第1624話・久政と一馬

Side:浅井久政


 ここが久遠殿の屋敷か。噂ほど変わったものはないように見えるな。贅を尽くした暮らしをしておるという噂もあれば、質素倹約に励んでおるという噂もある。人の噂など信じておらぬが、一見しただけでは後者と言えような。


「挨拶以外でお話しするのは初めてですね。久遠一馬です。本日はわざわざお越しいただきありがとうございます」


 幾度か顔を見たことはある。先日には歓迎の宴にて挨拶だけはしたものの、それだけだ。


 わしを愚か者と軽んじても驚かぬ。いや、かつてのわしがこの者の立場ならば、そうしたであろうな。それなりの家を継いだのであろうが、見知らぬ地である日ノ本に来て数年で成り上がったことは当人の力量以外のなにものでもあるまい。


 己の愚かさを見せつけられるようで胸の奥が僅かにざわめく。


「礼を言わねばならぬのはこちらの方。先の戦の始末から今日の件まで、幾度もご配慮頂きありがとうございまする」


 まあ、わしの恥などいかようでもいいことか。礼を言わねばならぬ立場だ。


「いかに身分や力があれど、己ひとりではままならぬもの。過ぎたことは良いではありませんか」


 本心か配慮か。ともあれ、この男の一言で天下が動くと囁く者もおるとか。六角の御屋形様を筆頭に宿老らが慌てふためくほどの男には見えぬな。


「そなた、内匠頭殿をいかに見た?」


 しばし休むことになり、あてがわれた客間にて供として来ておる幸次郎に問うてみた。他の家臣らでは分かり切った返答しか言わぬからな。


「さあて、分かりませぬな」


「面白うないの。そなたらしくもない」


「見ただけで相手の心根を見抜くなど、某には無理なこと。ただ、そこらの坊主よりは信じるに値するお方であるとはお見受けいたしまするな」


 この荒れた世で信じるに値するか。正気とは思えぬな。とはいえ、それが真理か? 何故か知らぬが、御屋形様も宿老らも尾張を信じておる。根底にあるのはあの男への信か?


「我ながら恐ろしいところと戦をしたものよ」


 蒲生殿からはくれぐれも無礼のないようにと言われておる。久遠家を相手に騒ぎを起こせば、さすがに庇い切れぬ相手ということだ。今川と武田が、あの男の面目を潰した者が領内におったことで慌てておったという話を教えてくれた。


 まあ、よい。斎藤家との因縁などわしにとっても迷惑でしかない。さっさと終わらせてしまえばいいのだ。




Side:久遠一馬


「面倒なことを頼んでしまい、すまぬの」


「いえ、構いませんよ。騒ぎになる前に片付ける。こういう仕事は、こちらとしても喜んでお引き受けします」


 義龍さんと共に道三さんも美濃から来ている。あの時の斎藤家当主は道三さんだったからね。


「浅井殿はいかがであった?」


「因縁にしたくないのは同じかと。意地を張って騒ぐとは思えませんね」


 道三さんが少し気にしているのは久政さんのことか。確かにおかしなことをすると、六角と織田の関係にも関わる可能性があるんだよなぁ。まあ、今回に限ってはその可能性はないと思うけど。


 あとは水に流す形がいるんだよね。ここまでしたから水に流すと言える。周りに対する言い訳、体裁。どういう言い方をしてもいいけど、形式が必要だ。


 双方と個別に挨拶を済ませると食事会にする。


 メンバーとしては近江の方はいない。現状では家と家の問題であり、常識として個人のことは二の次だからなぁ。まあ、様子を見て別に会う機会を設けようと思っているけど。


 これが織田家中同士だと一緒にしちゃうんだけどね。浅井家は尾張の流儀に慣れていないので一般的な形にしたんだ。


 正直言うと、宴までしなくても双方を会わせて遺恨なしと認めるとそれでいいんだけどね。エルたちや資清さんと相談して宴という形にしてある。


「遠慮なくお召し上がりください」


 双方とも少し表情が固い。場の空気が悪いというほどじゃないけど、和むきっかけもないんだ。


 とりあえず飲ませちゃうほうがいいよね。共に同席している資清さんと望月さんと一緒に双方に声を掛けつつお酒を注いでいく。


 料理は鯛の塩焼きをメインに、鰻のかば焼き、鮮魚のお刺身、ジャガイモこと馬鈴薯の煮っころがしや、山菜を使った料理が並ぶ。汁物は和風カレーのスープだね。


「先の件は済まぬと思うておる」


 料理に箸を付けて浅井家側の人の顔色が変わった頃、道三さんが口を開いた。斎藤家側は皆さんウチの料理を食べたことがあるからなぁ。驚きは浅井家側が大きいようだ。


「新九郎殿が未だに正室を変えておらぬことで、斎藤家の覚悟は十分に理解しておる」


「下野守殿……」


「血縁を結んだところで勝手もすれば裏切りもする。左様な世で一度婚礼を挙げた者を信じて守る。それもまた良かろう。妹にしても、左様な覚悟を見せる新九郎殿と、尾張と上手くやろうとしておる斎藤家を見れば残りたいと思うのが当然だ。家中すらまとめられず、勝てぬ戦に出ていく愚かな兄などよりは余程良いと思うはず」


 淡々と会話が進むけど、少し自虐的な言い回しの久政さんに義龍さんがなんとも言えない顔をしている。


「某も織田と戦をするべきだと思うておりました。されど、父を憎む家中の者らと、斯波家と織田家にも見限られた御方を見て駄目だと諦めたまで。あまり変わりはないとお見受けする」


「土岐家か。あれはそうであろう。山城守殿が追放した者らのせいで散々な目にあったわ。織田を退かせたなどと戯言を言いおって」


 義龍さん、基本的にいい人なんだろう。義兄である久政さんをフォローするように声をかけた。ただ、そんな義龍さんの言葉に久政さんはさらに愚痴ともとれることを口にした。仕方ないなぁ。もう少し打ち解けられるようにしようか。


「引き分けたのは事実でございますよ。もっとも、あの戦はこちらとしては試すべきことを試したため、本気ではなかったとも言えますが」


「……それはまことか?」


「ええ。戦の新しい形を模索している最中のことでした。大殿や若殿がおらぬ戦で、いずこまで国人や家臣が命に従って動くかを試しました。結果として大殿の古参の家臣と僅かな美濃国人が勝手な振る舞いをしてしまい、和睦で収めたというところですね」


 腹を割って話すならオレからするべきだ。ただ、オレの暴露に道三さん以外の者たちが驚いた顔をした。道三さんはその後の処分から察していたんだろうね。義龍さんでさえも驚いているくらいだ。


「浅井殿の戦。あれも国人や美濃から追放した者が勝手をしておりましたね。私はああいう形での戦を一番恐れていましたので」


 まあ、久政さん自身が面目のために戦をしようとしたのも事実だ。とはいえ状況をことごとく悪化させたのは国人衆や土岐家旧臣だ。そういう意味では同情の余地もある。


「先に手を打っておられたのか。わしなどあの場になるまで考えもせなんだというのに」


「内匠頭殿は我らとは格が違う御仁じゃ。尾張においても同じことを出来る者はおらぬ。されどな。我ら愚か者には愚か者の生きる道がある。不忠者と言われたわしですら、新たな生きる道があったのだ。浅井殿とてまだまだこれからであろう」


 なんか場の空気が少ししんみりとしている。ただ、道三さんもまた話を繋げてくれたおかげで少しだけど打ち解けている気がする。


 このままわだかまりを吐き出してもらった方がいい気もする。形ばかりの遺恨なしにしてもいずれ問題になりそうだし。




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