと一緒の部屋で仕事をしているけどね。


 六角家の皆さんの顔色が少し悪い。確かにウチが尾張の中核のひとつであることは確かだしね。のんびり仕事をしていると終わらなくなる。


 正直、観音寺城の仕事も相当大変だと思う。あちらは権威やら長年の慣例もあって効率化もそう簡単に出来ないだろうしね。


 おっと仕事の続きをしないと。


「殿、この件はいかがされまするか?」


 あー、また投資の嘆願書かぁ。一揆で廃寺にした三河の寺の再建? 申し訳ないが却下だね。やるなら自分のお金でしてください。


 以前には本證寺の再建なんて話をしている人もいたけど、跡地はもう石碑と周囲を公園にした以外は畑にしちゃったし。三河の一向宗は願証寺が仕切っていて今更要らない。


 一部には、願証寺が三河を仕切るのを面白くないと考えている三河一向宗の関係者がいるんだよね。喉元過ぎれば熱さを忘れるというわけじゃないけど、本證寺を再建して自分たちでやりたいとか考えている人がまだ僅かにいるんだ。


 織田に逆らうことはもう考えていないものの、寺社の内部でも当然ながらいろいろとある。ほんとオレが宗教を好きになれない一因だね。




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