第1619話・積み重ねの今

Side:浪岡具統


「武勇ではなく知恵と学問。それで恐ろしいと思うたのは初めてのことよ」


 金色砲と鉄砲と焙烙玉か。我らでは手に入れることも出来ぬか、数を揃えられぬもので戦を勝つだけならば銭があれば出来るやもしれぬ。されど、織田はその先を行くわ。


「うふふ、浪岡殿がいて助かったわ。政を理解もしていない武辺者ばかりだと困るのよね」


 恐ろしいと口にしたのに笑みを以って返される。これもまた真似出来ぬことよ。


「僅かな意地を理解しつつ諭してやるのも上に立つ者の務め。蹴散らしたほうが早いとは思うがの」


「後始末とその後が大変なのよね。蹴散らすと。搾り取るだけじゃないから」


 臣下に収まるのだ。口の利き方から気を付けるべきであろうが、あまり体裁や形式を重んじぬのはすぐに分かった。故にわしも無礼にならぬ程度に楽にしておる。いかがするかと思うたが、さらに重用されたわ。


「高水寺の斯波とも繋ぎを取っておられるのであろう? 最早、降る以外にあるまい」


「ええ、いずこまで理解しているか分からないけどね。相応以上に義理は通しているわ」


 ならば南部の残党と示し合わせての蜂起はないな。名門とは厄介なものだ。義理を尽くされると相応に返さねばならぬからの。


「浪岡殿も、本来ならば早々に尾張に行ってもらうべきなのよね」


「南部が落ち着いてからで構わぬ」


 伊勢に出した使者や大浦殿から聞いた話もある。臣従の挨拶をする前に働いておくべきであろう。斯波と織田と同列に扱われる久遠家の奥方。顔を売り、働きを示す相手として不足などない。


「本当に助かるわ。ああ、いい酒が届いたの。今夜にでも皆で少し飲みましょうか」


「それはよいの」


 東の果てで燻る身がいかほどまで通じるのか。分からぬ。されど、変わらぬ日々よりいささか面白きことになったと思うところもある。


 あいにくと戦で天下に挑めると思うほど愚かではない。されど、己の知恵と才を試してみたいと思うたことはあるのだ。


 これもひとつの戦と思うと、悪うないの。




Side:浅井久政


「浅井殿か。過ぎたることはあまり気にされるな。あの戦は誰が差配しても勝てぬ。三河や伊勢でも戦はあったが、戦と言えるほど戦えなんだ者すらおる。若殿が初めて大掛かりな兵を率いたあの戦は別格だからな。内匠頭殿が自ら動いたことも大きかった」


 尾張に来て数日、歓迎の宴などを経て、織田の政を学ぶこととなったが。意外なことに織田であざ笑われることはなかった。


 伊勢では久遠殿の奥方を愚弄した関家が籠城も出来ず敗れ、三河では金色砲により近寄ることも出来ずに敗走したという。運がなかった。そう語る佐久間大学殿の言葉に偽りはないと見える。


「時勢の見えぬ愚か者であったことは事実でございまする」


「そう言われるな。時勢が見えておるのは守護様や大殿や若殿を筆頭に、ごくわずかな者のみ。わしとて時勢など見えぬわ。仕えた主が良かっただけのことよ」


 織田の家老という立場にありながら愚か者に気を使うのか? 少し驚かされるわ。


「まあ、よい。浅井殿も政を理解すると分かるであろう。各々の忠義や力量に頼らぬ政をする。それが織田の大元となる考え方だ」


 共に近江から参った者らと一から教わる。


 驚きどころではないな。領地を召し上げておるとは聞いておったし、政も噂程度には聞き及んでおる。されど、当人から聞くとまったく違うものだと理解せざるを得ぬ。


 武士も寺社も民も、皆で国を盛り立ててゆくなど世迷言と思うておったが、それをまことのこととして実現するとは。神仏という体裁のある寺社ですら叶わぬことをしておるというのか?


「先ほど名を出したがな。内匠頭殿の恐ろしきところは、己がおらぬようになっても困らぬようにと考えておるところよ。名を残した多くの先人たちは偉大だが、かの者らが亡くなると必ずと言うていいほど世が乱れる。我らは左様なことのないように、今から備えておるのだ」


 まるで坊主の説法でも聞いておるかのような気分だ。あまりに綺麗事ばかり故に、一笑に付してしまいそうになるほどだ。


 されど、それが事実である証を大学殿はひとつひとつ挙げて話していく。


「田んぼにしても変わった。内匠頭殿らが来る前と比べて五割は確実に収量が増えており、多いところではさらに収量が増えておる。あと近頃は近江でも作るようになった大根もあろう。あれも元はそこらにあったものを久遠家の者が見つけて、増やすやり方を見つけ広めておるのだ」


 顔が青い者もおるな。戦ばかりではなく、領地を召し上げる話ばかり伝わるが、その実はまったく違うのだ。無理もない。


 考えてもみれば当然か。民を飢えさせぬようにすると考える者はそれなりにおるが、米の収穫を五割も増やすなど尋常ではない。


 こちらが変わらぬままにあるというのに。隣国は戦もせずに富んでいく。これを恐ろしきことと考えられぬ愚か者はこの場におるまい。


「近江でも北近江三郡と甲賀では、新しい政と田畑の作付けを試しておるはず。今後は六角家においてもあれを全域に広めたいのであろう。その手助けを我らはするつもりだ」


 何故、隣国に手を貸す。血縁があり同盟を結ぼうとも戦になるのが今の世だ。隣国が力を付けていいことなどあるまいに。


 尾張の真意はいずこにあるのだ?




Side:久遠一馬


「おっ、起きていたか。どれどれご機嫌はいかがかな?」


 子供が生まれると菓子と酒を振る舞うことをしているので、今回もしている。また来客と祝いの使者を迎えることもね。


 人が途切れた合間に赤ちゃんに会いに来ると起きていたので抱き上げる。赤ちゃんを抱きかかえるのも慣れたな。うん。可愛い赤ちゃんだ。お清ちゃん似かな?


「ちーち! だっこ!」


 ふふふ、ひとりを抱っこするとみんながせがむんだよね。これも嬉しいんだよ。求められるうちが花だと思うしね。


「さあ、みんな抱っこしてあげるぞ」


 うん。一益さんとか家臣の子供たちも一緒にいるので抱っこしてあげるんだ。父親じゃないと理解している子もいるけど、オレはなるべくみんなに愛情を注ぐようにしている。


「かじゅま!」


 ああ、吉法師君も待っている。彼も彼の近習である吉二君もちろん抱っこしてあげる。お城では織田の世子ということでみんなに頭を下げられるからね。ウチにいる時くらいはひとりの子供でいてほしい。


「殿、そろそろ……」


 みんなとスキンシップを終える頃になると、資清さんが声を掛ける。資清さんも子供たちに囲まれて身動き取れなかったんだよね。ただ、オレには仕事もある。区切りがつくのを待っていたみたい。


「さて、仕事だ。みんないい子にしているんだぞ」


「はーい!」


 うん、いい返事だね。こういう躾もきちんとしてくれている。周りのみんなに感謝だ。




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