第1570話・御前新年会・その三
Side:久遠一馬
宴の雰囲気が変わったね。明らかに和やかになっている。
言葉は悪いけど、小うるさい蔵人がいないだけでこれほど変わるとは。ただ、あの人たちは嫌われ役を買って出てもいたんだよね。
今のところ交渉事は山科さんがしているからいいけど、今後を考えると不安があるね。なんというか公家は家伝の知識はある人たちだけど、全体として実務経験は乏しく交渉事とかはあまり経験がない人も多いんだろうね。
山科さんとか広橋さんの下で働く人を育てないと苦しいだろうに。
料理は相変わらず好評だ。今年は上皇陛下もおられるので魚介を使う料理が多い。小鯵の南蛮漬けとかもある。これも織田家では周知の料理だけど、さっぱりしていて人気の逸品だ。
あとは鴨肉のソテーにみかんソースという、この時代としては驚きの品が今回の目玉だ。みかんが季節的に手に入ったので、エルがこの時代の酸味の多いみかんに合わせたソースを作ったんだ。
和洋折衷の料理だけど、もちろん全体としての調和は考えられている。
「内匠頭、人が食するものも、日ノ本の外ではやはり違うものなのか?」
「はい。その地により育つ作物や手に入る食材は違います。また暑い地や寒い地では、その地で生きる知恵が料理にはありますので違います」
のんびりとお酒と料理を楽しんでいると、上皇陛下からお声がけがあった。さすがにこういう話を出来る人が身近にはいないんだろうね。
まあ、個人的にはお隣の大陸中心となる価値観は、そろそろ変えていきたいところ。こういうところから周知が広がるといいんだけど。
上皇陛下に限らず、食は文化と世界の多様性を気付かせるのにはいいのかもしれない。古くからある価値観と常識をどうやって変えていくか。穏便に変えていけるのは料理だろう。
「そなたの国は争いもなく、皆で力を合わせて広い海に出ておると聞き及ぶ。日ノ本も見習わねばなるまいな」
料理の話から上皇陛下はウチの本領の話をされた。噂話レベルだろうけど、お耳に入ったらしい。ただ、『国』と表現したことだろう。公家衆の表情が僅かに変わる。日ノ本の外という事実はすでに広まっているからなぁ。
どこにも属さぬ領地を維持している。まあ、客観的に見ると王に見えるんだろう。小さな島だという理屈は蝦夷を制したことや多くの船を運用していることから、もう通用しないし。少なくとも守護クラスの力があると見て当然だ。
「私たちも必死でございますよ」
『見習う』か。『国』という言葉と共に、本音であり配慮をされた言葉だろう。オレは否定も肯定もしない。上皇陛下もこの場でなにか実のある答えを求めている様子はない。
ただ、上皇陛下のお言葉を織田家中の皆さんは驚いている。自分たちと同じように上皇陛下も見習おうと思っている。むしろこの事実を口にされた意味が大きいと思う。
一番驚いているのは蝦夷と奥羽から来た皆さんか。明らかに唖然としている。まあ、得体の知れない武装集団が、雲の上の存在である上皇陛下と直に話をして見習うと言われればそうなるんだろう。
言い方が適切か分からないけど、奥羽は日本海航路で入る品と情報がないと外部との繋がりなんてないからなぁ。蝦夷は国と言える体制はないし。
ある意味、日ノ本の外というものの価値観が遠いものなのだろう。刺激が強すぎたかな?
Side:土田御前
思わず安堵のため息をついてしまったかもしれません。主立った奥方を連れて宴に出て良かった。
院は間違いなく一馬殿をお認めになり求めておられるのですから。無論、それはいいのです。わらわなどが口を挟んでよいことではないのですから。
ただ、エル殿たちが今以上に矢面に立たされることだけは、出来うる限りで減らしていかねばなりませぬ。
皆が守護様や公方様のように理解ある者ではないのです。女の身で男以上の知恵があり、打ち負かす武もあるという事実は危ういところもある。
守ってやらねばなりませぬ。新たな世の女となるべき者たちは。
わらわもまた一馬殿やエル殿らから多くを学びました。いかに知恵があろうとも武勇に優れておろうとも、人がひとりで成せることは多くはない。思いを同じくする者を集め育てていかねばならぬのです。
守護様のご正室である石橋御前を筆頭に、奥方衆もまた左様なことは理解しております。我らが守ってやらねば、女の新しき世は来ぬかもしれぬと。
皆も多くを望んでおりませぬ。ただ、血を分けた子らが争い憎しみ合う今の世は変えてゆきたい。左様な願いはあるのです。
学校に通うようになり、子らが驚くほど立派になったと涙を流して喜んだ者も少なくありません。武芸に秀でておらぬと案じておった子であっても、学問で才を発揮してゆく姿には感謝しかありません。
家と子を守るとて、形はひとつではない。
久遠の学問とは新たな知恵を見つけ極めること。わらわたちもまた新たな知恵を見つけ極めるために労を惜しみませぬ。
Side:織田信長
ふと、昔を思い出す。年始ということで親父の下に参るも、常日頃から会うわけでもない親父や母上は、オレにとって遠い者たちであった。
親父はまだ会えば本音を語れたが、母上はいかにしてよいか分からなんだ。
左様な母上とも、今ではよく話すようになった。
『人は言葉に出さねば伝わらない』とはケティの教えであったな。それを受けたのはオレだけではない。母上も同じだったのだ。
エルたちを助けるために、女衆もこの宴に出るべきだと言い出したのは母上だ。帰蝶は身重故出ておらぬが、あとの評定衆の正室を母上は同席させた。
北畠も六角も朝廷も苦心しておるが、なんということはない。織田もまた苦心して日々を生きておるのだ。
かずとエルらは己らで示すことで周りを変えてゆくが、今以上に矢面に立つことを危ういと母上は言う。エルなど承知のことであろうが、それでも守りたいのが親心というものか。
親父がかずを猶子として以降、母上もまたかずやエルたちの母として振る舞い、時には叱咤して時には助けておる。
正直、羨ましいとさえ思うほどにな。
院が尾張に参られたことは織田にとっていいことばかりではない。むしろ、懸念が増えた。
古の世から畿内の外を捨て置いた朝廷が、今になってあれこれと求め関わろうとすることに尾張では冷めた思いを持つ者が多い。
母上に至っては、朝廷がかずばかりかエルらを召し出させて、己らのために使おうとしておるのではと懸念しておる。それも、あながち間違いとは言えぬからな。
親父と守護様は、なにかあればすぐに朝廷と戦をすることも覚悟されておる。上様がお味方であることやかずらが望んでおらぬので口には出さぬがな。
これが政というものなのであろう。故に争い戦がなくならぬのだ。
はっきり言えば院には都に戻られて、己らの足元から変えるなり動くなりしてほしいものだ。尾張を巻き込まずにな。譲位や行啓・御幸で一万貫にもなるほどの銭を献上しておるというのに、この上まだ学ぶという体裁で知恵や技を差し出せというのか?
尊き御方であることは重々承知しておるが、あまりに世間知らずな御姿や側近の身勝手な振る舞いを見ておると、正直、あのお方のために働こうとは思えぬようになった。
年始の宴で喜んでおる場合か?
まあ、オレには関わりのないことだがな。
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