第1618話・資清の涙

Side:南部晴政


 降伏したことに間違いはなかった。織田はまだまだ余力があったのだ。


 わしはあちこちからくる使者や書状の応対で忙しい。中には今になって挙兵に従うという者もおるが、遅すぎるわ。


 温情は過分にあった。未だ状況を理解しておらぬ者らを、説き伏せることまで許されるとは思わなんだ。


「せめて一戦交えて敗れることが出来れば、皆も納得したのであろうがな」


「致し方ありませぬ。御家は、これまでの武士とは違うことをしておりまする故にな」


 神戸殿か。聞けば、かの者の所領も苦労をしたという。隣国の尾張が豊かになり、隣接する北伊勢では尾張に民が逃げ出したとか。最後には一揆まで起きたものの、北畠家が動いたことで助かり、北畠と織田の橋渡しをするべく織田に降ったとは。


「西が違うことは存じておった。されど、蝦夷から来るとはな」


「西と一言で言われると困りまするな。伊勢尾張においても、久遠殿は別格でございまする。公方様の信もあり、帝や院でさえも頼りにされておられるという噂すらございます。意地だけで争うてよい相手ではございませぬ。当人は穏やかで配慮を欠かさぬ御仁でございますがな」


 相手が悪かった。神戸殿が控え目にそういうと家臣らも致し方ないという顔をした。戦に強く配慮もする。これでは従う他にない。


 さて、難儀なのは九戸らか。このまま降るかどうか。先の大崩れの場におったのだ。愚かな蜂起はするまいが。未だ動いておらぬが高水寺の斯波もおるのだ。少なくともあそこがこちらの味方をすることはあるまい。


「奥羽はいかがなるのやら」


「食えるように変えていく。それは確かでございまするな。我らはすでに尾張・伊勢・美濃・三河などでそれを成しております。新たに加わった甲斐・信濃などでも新しき試みをしておりますれば」


 世迷言ではあるまいか? 我らとて座しておったわけではない。寒さも厳しく貧しい地なのだ。とはいえ……。より東の蝦夷を制した久遠が噓偽りを言うとも思えぬ。


「家の存続は間違いなく許されまする。尾張では臣従前は戦下手で世評が良くない者であっても、臣従後に政などで多くの功を挙げて立身出世した者もおりまする。南部家の者らにも働き場はありましょう」


 従うしかないのだ。それがまことか分からぬままでもな。


 まずは一族と家中を降伏させねばならぬ。これ以上、争うたとて得るものなどないのだからな。




Side:久遠一馬


 予定日より半月経過したこの日、お清ちゃんが赤ちゃんを出産した。男の子だ。


「元気な赤子だな。よく生まれてきてくれたね。お清もありがとう!」


 先ほどまで泣いていた赤ちゃんがようやく眠っている。抱いてなだめていたら寝てしまったんだ。


「おとうとだ!」


「ねーねだよ?」


 オレも嬉しいけど、周りではそれ以上に子供たちはお祭り騒ぎだ。特に大武丸と希美は言語能力もだいぶ発達しているからか、あれこれと赤ちゃんに話しかけている。


「だっこしたい」


あきら、もう少し待とうな。赤ちゃんが驚くといけないから」


 オレが赤ちゃんを寝かせると輝が抱っこしたいとねだるけど、ごめんね。輝にはまだちょっと難しいかなぁ。ただ、そんなみんなが赤ちゃんを囲んで和気あいあいと騒ぐ様子を、お清ちゃんは嬉しそうに眺めている。


「八郎殿、孫ですよ。ささ、声をかけてあげて」


「じーじ!」


「こっちこっち」


 赤ちゃんの周りには子供たちと妻たちがいるからだろう、資清さんが後ろで控え目に見つめていると、お市ちゃんと子供たちが声を掛けた。


「いや、某は……」


 珍しく慌てた様子で微かに浮かんでいる涙を拭う。遠慮しているんだろう。ただ、子供たちとすずとチェリーたちが、資清さんの腕を掴んで赤ちゃんの前まで連れていってあげると感極まった様子で赤ちゃんを見ている。


 お市ちゃんよく見ているなぁ。こういう気遣いが出来るのって何気に凄い。


「クーン」


 ああ、ロボ一家も赤子を覚えるように見守っている。昨年生まれた柿と栗と桃はまだ赤ちゃんに会わせるのは早いのでこの場にいないけどね。


「あ~う~」


 お昼寝をしていた絵理が起きると、最近上手になったハイハイで赤ちゃんのところに行こうとしている。


 あれ? でも途中で止まると座っちゃった。しかも、そのままちょっとキョロキョロすると元いた場所に戻っちゃったよ。


「武孳丸と武典丸を気にしたのかな?」


 偶然か分からないけど、そこにはお昼寝中の武孳丸と武典丸がいるんだ。絵理はふたりのところに戻ると、起きるのを待つようにしつつ赤ちゃんのほうを見ている。


「絵理、みんなのところに行ってもいいよ」


「あーい!」


 ちょっと気になったので声を掛けるけど、機嫌はいいみたい。


 うーん。楽しそうだし、いつもはみんなで一緒に遊んでいるんだよね。子供って不思議だ。




side:お清


「まーま、げんき?」


「ええ。元気ですよ」


 我が子とお子たちの様子を眺めていると、希美殿が少し心配そうに声を掛けてくれました。父上も殿もエル様たちも、皆が喜んでくれたことがなにより嬉しいのです。


「いっしょにあそぶの」


「ふふふ、大武丸。まだ少し早いわね」


 早くも一緒に遊ぼうとする大武丸殿に、エル様も笑い出してしまいました。


 赤子もついさっきまでは泣いていたのですが、今はよく眠っております。なにも望みません。大武丸殿や希美殿のように健やかに育ってくれれば……。


「殿、祝いの使者が参っております」


「ああ、早いなぁ。ケティ、お清と赤子のことお願いね。お清も無理しないで休むように」


「はい」


 殿と父上は来客の応対で忙しくなるよう。私如きのために盛大な祝いをしていただくのは、少し申し訳なく思うところもあります。ただ、お子たちを等しく愛情を注ぎ育てるのだという殿のお考えがあってのこと。


「そういえばセレス、殿にまだ言ってないのかい?」


「ええ、今日あたり言おうと思ったのですが……」


 慶事は続くのでしょうか。セレス様も懐妊の兆しがあるとのことを昨日聞きました。かおり様と千代女殿に続き、無事に懐妊して子が生まれると良いのですが。


「意外に奥手というか。なんというかねぇ」


「うふふ、焦らなくても大丈夫よ。心の整理はいるわ」


 ジュリア様は早く殿に教えて差し上げればいいと呆れておられますが、メルティ様がセレス様の心情を察しておられるようでございます。


「おぎゃあ! おぎゃあ!!」


「よしよし。いい子、いい子」


 そうしていると赤子が目を覚ましたようです。ケティ様が抱きかかえてあやしてくれています。


 ふと殿が以前言っていたことを思い出します。殿は我が子に政をさせる気はないと言っておられました。日ノ本をまとめ、頃合いを見て自身も身を退くのだとも。


 お子たちには、本領にて生来の家業である商いでもしながら生きてほしいのかもしれません。織田の大殿や若殿が聞けばお困りになられるのでしょうが。


 子は皆で育てていく。これが久遠家の掟です。私もそれを守っておりました。我が子もまた、大武丸殿たちと同じように皆で育てていただける。このことに感謝しかありません。


 きっと楽しい日々となるのでしょう。


 今から待ち遠しいほどでございます。




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