第1499話・次なる方針と寿桂尼の苦労

Side:季代子


 糠部下北半島安渡の海陸奥湾の水軍が明確にこちらを狙っていた。そればかりではない。津軽海峡を渡る船も税を払えと告げて小競り合いをしている。


「つまりあっちの水軍は八戸の水軍で三戸とは上手くいっていないと」


「はっ」


 大浦家の者を呼んで状況の確認をするも、こちらが掴んでいる情報と同じね。上手くいっていないとオブラートに包んで言葉を選んだけど、事実上の内訌ないこうに近いようね。


「季代子、どうするの?」


小煩こうるさい南部水軍は叩いた。ならば次は元凶の安東よ。知子。軍の再編を終え次第、安東に使者を出して謝罪と賠償がなければ攻めるわ」


 今後も南部水軍の対策はいるけど、あちらの海に攻め入ると石川との約束に反する。こちらの領海の巡回を増やすしかないわね。


 それよりも蝦夷でこちらを攻めてきた安東の始末が先だわ。進軍速度は落ちるけど、こちらは冬場の行軍も不可能じゃないのよね。北方民族が兵の半数を超えるし、防寒とスキーを主体とした装備とゲルもある。


 倭人衆は経験がないけど、蝦夷で冬季訓練もしていたのよ。とはいえ雪の降る前に動きたいのが本音だけど。


「安東でございますが、こちらが南部と争うたことを好機と見ておる様子。水軍を再度用意して雪辱の為の戦支度をしておりまする」


「水軍はわたくしが叩く。陸は知子に任せるわ。優子は大浦で近隣の始末をお願い。由衣子はここで商いの差配を任せるわ」


 大浦の南部離脱。これが津軽一円に激震となり伝わった。敵らしい敵もおらず、安東が十三湊から撤退して以降、この地に外敵がいた形跡はほとんどない。


 特に大浦近隣の国人・土豪・寺社は何事だと驚き大浦城に使者が来ている。基本、尾張と方針や行動は変わらない。こちらの領地はまとめて治めて、武士は俸禄で領民も飢えさせない。


 ただ、関所の変更や商人の扱う品の値が違うことは事前に通告した。これは大浦家の進言ね。戦もすれば多少の因縁はあれど、特に寺社相手には通告したほうがいいと進言があったのよ。


 ちなみに浪岡北畠には十三湊に来てすぐに通告してある。こちらは商家でもあるので商いは統制していると。当初はピンとこなかったようで反応はなかったけど、今では一部の商品を融通してほしいということで交渉などがある。


 浪岡北畠は南部に加勢する余裕はないだろう。こちらが賦役で飯を食わせるばかりか、食料事情などもこちらの領内と浪岡北畠領でかなり違うのを掴んでいるから。


 無論、石川も掴んでいたとは思う。ただ、あちらはとりあえず武威を見せてから動こうとした結果が現状よ。


 尾張は秋の頃ね。年越しまでに尾張に戻るとなると、いろいろと差配を急がないと駄目ね。




Side:シンディ


 秋のコスモスが花を咲かせそうですわね。私は清洲城の西洋庭園で紅茶を入れておりますわ。


 同席するのは土田御前様、エル、寿桂尼殿。なんとも奇妙なメンバーになりますわね。


 雪斎和尚の食事会のために尾張に来た寿桂尼殿は、そのまま尾張に滞在しております。駿河の大勢が決まったことと、自ら人質の役目も買って出ているのでしょう。


 公家出身であり、早くからこちらとの関係改善を模索していた彼女の評価は高い。厄介な者として見るという意味でも。


 斯波家の御正室様は政治的な動きの出来ない御方。結果として土田御前が彼女と会っているようですね。


「駿河に滞在する公家衆のことでございますが……」


 楽しさの欠片もない緊張感のあるガーデンティー。沈黙を破ったのは寿桂尼殿ですわね。


 現在、駿府には今川本家の者がおりません。駿河代官とした治部大輔義元殿も織田の統治を学ぶために清洲におります。いずれ駿河に戻す予定ですが、すでに駿府の館も正式には織田の預かりになっております。織田の政の拠点と定められれば、今川家が買い戻すことも出来なくなりますからね。


「今川家が面倒を見る者にこちらは口出しを致しません。殿も守護様も承知のこととお伝えしているはずですが?」


 ただ、この一件はすでに織田と今川で調整が済んでいて、今川家で面倒を見るなら好きにすればいいと裁定を下したはず。土田御前様はその件を改めて持ち出した寿桂尼殿に少し訝しげにされておりますわ。


「これを機に清洲に移りたいという者がおります」


 なんとも言えない空気が辺りを支配しております。殿方が正規のルートで伺うには少し障りがある。平たく言うと面倒な案件を彼女がこちらに持ってきましたか。


「エル殿、いかが思います」


「僭越ながら、斯波家・織田家ともに公家を招くことは今のところ考えておりません。京の都の公家衆も幾人かそれを望んでいた者もおりましたが、近衛公に止めて頂きました。ただ、こちらとしては領内の移動は妨げないという分国法があります。従って公家衆が清洲に来ることを止めることは致しませんが、斯波家は元より織田家の客分として遇することも今のところございません。すべて今川家の責において行なっていただく必要がございます」


 土田御前様でも悩む案件を予想して私とエルが呼ばれたと。事前に内々の打診があったのでしょうね。


 まあ、私は紅茶を淹れるだけ。庭を眺めて聞き流すだけでいいので楽ですわ。


 公家衆を尾張で受け入れるという話が以前からちらほらとあったのも事実。数少ない知識層ということもあり、期待していたところもあります。


 ただ、幾度か尾張に来る公卿や公家衆を相手にして少し風向きが変わったのですわ。気位の高いお公家様に来られても困るという意見が織田家中に多い。


 また家柄や血筋とは別と言える組織としての秩序がある織田家中に、公家衆を入れて使うのは面倒だという声もありましたわ。


 昨年の行啓、今年の御幸。それに際して公卿や公家衆が慣例を盾に一方的にこちらに配慮を求める機会が増えたことも、公家衆が敬遠されている一因ですわね。


 自分たちの役職や禄を奪われるのではないか。尾張の政を壟断しようとしているのではないか。そんな懸念もあるようですが。


 都は都で、尾張は尾張で。今まで通りでいいのではないかというのが織田家中の総意となりつつありますわ。


 譲位に際し、東国との関所を封じる儀式をやったことで守護様を怒らせたことも大きな一因になりますけど。


 正直、今川家で抱える公家が自発的にこちらの仕事を手伝い、今川家を支えてくれると織田家中の空気も変わるので、私たちはそれに期待しているという本音もありますわね。


「織田の治世で役目なり働き口がほしいというのならば、こちらでも相応の仕事を今川殿を介して与えることは出来ましょう。詳しくは大殿と守護様と話さねばなりませんが」


 少し困った様子の寿桂尼殿を見たエルは、土田御前様と見合わせてひとつの手を差し伸べることにしたようです。


 本当はそのまま織田家の客分としてほしかったのでしょうね。俸禄の実入りは変わらぬので養っていけるのでしょうが、領地を手放して新しい治世で働く身となると少し彼らの権威と身上が扱いにくく、織田家中に対しても疑念を抱かれる原因になりかねないですので。


 まあ、都にいる公家衆よりは使える者たちでしょう。都の公家の派閥争いなどからも縁遠い者が多いですからね。


 アーシャが聞けば、適性次第で何人か欲しいというでしょうしね。


「ありがとうございます」


 寿桂尼殿はエルの言葉に安堵した様子を見せました。近頃の織田家で公家衆があまり好まれていないことに気付いたのでしょうね。


 間に挟まれる者は大変ですわ。



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