第1509話・和睦の先に
Side:村上義清
雑兵も揃いの胴丸と堅固な陣に兵の数も多い。なにより鉄砲の数だ。
領内に引き込み雨の日を狙えば、我らと同じ戦となるか? いつの間にやら背後に兵が回っておる用兵を見ると、それでようやく一当て出来るくらいか。
武田は卑怯なれど愚かではない。弱きところに頭を下げるなどあり得ぬはず。因縁あるという今川といい、よほど恐ろしいということか。
「これは、いかなるものか?」
「ゲルというものよ。大陸の奥、かつてあった元という国の末裔たちが使う家屋敷ね。彼らはこれで広い土地を移動しながら生きているそうよ」
もうひとつ、気になったのは円形の布で建てた建屋が幾つもあることか。織田方の本陣ばかりか兵もそこで寝泊まりするほど並ぶ様子は異様だ。
雑兵も雨露を凌げるところで休ませるか。士気も高いか。
「勝手ながら、少し織田の政を聞いてほしいと思うわ。愚か者が勝手をする理由を知りたいでしょう?」
自ら手の内を明かすというのか? されど、話は左様な生易しいものではなかった。
関所を廃し、武士や坊主の所領を召し上げておるだと? 形式ばかりではなく実を奪って。信じられぬわ。
「領内を整え、なるべく皆が飢えぬようにしているの。塩なんかも信濃は相当違うと聞いているわ。こっちは利がないどころか、塩だけだと商人も職人も食えないくらいの値で売っているのよね」
愚か者どもが奪いに出た理由はそれか。塩や米や雑穀の値が信じられぬもののようだ。わしも詳細などしらぬが、それでもあり得ぬくらいと分かるほど違う。
民が騒ぐと武士も座しておれぬ。確かに愚か者どもが蜂起するわけだ。
いかがすればよいのだ? 戦をすると鉄砲と金色砲で攻められるのであろう?
「何故、左様なことをしようと思うたのか、お教え願いたい」
「今までのやり方だと駄目だと考えたからよ。私たちは日ノ本の外の生まれ。縁あって尾張の織田家に仕官し猶子となって今があるわ。日ノ本の今の政では国が乱れ人も飢える。それは私たちがやっても同じね。だからこそ、斯波家と織田家の下で新しい政を試みているわ」
左右に控えておる者らからも驚きの声が上がる。同じ信濃者であろうな。幾人か顔を知る者がおる。
世迷言をと思うところもあるが、戦ばかりしたとて先が知れておるのは同じか。代々継いだ所領を治めて子に継がせる。当然だと思うておったのだがな。
考えるべきは、わしはいかがすればよいかということだ。官位や血縁とて、いざとなると役に立たぬ。弱き者は戦で勝つか、強き者に従うしかない。
「難儀なものよな」
「ええ、そう思うわ。今宵はもてなしたい。続きは宴でしましょう。もう少し知恵を絞らないとまた戦になるわ。私たちは本当に望んでいないの」
戦に来て宴に出るとはな。互いに戦を望まぬのは理解する。されど、話がしたいとまで言われるとは。
武田のように己に都合がいい体裁を口にして攻めてくるならば、こちらとしても覚悟をするのだが。戦を望まぬ強き相手に戦を挑むほど愚かではないわ。
「殿、お耳に入れたいことが……」
いかがするべきかと思案しておると、またもや愚か者か。砥石城を落とされた者らがわしのところに逃げ戻っておるが、かの者らが和睦に異を唱えて陣で騒いでおると知らせが入る。
「済まぬ、愚か者が騒いでおるようなので一旦、戻る。宴までには戻ろう」
「ええ、構わないわ」
幾度わしに恥を掻かせれば気が済むのだ。会談を求められて応じぬなどあり得ぬであろうに。こちらを圧倒する力を持ちながら、和睦を求める相手に否と言うて戦をしろというのか?
周囲に控えおる武士らがわしに同情するような顔をしておるわ。
「殿! 我らを助けてくださらぬのでございますか!」
「左様! 一戦交えず和睦などすれば我らの面目が!!」
織田方の雑兵は大人しくしておった。それと比べて我が陣の雑兵は喧嘩や騒ぎを起こさんとしており、陣へ戻ると当地の者らがあれやこれやと騒ぎ出す。
「日暮れまで籠城も出来ぬ愚か者の面目のために縁ある斯波家と戦をしろと? そもそも己らが斯波の所領を荒らしたのが悪いわ。己で責めを負えぬなら勝手なことをするな。わざわざ謝罪で済ませようとした織田方の面目まで潰しおって」
分かっておらぬな。纏めて鉄砲と金色砲で潰されかねぬというのに。血縁を理由に情けと配慮を受けたのだ。
あの女が我らを打ち負かして己の武功とせんと考えたら終わっておったわ。少なくともここで勝てる相手ではない。
「これ以上騒ぐならば、その首を織田に詫びとして差し出してもよいのだぞ」
「なっ、それはあまりでございます!」
「配慮をされた相手と戦など出来るか! わしは武田のような卑怯者とは違うのだ!」
戦を望まぬと会談を求められたばかりか、話がしたいと宴まで用意する相手と戦など勝ち戦でも出来ぬわ。
己らと一緒にするな!!
Side:ウルザ
戻ってきた村上殿は、あんまり顔色が良くないわね。
家臣共々、こちらの統治体制の違いを知らなかったということだと思うわ。おかしいことではない。他国の政などよほど探らないと知ることも出来ないものね。まして北信濃は経済圏も日本海側になる。
略奪と領地だけを見るなら、そこまで要らないものね。
「蜂起した者たちも命までは奪わないわよ」
「かたじけない」
首を刎ねてもこちらになんの得もないだけだけどね。村上殿にはあまり理解出来ない価値観でしょうね。
この地には海野一族も多い。真田殿からも念のためということで、弟を含めた砥石城の者たちの助命嘆願がある。その分、働かせるならば存分に使ってやってくれとも言われたけど。彼はアーシャの下にいたからこちらの手の内を知っているのよね。
とにかく村上殿には治世の違いを教える必要がある。権威主義であり面目で生きているような人だけど、武田を目前に敵方だった宿敵高梨と和睦して、同盟を結ぶくらいの方針転換が出来る人。
因縁とか大変なのよね。それを成したこの人には知ってもらう価値がある。
「戦場故、たいしたもてなしも出来ないけど。存分に楽しまれるといいわ」
多少、謙遜もあるわ。混じりモノのない金色酒だけでも、村上方にとっては初めてでしょうからね。
料理もヒルザが作ってくれたから、別物ね。本来、将兵は皆同じ食事にするのだけれど、村上殿との和睦を祝う宴なら別でもいいものね。
キノコと凍り豆腐と山菜の煮物、イノシシ肉の角煮、鯨肉の鍋などもあるわ。官位が高い村上殿を相手にするだけに、このくらいの食材の支度はしてある。
現に村上方の武士たちは信じられないと言わんばかりの顔をしている。
ゲルの中で椅子とテーブルでの食事にも慣れないでしょうしね。未知の世界の宴に見える気がするわ。
でもまあ、このくらいもてなさないと彼の面目が立たない。力の差が顕著とはいえ一方的な譲歩は不満と恨みを生むわ。
「久遠は海の民と聞いたが……」
「ええ、そうよ。海は日ノ本より遥かに広いわ。ここからだと、北の海も当家の船が走っているわね。この辺りは誼あるところがないことで、あまり陸には近寄らないけど」
酒が進むと、ポツリポツリと村上殿からも話を振ってくるようになった。
上皇陛下が尾張に滞在中であることもかなり影響があったみたいね。上皇陛下を出迎える際には家老が尾張に来ているけど、その報告にも半信半疑だった様子が窺える。
越後の長尾と関東管領である山内上杉。あそこがどう出るか分からないのよね。正直、村上は名門だけど意地を張るには少し力不足。本人もそれを自覚しているなら、味方にしたいわね。
◆◆
永禄元年・八月下旬。織田の砥石城懲罰戦の実施があり、織田と村上が砥石城近隣で会談をしている。
織田側は夜の方こと久遠ウルザと、明けの方こと久遠ヒルザのふたりが代官として当地を差配していた頃であり、砥石城付近の村上方が織田領を荒らしたことで久遠ウルザは領地防衛のために自ら出陣している。
この時代、領境の国人は両属や独立領となっていたりと統制が利きにくいことが多く、村上もまたこの地の国人や土豪を従えてはいたものの、細かいことには口を出していない状態であった。
ただ村上と織田は斯波義統が信濃守護となったあとに領地について話をしていて、両属の国人に従う先を選ばせることに合意しており、村上は勢力圏の減退を認めていた。
ところが国人や土豪は例年通りに小競り合いを始めたことで、砥石城を舞台とした戦に発展してしまう。
織田方は戦の前に謝罪を求めたばかりか、城門突破前にも降伏を求めるなど同時代の戦と比較しても終始落ち着いた戦をしており、村上に配慮をしていた姿勢が窺える。
当地の者たちは、砥石城は武田晴信が攻めたおりには、後の世で砥石崩れと呼ばれる大勝をしたために織田が相手でも勝てると豪語していたとある。だが織田の城攻めが始まってみると新型の盾と焙烙玉、鉄砲による新しい城攻めに対抗策もないまま降伏している。
村上義清は織田出陣の一報ですぐに出陣しているものの、到着前に砥石城が落ちたために不利な状況での戦を覚悟して進軍したとある。
ただ、ここで久遠ウルザが義清に会談を求め、義清も応じて自ら織田の陣に出向いたことで戦の流れが一変した。
義清は北信濃に所領がある程度であったが、正四位上・左近衛少将であり官位は高かった。立場的には出向く必要などなかったものの、義清は自ら織田の陣に出向くことでよく分からない織田を見極め、戦を避けようとしていたと伝わる。
会談は穏やかなものだったと『織田統一記』にはある。
久遠ウルザは宴を開いて義清をもてなしており、信濃の統治について話をしていたと記録が残っている。
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